『ターミネーター』や『トランセンデンス』をご覧になったことがあるだろうか。海外のSF映画には「高度に発展したAIが人間に危害を及ぼす」設定が数多くある。一方、日本ではAIを友人や家族としてボジティブに捉えている設定、例えば『ドラえもん』や『WASIMO』のような心温まる物語が多い。今後AIはどちらの方向に進んでいくのだろうか。そんなことを考えさせるのが、本書『アレクサ vs シリ』だ。
本書は「アレクサ」や「シリ」に代表される「しゃべるAI(音声AI)」にクローズアップし、グーグルやアップルといった各社の開発の歴史や機能を紹介しながら、ビジネスモデル、将来展望について解説している。著者のジェイムズ・ブラホス氏は、米国在住の技術ジャーナリスト。
「シリ」にアラーム設定を命じたり、道案内をしてもらった経験のある方は多いだろう。米国では、日常のアシスタントから1歩進んで、音声AIが「話し相手」として市民権を得ているようだ。「夫が音声AIに相談してからでないと服も着替えない」といった妻の愚痴までが本書に紹介されている。
子どもにとっては友人となりつつある。対話型AI技術を組み込んだ「ハローバービー」という商品はすでに英語版が販売されているが、生身の人間のように親身な受け答えをするよう設計されているという。ある少女の「友達を作るのが下手なの」との悩みに対し、「私のお気に入りの方法は深呼吸して、にっこり笑ってハローと言うの」と応じるアドバイザーぶり。少女は生身の大人にだったら悩みを相談するだろうか。機械だからこそ可能になる問題解決の形があるのかもしれない。
さらに、著者が行った「ダッドボット」の試みも興味深い。死の床にある父親に「家系や家族、教育、仕事」などの思い出を語ってもらい、そのデータをもとにチャットボットを作成したのだ。父親が亡くなったあと、“不死の父”の存在が家族の慰めになったことが語られているが、こうした取り組みに複雑な感情を抱くのは、私だけではない。米国でも大きな議論を呼んだそうだ。これまでの「人間とは何か」という価値観や倫理観が揺さぶられていることの証左なのだろう。
翻って考えると、近年、欧米のビジネススクールでは、文学、歴史、芸術、哲学や心理学、人類学といった人文科学の分野が改めて見直され、脚光を浴びている。それは、テクノロジーの最先端であるAIの分野が、「人間とは何か」の答えを必死に模索していることの裏返しとも考えられる。無機質なアルゴリズムの塊ではなく、人間の定性的な感覚の香りがするAI――人類が求めてやまないのは、やはり「人間的な温もり」なのかもしれない。