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2016年9月の『視野を広げる必読書

限界の正体

自らの可能性を狭めないための“為末流”ノウハウとは?

『限界の正体』
 -自分の見えない檻から抜け出す法
為末 大 著
SBクリエイティブ
2016/07 192p 1,300円(税別)

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考えを変えることで自分の限界から抜け出す方法を提案

 子育てをしていると、「保育園に行きたくない」と駄々をこねて泣き止まず、親としては困り果てることがある。幼い子どもであっても、ストレスはあるのだ。

 しかし、ある方法を用いると、幼児であっても、ストレスに対するレジリエンス(困難をはね返す力)を高めることができるという。その方法とは認知療法と呼ばれるものだ。どんな考え方が不安な気持ちを起こさせるか、その感情がどういう行動に結びつくかを子どもに気づかせ、考え方と行動を変えようとする。それがうまく働けば、冒頭のようなケースでも、保育園に笑顔で進んで行くようになるという。

 本書では、この認知療法と同じく人間の考え方や感情に着目し、それらを変えることで、自分の限界を引き上げる方法を提案している。

 著者の為末大さんは元アスリートで、現在はスポーツコメンテーター、指導者などとしてマルチに活躍している。男子400mハードルの日本記録保持者で、世界陸上選手権2大会で銅メダルを獲得。オリンピックにも3大会連続で出場している。

 本書で為末さんは「人間は自分の限界のもっと手前を限界と思い込んでいる」と指摘。そして、この思い込みが発生するメカニズム、そこから抜け出す方法を、自らのアスリートとしての実体験をもとに提案している。

 部下やチームメンバーのさらなる成長を促したいが、どうアドバイスすれば良いかわからない。そんな悩みをもつビジネスパーソンは、本書を読むことで多くのヒントを得ることができるだろう。

自分と共通点が少ない「憧れ」の人を真似てはいけない

 為末さんの主張は、私たちが抱えているいろいろな思い込みが、自分の言動や行動範囲を制限してしまい、それが「限界」になるというものだ。例として挙げられているのが、陸上100m競走の日本記録だ。なかなか9秒台が出ないのは、「十進法」という刷り込みがされているからではないかと言う。キリのいい10秒を目標とすると、その数字が無意識に作用して限界になり、本来9秒台で走る力があるのに、10秒を切れなくなる。

 いったん限界をつくり出してしてしまうと、その中でしか思考ができなくなる。「どうせ無理」「やってもかなわない」と諦め、自らの行動を狭めてしまう様子を、為末さんは「限界の檻」と呼んでいる。

 本書では、限界の檻の原因となる思い込みを8項目のリストに分類している。リストのトップには「憧れ」とある。これはやや意外な感がある。憧れというと、子どもが実在のスポーツ選手や芸能人を目標、あるいは励みにして、将来の夢に向けて頑張る、というようにポジティブにとらえられることが多い。だが、ここではネガティブな要素とみなされている。

 為末さんは、学生時代にカール・ルイス選手に憧れていた。そしてその動きを観察し、練習方法を調べて、真似したことがあるそうだ。しかし、成績は上らなかった。それどころか、スランプにも陥った。骨格や体の動かし方が自分と似ていない憧れの選手の真似をいくらしたところで、自分の短所を埋めることはできない。せっかくもっていた長所を損ねることさえある。

 ビジネスのキャリア育成においても、このことは気をつけるべきだろう。部下やメンバーの育成を考える際、彼らがめざすべきロールモデルを設定することが多い。だが、このロールモデルに職場の上司や、経験年数がかなり上の先輩を設定すると、「自分と似ていない憧れの人」になりがちだ。市場で求められるスキル・能力や、働き方、価値観といったものは時代や世代によって大きく異なるからである。

 たとえば自分の部下の中堅ITエンジニアのキャリアゴールにロールモデルとして、ベテランエンジニアを選んだとする。そのベテランエンジニアは、自社のソフトウェア製品を知り尽くしており、その知識を生かしてキャリアを築いてきた。しかし、中堅エンジニアが活躍する今の時代では、製品を知り尽くしていることが直接の価値にはなりづらい。むしろその製品を使って顧客のビジネスにどのような変革と価値を与えるかを提案することが求められるようになっている。

 そのベテランエンジニアをロールモデルにした中堅エンジニアは、自社の製品について調べ始め、細かい知識を得ようとする。だが、目の前の仕事でそれが生かされることは少ない上に、膨大な知識を覚えることに限界を感じてしまう。それだけではない。もともと彼は技術を活用した戦略を描くスキルに長けていたのだが、それを使うことがないために、さびつかせていったのである。

 憧れの人をつくるのはよい。ただし、その憧れの人が「自分と似たタイプであるか」「相手のどの要素が自分に関係があるか」を見きわめることが大事なようだ。すでに部下やメンバーにロールモデルを設定しているのならば、上記の観点で本人とコミュニケーションをとり、適切かどうかを見きわめた方がいいだろう。

うまくいった時の環境を再現してみる

 スポーツの世界では、意識したわけでもないのに、記録を出していることが、たまにあるという。そんな時には、“我を忘れた”状態で強い集中力が発揮されている。為末さんは、そんな状態を「ゾーンに入る」と表現している。私たちは、必ずしも自らの行動を、すべて自分の意思でコントロールできているわけではないのだ。自分でコントロールできないのは「無意識の領域」だ。限界の檻から脱出するには、その領域を「味方につける」のが得策と、為末さんはアドバイスしている。

 具体的には、自分がどんな状況で、どんな感情になったかを観察しておき、その環境を再現するという方法がある。たとえば、「この場所で、この時間に、この練習をしている時はやる気が出る」ことがわかっているならば、その環境をもう一度作ることで、やる気が出るようにする。自分のやる気を出すボタンがどこにあるか、どういう状況なら思い通り動けているのか、といったことを知るように努力するのである。

 部下やチームメンバーのキャリアプランを検討する際には、通常、彼らに「何がしたいか」「どういった支援が必要か」といったことを尋ねるだろう。その前に、あらかじめ彼らに、自身のこれまでの経験を振り返らせる。どのような環境下であれば満足できる結果を出せていたのか、やりたいと思う通りのことができていたのか、を本人に考えてもらう。ここでいう「環境」には、仕事をする場所、一緒に仕事をするメンバーやリーダーなど、さまざまな要素がある。

 この作業によって、どんな要素が自分の成果に影響を及ぼしているかに気づくことができる。そうした「経験」を話してもらうと、上司・リーダーとして、どのような環境を用意してあげればよいかが、わかるようになる。

 このように、本書には、アスリートの考え方をビジネスの世界に応用する方法が具体的に書かれている。とくに「限界の檻に入ってしまう8つの思い込み」をチェックリスト化して、部下・メンバーとのコミュニケーションに役立てることをおすすめしたい。 (担当:情報工場 足達健)

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2016年9月のブックレビュー

情報工場 読書人ウェブ 三省堂書店