嶋田一郎
1960年生まれ、大阪府出身。84年大阪市立大学医学部を卒業後、同大学医学部第2内科にて臨床研修開始。その後、長野県佐久市浅間総合病院内科での一般内科医を経て、旧国立泉北病院神経内科にて約10年間勤務。96年10月、大阪府堺市にて嶋田クリニックを開院。一般内科診療、在宅医療の他、パーキンソン病をはじめとする神経難病と認知症に対する専門診療、多職種連携を軸とした地域医療にも力を入れている。
http://www.shimada-cl.or.jp/

INTERVIEW

当院のある泉北ニュータウンは街開きから50年がたち、日本の超高齢社会を地で行くような地域です。内科、神経内科を標榜しておりますが、私が専門医として担当している神経内科の病気は、患者さんと10年20年の付き合いになることが多い。例えばパーキンソン病との診断がついた患者さんは、今のところ病気自体を治す治療法がないので、薬で調整しながら少しでも症状が安定するようにもって行きます。それでも基本的に病気はどんどん進行していきますので、その都度ステージに合った治療をしていこうという立場で、日々の診療を行っています。

ただ病気を診るのではなく、長きにわたる闘病生活を少しでも苦痛なく、病気とうまく付き合いながら生活ができるようにサポートをしていく、という観点で患者さんと向き合っています。同時に、患者さんを支える家族のケアも必要だと考えています。そうした中で、私一人が在宅医療を担うのではなく、ケアマネージャーや訪問看護ステーション、介護業者など地域のいろいろな職種の方々と一緒にチームを組み、患者さんとそのご家族の全体を支えています。

父が教えてくれた、医者としての生き方

嶋田一郎

私が生まれた時は未熟児黄疸(おうだん)で、ほぼ亡くなるような状況だったそうです。当時の先生が一生懸命に治療してくれたおかげで命をつなぐことができたのだと、物心がついた頃からずっと母親に聞かされていたので、「お医者さんってすごいな」という思いがありました。子どもの頃も病弱で、近所のかかりつけの病院に何度も通っていたのですが、その先生が本当に優しくて、子ども心に、その先生に会ってお話をするだけで病気が良くなるような気がしていました。また、その頃、図書館で野口英世の本を読み、こんな医者になりたいと思いました。そうした子どもの時の話や経験が積み重なって、自分も医者になるんだということが自然と既定路線になっていましたね。

念願がかなって医者となり何年かした後、父親が末期のガンであることがわかりました。当時はまだ今のようにガンの告知は一般的ではなく、私も父に対して良性の病気であるかのように伝えていました。毎日仕事帰りに父が入院している病院に行って話をするのですが、何度も「何の病気なんだ」と聞かれ、さらに病気が進むと、私が言うこともだんだん信じられないというようになってきました。私は父の家族であり、医者でもあるという立場で、しかも父親に対してうその説明をしている。私自身も本当に苦しい思いをしていました。本当だったら家族の一員として、主治医に対してもっとわがままを言ってもよかったのですが、自分も医者であることで、本心を隠しながら父親と向き合っていたことが非常につらかったです。

少しでも家に帰らせてあげたい、できたら家で看取りたいということを希望したのですが、病気の進行が思いのほか早く、結局、家に帰れないまま父は亡くなってしまいました。今から思うと、もっと早い段階でガンであるということを告知し、父親が自分の人生の店じまいをするような時間をもたせてあげられたらよかった。あの時にこうしてあげたらと、何度も思い返すことがあります。ただ、それを経験できたということが、その後の自分の医者人生、医者としての患者さんへの接し方を決めるきっかけだったと思いますね。神経難病であると診断のついた患者さんとその家族の方に、一生付き合っていく覚悟を決めて、「一緒に走っていきましょう」というメッセージを伝えるのですが、その瞬間に、いつも父親のことを思い出します。目の前の患者が父親だったら、どうしてあげるのが一番いいのか、自問自答しながら考える。そういう風な接し方をしています。

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次代を担う若い医師に思いを引き継ぐ

医者の基本は診断ができて、治療の計画が立てられるということ。しかし最近は、いったん病気になってしまうとその人の闘病生活をずっと支え続けなければならない、いわゆる慢性疾患と呼ばれる病気が多くなってきています。そんな中で、患者さんと一緒に病気と一生付き合い、心のサポートができるようなフォローがしたい。病気だけではなく、人間全体を診るという視点で患者さんと関わることを大切にしています。

また、患者だけではなく、その家族のサポートも重要です。介護保険制度がはじまっていますが、家族が生活しながら患者をサポートするためには、そのサービスをうまく使っていく必要がある。患者を支えることは家族を支えること、という視点も必要です。例えば患者に決まった時間に薬を飲んでいただくということにしても、家族を含めた生活パターンやリズム、環境の全体を分かっていないと、安定した長期のフォローができません。それを無視した治療をしても、絵空事にすぎない。特に長期にわたる病気の場合は、家族の方も含めた対応を考えていかないといけません。

今までやってきたことを今後も続けるためには、自分自身が心身ともに健康でなければなりませんので、もう少し自分の充実を図れるような充電日を取るように意識していきたいなと思っています。がんばり続けることも大事ですが、いずれは私も年齢を重ねてペースダウンをせざるを得ない、医者という活動を辞めないといけない時が来る。その時のために、今やっていることをこれからの時代を担う若い先生方に引き継いでいってもらいたいという思いを持っています。一人の先生ががんばるのではなく、それぞれの先生方がそれぞれのできる範囲で、私が今までやってきたようなことを踏まえた視点で、一人ひとりの患者さんにあたっていただけたら。そういった先生が一人でも多く地元に増えるといいなと思っています。地元の人たちがこれからもできるだけ長く、いきいきと生活できるようにサポートしていきたいですね。

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