綿貫雅一
栃木県生まれ。慶応義塾大学工学部卒業。ペンシルベニア大学大学院(地域経済学博士)。30年以上にわたり、発展途上国への経済協力と開発援助の実務に従事。この間、家族でバンコクと中部ジャワに駐在した後、米国留学やアメリカ国立標準技術研究所(NIST)勤務を経て、ワシントンDCに本部を置く国際機関の一つ米州開発銀行(IDB)に16年間在籍。2014年に帰国し、次代を担うグローバル人材育成に注力。大学でも「グローバル人材養成」のための授業を担当するなど、その活躍に注目が集まっている。海外勤務・訪問40カ国、在米通算22年。
http://jgi.or.jp/

INTERVIEW

当団体は、グローバルな社会で活躍できる世界基準の視点を持った人材を育成しています。世界から様々な知見と人材が集まるワシントンDCを舞台にした実践型研修を通じ、短期プログラムを提供。そこで色々な価値観や視点に触れてもらうことで、グローバルな働き方や生き方を考えるきっかけづくりができればと考えています。

強い海外志向で、世界への扉を叩き続ける

綿貫雅一

グローバルな人材に必要とされるのは、まず一つにコミュニケーション能力です。日本の学生の多くは英語力が乏しく、世界との対話力が不足しています。また、多様性や異文化を理解することも重要で、現在はSNSが発展し情報を簡単に取り入れることができますが、理解したつもりになる方も意外に多い。実際に外の世界へ自ら足を運び、現地で触れて見なければわからないこともたくさんあります。そうした行動力も、グローバルな人材に不可欠です。

私は大学の工学部を出てエンジニアとして就職した頃、自分の将来を明確には描けていませんでした。ただ一つあったのは、強い海外志向です。その4年後の1980年、思い切って途上国支援を行っていた企業へ転職。当時は終身雇用の時代でしたから、そのタイミングで自ら転職を希望するなど、変わり者だと思われていたかもしれません。しかし海外志向の思いは強く、バンコクやインドネシア、ベトナムやフィリピンといったアジア諸国の途上国に対する開発援助に情熱をもって従事してきました。

その中で感じてきたことは、もっと国の政策を通して途上国の発展や人づくりに深く関わるところで仕事がしてみたいということ。そこから心機一転、アメリカのペンシルベニア大学へ開発経済学や地域経済学を学ぶため、2年間の留学を決意したのです。

留学後は発展途上国への経済協力と開発援助の実務に従事し、外の世界から日本を見つめていきました。この間の途上国での経験を通して、世界の舞台、特に国際機関でプロフェッショナルとして活躍したいとの思いが更に強くなり、二度目の留学を決意しました。

大学院での博士課程は、なかなか厳しいハードルでしたが無事修了し、1998年に念願の国際機関の一つである米州発銀行に勤務することになりました。これまでの多様な実務経験と、米国でも有数の大学院での博士号を修了したので、自信を持って実務を始めました。しかしこの自信は見事に打ち砕かれました。業務内容の高さと密度、そして何よりそこで働く世界から集まってくる人材のすごさに圧倒されました。これが、正に世界の頂点で活躍することなのだと痛感。これまでの人生で全く経験したことのない貴重な体験をしました。

その頃の日本はバブルも崩壊し、少しずつ世界から取り残されていた最中。社会全体が閉塞感に包まれ、低迷していく中で、今後の日本社会と次世代を担う若者に対して強い危機感を覚えるようになりました。そして私自身の経験や知見を生かし、グローバルに活躍できる人材を育成していこうと思い至ったのです。

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次世代の若者に向けた、グローバル社会の規範

2014年には日本に帰国し、日本グローバル・イニシアティブ協会を設立。国や世界をつくるのは人です。
グローバルな世界の潮流に遅れをとっている日本にとって、グローバルな人材の育成・輩出は、喫緊の課題です。グローバルな人材を輩出できれば、将来の日本の社会をもっと明るい方向に導けるはずだと信じて事業を推し進めていきました。

とはいえ、人材育成は時間がかかるものです。現在は人材の売り手市場と言われていますが、「これから迎える時代はどうなっていくのか」「そのためには何をすべきなのか」という問いかけも続けていかなければいけません。特に売り手市場の中では、目先のことしか考えられなくなり、将来像を描いていく難しさが伴うもの。だからこそ若い学生の方々には、実際に日本を離れ、ワシントンDCのようなグローバル競争社会での原体験を通じて、グローバル社会を理解してもらう努力が必要だと感じています。

だからこそ大学での講義などでも、実際に国内外で活躍している現役の方をお招きして生の声を聞く機会を設けたり、私自身の経験談をありのままに伝えしたりなど、実践的でインタラクティブなプログラムの提供を意識しています。

私自身の経験を踏まえて言うならば、自分の退路を絶ってでも行動していくことが大切だと思っています。これまでの人生では、岐路や転機も数々ありました。1994年に2度目のアメリカ留学に渡った時は40歳。その年齢で「国際機関で自分を試したい」「途上国のために自分の役割を見出したい」という壮大な夢と強い思いを描き、日本を離れる覚悟を持つ人はあまりいないでしょう。生活費や学費などもかかることから家を売り、家族5人の片道切符だけでアメリカに渡ったのです。しかし人生は一度きりですし、絶対に後悔はしたくなかった。「今やらなければ」、その思いが勝っていたのです。正に、私にとって人生最大の挑戦でした。

実際にアメリカに2度目の留学をしてからは、後悔する間もありませんでした。自分の信念に従って挑戦し続ける道しか残されていなかったからです。その時の決断がなければ、今の自分はありません。

今後は現在の活動を拡充していていきながら、実践的にグローバル体験を提供できるプラットフォームを確立していきたい。そして傍では、グローバル化や技術革新が日進月歩の勢いで進んでいます。だからこそ安定志向でいるのではなく、高い目標を掲げ、たとえ荒削りでもいいからもっと広い価値観の中で挑戦していかなければいけません。そうすれば必ず、道は拓(ひら)けると確信しています。若者の最大の武器は、失うもののない強さです。是非、未来に向かって挑戦して欲しいと願っています。

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