提供:東京建物

東京建物の輝きを継ぐ街づくり

街づくりに求められること——。その答えは、1つではないだろう。
街ごとに人々の生活や文化、歴史があるように、あるべき建物の姿も変わる。
東京建物は1つひとつの輝きを未来へと継ぐ街づくりを目指しているという。
5回にわたって、その取り組みを紹介する。

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「森の広場」の写真

vol.2 インタビュー 「樹齢と共に活きる街」

堀信介氏の写真

東京建物 プロジェクト開発部 事業推進グループ 堀 信介氏

JR山手線・目黒駅前に建つタワーマンション「ブリリアタワーズ目黒」(2棟)を含む「目黒花房山」(目黒駅前地区第一種市街地再開発事業)は駅前の立地ながら、敷地中央に大きな緑地帯となる「森の広場」を有している。その森の広場は権利者や地域住民の思いを形にしたもので、さらに行政や地域が抱えていた課題も同時に解決しているという。事業を推進する上で、数々の課題も持ち上がった。長らくこのプロジェクトに携わった東京建物の堀信介氏はその月日を振り返り、「様々な課題はありましたが、権利者や関係者の皆様と一緒になって乗り越えていけたのはとても楽しい時間でした」と笑顔で話す。

開発コンセプトに込められた東京建物の思いとは、何だったのか。生まれたばかりの「森の広場」を前に、堀氏が語る。

3つの課題を解決したのは、「森」だった

——「ブリリアタワーズ目黒」が2017年11月30日に竣工してからも、堀さんはよく目黒へ行かれるそうですね。

竣工してから何度も足を運んでいますが、いつ行っても近所のお子さんが「森の広場」で遊んでいたり、芝生の上に寝転んでいる方がいたり、近隣のオフィスに勤める方がお弁当を食べていたりします。憩いの場として本当に多くの方々に利用されていて、そんな光景を見ていると開発冥利に尽きるなという思いが湧き上がってきます。

——とても気持ちのいい広場ですよね。プロジェクトは06年から本格的に動き出したそうですが、どのように進んだのでしょうか。

事業協力者選定のコンペが行われたのですが、当社と、第一生命、大成建設、竹中工務店の4社でコンソーシアム(共同事業体)を組み、この森の広場も含む開発コンセプトを盛り込んで提案をしました。

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開発が終わった時が
街のスタートライン

——具体的にどのようなコンセプトだったのでしょう。

まず、開発していく上で、大きく3つの解決すべき課題がありました。1つ目は行政も課題として掲げていた、駅前の広場の不足です。2つ目は地域住民の方々にとっての課題として、敷地の南北に連続性がないこと。北側と南側は高低差があるうえ、プロジェクトの敷地東側が高い擁(よう)壁で囲われていたので迂回しなればならず分断されていたんです。3つ目は権利者の皆様のニーズとして、駅前の北側の方々はにぎわいのある街を希望される一方、住宅街に面した南側の方々は閑静な住環境を守ってほしいという、相反する要望でした。

特に3つ目の課題、にぎわいと閑静な住環境を同時に実現するという難題は、どう解決すればいいのか大きなテーマでした。その解決策として、私たちが提案したのが「森の広場」を中核に据えた計画だったんです。

——なぜ、森だったのでしょうか。

北側と南側の間に森をつくることで、にぎわいを求める北側と、落ち着いた住環境を求める南側の緩衝地帯とすることができます。さらに、森そのものを広場として開放し、駅前に別に設けた「文化の広場」とつなげることで、不足する広場の課題も解消され、近隣の方々も通り抜けることができ街の連続性も回復できる。森を中心に据えたコンセプトによって、3つの課題を一挙に解決することができるという提案でした。

——そのコンセプトを表現したのが、「樹齢と共に活きる街」ということですね。

そうです、いま見ても美しいフレーズだな思います。樹木って何年も時を経るごとに大きく枝を伸ばし、成長していきます。この街も開発して終わりではなく、そこをスタートラインとして街が大きく発展してほしいという思いが表現されていると感じています。再開発事業について、原点に立ち返ることができる言葉ですよね。

写真1)南北を通り抜けられる通路をつくり、近隣住民が行き来できるよう開放された広場。
写真2)多くの人が集まり、憩いの場として利用されている森の広場を見下ろす。

何よりも皆様のお手伝いをしたいという気持ち

——再開発事業とはどうあるべきだとお考えでしょうか。

その区域の中だけではなく、地域の皆様にも喜んでいただけるような開発であるべきだと思っています。また、本プロジェクトにおいて感じたのは、権利者の方々はその思いをより強く考えていらしたということなんです。竣工後も権利者や関係者の方々とは街のことで色々とお話をするのですが、地域のことを考えながら、「まだまだやれることがある」と私たち以上に感じてらっしゃっているんですよ。

