シュピンドラー千恵子
福岡県出身。大学でドイツ語を専攻し、1986年に全日本空輸株式会社に就職。92年、ドイツGMN(ゲオルグ・ミュラー・ニュルンベルグ)に転職。94年、同日本法人解散のため業務を承継。97年、横浜市で(有)シュピンドラーアソシエイツ(現ナノテックシュピンドラー株式会社)を設立。千葉県ベンチャー企業経営者表彰、ニュービジネス大賞アントレプナー賞、優秀経営者顕彰日刊工業新聞社賞など受賞多数
https://nanotecspindler.com/

INTERVIEW

ものづくりは、設計開発、製造、安全試験、認証というプロセスを経て世に製品を送り出しますが、私たちはその最後の部分を担っているに過ぎません。ともすれば権威的な印象を持たれかねない役どころですが、サービス精神とチャレンジ精神を生かして、お客様のニーズに寄り添える認証機関でありたいです。
認証機関と言うのはイエスかノーで合否を判定する組織です。その一方で、企業はお客様から評価され必要とされて成り立つものであり、その気持ちは常に忘れずにいたいし、私は何事にも簡単にノーとは言いたくないですね。やってみないとわからないし、違う方法だってあるかもしれません。We can do it ではなく、We can work it out(やればできる)をモットーにしています。

家族を相次いで亡くして

シュピンドラー千恵子

平凡なサラリーマン家庭で年の離れた2人姉妹の末っ子として生まれ育ちました。平穏な生活を送っていましたが、大学生の時、祖母と母が相次いで亡くなり、姉も嫁いでいたので父と二人残されてしまったのです。父もがんの闘病中で入退院を繰り返していたので、私は大学に通いながら家のことや父の送迎をするようになりました。華やかなキャンパスライフではありませんでしたが、卒業前に1カ月半ほどドイツに放浪の旅に出たのは良い思い出です。卒業後は父を安心させるために大手で安定した全日本空輸に客室乗務員として就職し、フライトの合間に入院中の父に会いに行っていました。
就職して半年後に父は他界しました。家族3人を次々に失ったことで「私もいつ死ぬか分からない。守るものもないし守ってくれる人もいないのだから、好きなように生きていこう。生きているうちにいろいろ挑戦してみよう」と思いましたね。
新人時代は失敗して先輩に叱られることも度々ありましたが、経験を積む度に肝が据わり、心身ともにタフになりました。国際線に移り、スカンジナビア航空との共同運航便のスターティングメンバーに手を挙げ、キャリアアップを重ねチーフパーサーまで勤めたところで、次はサービスを提供する側ではなく企画する側になってみたいと思いました。しかし希望が通らず、転職を決意しました。再び大学で学んだりしながら一般職の面接をいくつか受けて、ドイツ装置メーカーの日本法人に採用されました。全日空時代に顧客ファーストを始め、チームで働く力、あらゆる事態への対応等、厳しく教育されたおかげで今があると感謝しています。

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「やっぱりやめます」は恥ではない

入社後、メーカーが日本から撤退することになったのですが、日本にはまだ製品のユーザーがいたので、そのメンテナンス事業を私が承継することになりました。3年経った頃、EUで製品の安全性の基準が厳しくなり、多くの日本のメーカーが輸出に苦慮していたことから、規制に対応するためのコンサルティング事業も始めました。その後EUの認証機関とパートナーシップを組み、その日本事務所として立ち上げたのが今の会社の原点です。
当時、子供は1歳で、第2子もお腹にいましたが、国内外を飛び回り、懇親会にも子連れで出席し、お客様の声を代弁するために奔走しました。育児を言い訳にしないことを信条としていたので、仕事のペースを落とすことはありませんでした。毎日がON状態で、あっという間でしたね。最初はお給料の大半がベビーシッター代で消えてしまいましたが、それも会社への投資だと考えました。
製品が進化する度に必要な試験や評価も増え、お客様のニーズに応えるために全部カバーしなくてはと必死になっていましたが、無理をして採算が合わなくなってしまったことがありました。この時ばかりは悩んで夜も眠れませんでした。できることとできないことの見極めが大切だと学びました。
それまで「やると言ったからにはやらないとかっこ悪い」と思っていましたが、周りは案外何とも思っていませんでした。「やっぱりやめます」は決して恥ずかしいことではないのだとこの頃気付きました。大事なのは企業の持続です。マラソンに例えるなら、苦しくなったらしばらく歩いて、息が整ったらまた走り出せばいい。そう考えると少し気を楽にして走れるようになりました。
私は大企業を作ったわけでも巨富を築いたわけでもなく、永遠のチャレンジャーだと思っています。世の中に不便や不足があるなら、嘆くよりも自分で作ったり開拓したりすればいいと思います。そういう意味では、根っからのベンチャー経営者だと思います。物事を生み出すのが好き、挑戦したいことはまだたくさんあります。

人生は選択の繰り返しです。何十年も先のことを想定して行動できる人など稀(まれ)です。私も子供の頃は引っ込み思案でしたが、環境が変えてくれました。その時々の変化を柔軟に受け入れて、少し上を見れば必ず世界は広がります。
若い時の苦労は必ず自分の糧となります。勇気をもって一歩を踏み出しましょう。たとえ失敗しても、命まで取られるわけではありません。また頑張ればいいのです。生き残りさえすればなんとかなります。直感と自分自身を信じて、チャンスをつかんでください。

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