西本博嗣
1970年生まれ、和歌山県出身。近畿大学商経学部を卒業後、ノーリツ鋼機に入社。2006年に同社を退社し関連企業で取締役、代表取締役などを務める。09年12月にノーリツ鋼機代表取締役専務を務めた後、10年に代表取締役就任。
http://www.noritsu.co.jp

INTERVIEW

私たちはM&Aで子会社や孫会社をいくつも抱えていますが、それぞれの事業計画や方針には一度も口出しをしたことがありません。どの会社にも文化や社風はあるもので、それをオーナーが変わったからといって色を塗り替えてしまうのはナンセンスだと思います。私たちホールディングス会社がやるべきことは、彼らが事業を行うために必要な人材やお金をそろえて、今まで以上にやりやすい環境を用意することだと思っています。「こうしなさい」「これをしてはダメ」と縛り付けるよりも、こちらがサポートする姿勢を見せたほうが相手も頑張ってくれるものです。

入社面接で「社長になります」宣言

西本博嗣

私が小学1年生の時に父が病気で他界し、母が女手一つで私と弟を育ててくれました。私が学生の間に祖父や祖母も相次いで亡くなり、「人は簡単に死んでしまうんだな」と子供ながらに死生観を抱いたものです。限りある人生で何が出来るのかということは今でもよく考えます。

大学時代、就職活動中にノーリツ鋼機の求人が目に留まり、締め切りは過ぎていたけれど無理を言って面接をしてもらいました。入社したら何をしたいか尋ねられたので、「社長になります」と即答してその場で失笑されたのですが、なんと後日採用通知が届いたんです。入社してからは、少しでも多くの経験を積みたかったので自ら手をあげていろんな部署で働かせてもらいました。社内のことは自分が一番分かっているつもりでしたね。

3年目に創業者である社長の秘書に抜てきされました。毎朝社長の自宅を訪ね、起床から就寝までずっと側でお世話をするんです。秘書というより、付き人ですよね。そんな生活を2年間送りました。社長から学んだのは、「良いと思ったものは、それを必要としている人の元へすぐに届ける」ということ。これが商売の基本なんですよね。時代が変わって人の働き方も変わったけれど、この基本は変わらないのだと実感しました。

その後、会社の年功序列で古い体質に反発して退社し、上京して知人と一緒にベンチャー企業を立ち上げました。その間ノーリツ鋼機では社長が他界。しかもメインだったフィルムの売り上げはデジタル化の影響で急落し、経営状態は一気に苦しくなっていました。入社した時から「いずれは社長に」と思いながらノーリツ鋼機の姿を社内外から見てきましたが、ついにタイミングが来たと思ったので手を挙げました。

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必要とされているならどんな分野でもいい

先代社長が戦後の疲弊した日本で生きていく手段として、そして人々に必要とされ喜んでもらえる手段として選んだのが写真の事業でした。だから私も今の世の中に必要とされていて、良いと思うことであれば何でもやろうという気持ちでしたね。社長就任後は、従来の写真の事業も継続しながらM&Aで新しい事業にも着手する道を選びました。当初、社員たちは会社を持続させることで頭がいっぱいだったので、今までと違うことをするのにはずいぶん反発もありました。

私は事業の分野や方向性にこだわりはありません。現在手掛けている事業は医療系をはじめ通販、太陽光発電から農業まで多岐にわたります。明日はまた別のことを始めるかもしれません。よく「アンテナを張っておくことが大事だ」ということがいわれますが、これは情報収集をするという意味ではなく、いつでも動ける状態にしておくということだと私は思っています。ホールディングスの役割は業界全体を見渡して、行くかとどまるか判断することですから。一つの事業の業績や数字に捉われるとフットワークが鈍ってしまいます。本当は私も営業に出向いたり畑を耕したりして現場にどっぷり浸かりたい気持ちはあるんですけどね。

私も若い頃は、迷ったり立ち止まったりしました。でも、世の中に対してあまり悲観的にならずに、言いたいことは言ってきたし、自ら動くことで状況は変えられると信じてここまで来ました。

若者の皆さんには、「Be creative, Do create」という言葉を贈りたいと思います。好奇心や興味を持って、自分のやりたいことを実践していってほしいですね。もし反対されたりばかにされたりしても、それを認めてくれる人や環境は必ずどこかにありますから、思い切って飛び出してみてもいいと思います。応援しています。

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