——同じ方向を向くことができたのは、なぜなのでしょう。

プロジェクトの進行中、関係者の皆様とは密に打ち合わせを繰り返しました。それこそ週に何回も集まり、「こんな課題があるけれども解決できないか」という協議を重ねてきました。権利者の皆様のため、プロジェクトのため、街のためと対話を続ける中で、関係者の想いが自然と同じ方向に向いて行ったと感じています。こちらも東京建物のグループ力も総動員して、でき得る方法をご提案するといったことをずっと続けていきました。

——グループ力ということでは、例えばどのようなご提案をされたのでしょう。

再開発では、クリアしなければならない色々な課題が出てきます。その中で、当社がご協力できることはとても多いんです。例えば、これまでの古いマンションを取り壊す直前の管理業務を私たちでお引き受けしたり、権利者の方が仮住まいを探すお手伝いをしたり、引っ越し会社のご紹介やサブリースをご希望の方にご提案させていただいたり、本当に多岐にわたる課題を東京建物グループ全体でお引き受けしました。

私たち以外にも、同じような提案をする会社もありましたが、開発に携わっている私たちが課題を最もよく理解していましたし、何より皆様のお手伝いをしたいという気持ちが一番強かった。だからこそ、最良のご提案ができ、実際に多くをお引き受けさせていただくことができたのだと思います。

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この街の成長を
これからも見届けたい

——住宅や空間のデザインでは、どのような提案をされたのでしょうか。

この点においても大変な時間をかけました。どういう方にご興味をいただけるのか——新しくこの街に入って来られる方ということになりますが、こんな方に共感いただけるのではという骨格となるペルソナや商品企画の方針等をまず作り上げました。普段はあまりないことなのですが、実は今回、その企画段階での考えを権利者の方からぜひ聞きたいとのお申し出があり、竣工後にご説明する機会をいただきました。権利者の皆様からすると、ご自身の住まいの企画過程の考え方となるわけですから、こちらもいつにない緊張感の中でご説明させていただきました。そして、その内容について権利者の方から、「この街のことをよくわかってくれている」と共感をいただくことができたのは、このプロジェクトを通じても非常に心に残る出来事です。

建物や空間をつくる際には、その土地の「地歴」も大切にしています。この場所はかつて「花房山(はなぶさやま)」と呼ばれた高台で、江戸時代には品川区域では唯一の上屋敷(藩邸)が構えられていました。「樹齢と共に活きる街」というコンセプトと合わせ、そういった土地の記憶を再開発によって再生することにも取り組みました。

——竣工後には、「目黒花房山」街びらきイベントも開催されましたね。

街の再開発はつくって終わりではないと申し上げましたが、今回も私たちから、地域の皆様と一緒に街びらきをしてはどうかとご提案させていただいたんです。関係者の皆様にご賛同いただけるか不安もありましたが、実際にお話ししてみたところ、ある権利者の方から「ぜひ皆でやるべきだよ」と言っていただけ、皆様のご協力のもとで開催することができたんです。この街はこれからだという想いは、当社だけではなく皆様がそう思ってくれていたのだと改めて実感することができ、本当にうれしかったですね。

これから「森の広場」の木々は、大きく成長していきます。私たちはこれからも、この街の成長を見届けていきたいと思います。

写真3)「目黒」駅前に2棟のタワーレジデンスとオフィス棟、下層階には日常を支える商業エリアが並ぶ、大規模複合再開発。
写真4)日々成長する森の木々に囲まれた広場で話す堀氏

街の特性を生かした東京建物の街づくり事例

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「ブリリアシティ横浜磯子」

横浜市磯子区の旧横浜プリンスホテル跡地、横浜らしい海を見下ろす高台の約10haという広大なエリアに2014年春に全体が竣工。周辺住民に愛されてきた敷地内の歴史的建造物「貴賓館」を保全しつつ商業施設を新設、また丘下の駅前までの高低差を解消するエレベーターとトンネルを整備する複合開発となりました。既存の桜の並木道や樹木を生かした公園も2カ所整備して周辺との調和を図っており、緑の丘のランドマークとして親しまれています。

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