コモディティー投資の魅力

商品市場で世界が分かる 第9回 マネーを呼び込む商品市場

投資の世界で今や原油などの商品デリバティブ市場と金融市場の間に垣根はありません。原油の取引には石油会社だけでなく、CTA(商品投資顧問)と呼ばれるヘッジファンドをはじめ多くの投資家が参加しています。マネーはより魅力的な利益機会を求め、市場を自由に行き来するようになりました。現在のような市場の姿ができたきっかけに、ニューヨーク・マーカンタイル取引所(NYMEX、現在のシカゴ・マーカンタイル取引所=CMEグループ)が1983年3月に世界で初めて原油先物を上場したことがあります。

価格形成は市場に

上場商品の正式名称は「軽質低硫黄原油」。その標準油種がテキサス州で産出されるウェスト・テキサス・インターミディエート(WTI)原油です。原油先物が誕生した背景には市場や民間活力を重視し、「小さな政府」をめざした当時のレーガン政権の政策がありました。政策で石油価格を安定させたり、補助金で代替エネルギーの開発を促したりする従来の考えを改め、価格形成を市場に委ね、価格が上昇すれば代替エネの開発などはおのずと進むという発想に変えたのです。市場取引を通じて価格が決まるようになれば、石油開発会社や需要家は価格の変動リスクをヘッジする場が必要になります。原油先物市場の出番です。

NYMEXに続き88年には英国際石油取引所(IPE、現在の米インターコンチネンタル取引所=ICEグループ)がブレント先物を上場。石油取引の金融化に道が開かれました。石油市場では米ゴールドマン・サックスなどの金融大手が存在感を強め、「ウォールストリート・リファイナリー」と呼ばれるようになりました。

2000年代に入り商品相場の動きが激しくなると金融化の動きは加速します。市場の需給は台頭で逼迫し、そこに金融市場からマネーが流れ込んだのです。世界で初めて現物の金を裏付けにした上場投資信託(ETF)「SPDRゴールド・シェア」は03年にオーストラリア証券取引所に上場されました。その後、ニューヨーク証券取引所や東京証券取引所にも上場。SPDRに続き、世界の証券取引所にはさまざまな商品のETFや上場投資証券(ETN)が登場しました。投資家は証券の形で、現物の商品やその値動きを運用資産に組み込めるようになったのです。欧米の年金基金などが商品指数に連動する資産運用を始めたのもその頃です。商品市場にアプローチする手法は多彩になりました。英バークレイズの調べで、原油などエネルギー市場での運用残高は10年末に1200億ドル(12兆円強)に達しました。

伸び続けるデリバティブ取引

08年のリーマン・ショック以降、各国の当局は金融大手の商品業務を厳しく管理するようになり、欧米の金融大手は商品業務の縮小や撤退に動きました。それでも、商品市場に流入するマネーは増え続けました。CMEの米原油先物売買高は史上最高値を記録した08年から18年までの間に2倍以上に拡大。ライバルであるICEのブレント先物も売買を伸ばしています。ICEは電子売買に特化した取引所であり、CMEも「GLOBEX(グローベックス)」という名前の電子売買システムが売り物です。そこではコンピューターを利用する高速取引業者(HFT)の売買が影響力を増しています。

世界の商品先物売買高は大きく伸びた

図

米先物取引業協会(FIA)統計から

新型コロナウイルスの影響に翻弄された20年。各国の危機対応策で膨れ上がった緩和マネーは商品市場にも流入しました。米先物取引業協会(FIA)がまとめた1~11月の世界の先物売買高を見ると、個別株や株式指数だけでなく、貴金属や農産物、エネルギーの先物が大きく売買を増やしていることが分かります。シンガポール取引所(SGX)が力を入れる鉄鉱石のデリバティブ市場も活況だといいます。世界経済の先行き不安やドルを中心にした通貨の信認が揺らいだことで、金ETFへの投資も再び活発になりました。このコラムもこれが最終回になりますが、金融・商品市場を行き交うマネーがなぜ貴金属や農産物市場に向かっているのか、その背景を自分なりに推理してみるのも面白いと思います。

先物売買高の伸び率(%)
2020年1~11月、前年同期比

図

米先物取引業協会(FIA)まとめ、世界全体

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講師紹介

志田 富雄

日本経済新聞社 編集局編集委員

1985~87年の欧州編集総局勤務時に初めて原油などの国際商品市場を取材。ブレント原油が1バレル10ドル台を割り込む相場低迷や「すず危機」をなど目の当たりにして商品市場の奥深さを知る。英文記者を経て1991年から商品部へ。記者時代は石油のほか、コメなどの食品、鉄鋼を担当。2003年から編集委員に。2009年から19年まで論説委員を兼務。