高岡浩三
1960年生まれ、大阪府出身。神戸大学経営学部卒業後、ネスレ日本に入社。各種ブランドマネジャー等を経て、ネスレコンフェクショナリー株式会社マーケティング本部長、同社社長、ネスレ日本副社長飲料事業本部長を経て、ネスレ日本社長兼CEOに就任。
https://www.nestle.co.jp/

INTERVIEW

日本では、欧米の働き方をそのまま真似してもうまくいかないと思います。日本が成長してきたスタイルでもある、会社に対しての帰属意識を強く持つ働き方の方が合っているのではないでしょうか。ネスレ日本は外資系企業でありながら、終身雇用制で組合もありますし、給与体系もかなり日本的だと思います。ただ、日本的といっても旧態依然としたやり方では世界に通用しません。日本の良さを生かしながら、生産性の高い洗練された経営スタイルを完成させたいですね。

「短命かもしれない」と生き急いだ日々

高岡浩三

10歳の時に父をがんで亡くしました。実は祖父も父と同じ42歳の時に病気で亡くなったということを通夜の晩に母から聞かされ、人生は短いのだと子供ながらに感じたものです。気丈な母は、女手一つで私と弟を育ててくれました。母には「弱い立場の人を守る人間になりなさい」ということを常々言われ、幼い頃から長男としての自覚を説かれていたのを覚えています。祖父や父のように自分も短命かもしれないということが念頭にあったので、就職先を決める時は大きな仕事を短い期間でやり遂げるチャンスがありそうな外資系がいいと思って、ネスレを選びました。

就職して最初の半年は千葉の支店に配属され、先輩の見よう見まねでルートセールスをしながらお客様と関係を築いていきました。これまでいろんな仕事を経験しましたが、今でも営業の仕事が一番好きです。初めはネスレに対して好意的ではないお客様がネスレのファンになってくださる時のわくわく感は何ものにも代えがたいのです。それが自分の売り上げに直結するのが楽しかったですね。さらに売れ筋のネスカフェやミロではなく、なかなか売れずに苦戦していた調味料のマギーを自分が誰よりも売ってやろうと張り切っていました。父の寿命である42歳までにどこまで大きな仕事をやり遂げられるかということを意識していたので、何かと生き急いでましたね。人が1年や2年かけてやることを半年でやりたい、そんな思いで仕事をしていましたし、それがモチベーションになっていました。

一番の転機となったのは、代表商品の一つであるキットカットの新しい販売戦略が成功したことでしょうか。それまで何十億円もかけていたテレビ広告を全部やめて、「キットカット=きっと勝つ」という語呂合わせで受験生応援キャンペーンを打ち出したのです。このPR戦略で、派手な宣伝なしで爆発的にヒットしました。この成功体験がなければ今のキットカットはないし、今の私の経営スタイルもなかったでしょう。

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問題は解決するよりも見つけるほうが難しい

受験キャンペーンに始まり、お土産商品や期間限定商品など様々な戦略を打ち出してきましたが、実は事前に本社のお伺いを立てたことは一度もないんです。まずは小さなレベルで検証してみて、うまくいけば本社と共有しGOサインをもらってから大きく投資するようにしています。スタートアップ企業の経営者が投資してもらうのと同じプロセスを大きな会社の中でやっているわけです。私たちの取り組みが本社で認められ、それが徐々に世界中のネスレに広がってきているのが喜ばしいですね。

どんな大企業も、何年かに一度は大きなイノベーションを起こしていかないと持続的な成長は望めません。イノベーションは、お客様が気付いていない問題にいち早く気づきそれを解決して初めて起こるものだと思います。問題を解決するよりも、問題を発見するほうが実は難しいんです。例を挙げると、ソニーのウォークマンなんかは大きなイノベーションだと思いますよ。音楽は静かな部屋で聴くものだという常識を打ち破って、外で歩きながら聴けるようにしたのですから。もし事前に市場調査をしても、誰も「歩きながら音楽が聴きたい」とは答えなかったでしょう。市場調査は無駄なことではありませんが誰が調べても分かることですし、決して大きなイノベーションにはつながらないと思います。

今、不透明で不安定な時代に直面していると思います。世界情勢が目まぐるしく変わっていく中でいろんなことが起こりますが、だからこそビジネスチャンスもたくさんあるはずです。これから起こりうる様々な問題や課題を見据えてそれをチャンスに変える力こそが、日本の未来を担う皆さんの役割になると思います。どの分野の仕事でもマーケティングの勉強は大切です。しっかり学んで素晴らしい社会人に成長してほしいと思います。

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