木村專太郎
1938年4月東京生まれ。九州大学医学部卒。医療先進国アメリカに12年間滞在し、病理学を修め、国立病院・アイオア大学で外科の研修を終え、州医師とアメリカ外科医専門医師の両免許を取得。2年間半、ERに勤める傍らでアイオワ州デモイン市で一般外科を開業。帰国後も中核病院で病院長を務めるなど、長きにわたり医療最前線に携わってきた経験を経て2001年4月に木村専太郎クリニック開設。
https://www.kimurasentaro.com/

INTERVIEW

私が医者になったのは1963年。その後65年に黒澤明監督の『赤ひげ』という映画を見て、感激しましてね。「私も色んな患者さんを診られる医者になりたい。専門の科目だけではなく、色んなことをしてあげられる医者になりたい」と思いました。あれから36年、63歳の時に自分のクリニックを開業し、“病と健康のよろず相談所”として、間口の広い診察を行っています。

アメリカで鍛えた技術を、日本の医療現場に生かす

木村專太郎

母が医者家系で、子どもの頃は私も医者になるように言われていたんですが、私は英語が好きだったので、英語教師を目指していたんです。でもある時、教師よりも医者の方が長く働けるんじゃないかと思って。医者になったのは、そんな単純な理由でした。医大を出てからは、英語が話せるという理由で、東京都立川市の米空軍立川病院でインターンをしました。そこは教育制度が整っていて、日本の病院との違いに驚いたものです。アメリカで外科のトレーニングを4年間受ければ、一人前の外科医になれるという予測ができましたね。インターン終了後、九州大学の外科で働いたものの、全然刺激が足りない。それで、アメリカに行く決心をしました。アメリカの医者は全科が診られる人が多かったので、私もそんな医者になりたいと思っていましたね。あれは1965年のことでした。

アメリカではまず、病理学の勉強で267体の解剖をして、その後臨床外科で研修をしました。そこで書いた論文を持って日本に帰国したら、九州大学で博士号をもらえたので、渡米したことは結果的に良かったですね。再び日本の病院に勤める中で、日本の医者にはできない執刀をしたんですが、快復した患者さんから「先生みたいな医者は、日本に居なきゃだめだ」と涙を流されたんです。その言葉は、それからもずっと頭に残っていましたね。ですが、受験のチャンスがあと1回しか残されていなかったアメリカの専門医試験を受けるため、再び渡米。アメリカ人でも70%しか通らない試験に無事合格し、現地で開業しました。同時にERでの勤務も並行し、全科の患者を診られる技術を身につけました。その後、急逝した日本の恩師の病院を助けるために、再び日本へ戻ってきました。

最終的に日本で開業したのは、アメリカで開業して日本の病院にも勤めたので、あと残っているのは日本で開業することだけだと思ったからです。開業は私の医者人生の集大成ですね。開業してから東京に分子栄養学を勉強しに行ったのですが、そのおかげで自分の胃がんを早期で見つけることができました。栄養学を学んだおかげで、患者さんも、私も、私の家族も健康になっている。勤務医として勤めながら新たな勉強をするのは難しいですし、勉強したおかげでこうして長生きできているわけですから、開業して本当に良かったと思っています。

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医者人生の最後は、あこがれの「赤ひげ」先生に

当クリニックは、技術はもちろん、患者さんとのコミュニケーションを大切にしています。今のクリニックに来る患者さんは、体調不良の原因が分からない人が多いのですが、血液検査をして、薬ではなく足りない栄養を補ってあげると、ケロっと良くなりますね。他の病院で治らなかったものが治ると、特に喜んでいただけます。

63歳で開業し、新たに栄養学を学ぶことにした時は、まわりから「気違いだ」と言われました。確かに、専門家はわざわざ新しいことを勉強しない傾向がありますが、これは人間の性質の問題。私は好奇心の塊なので、73歳でピアノの弾き語りも始めました。私は新しい道を見つけたら、行かないと気がすまないんです。道が続いているか行き止まりかどうかは、行ってみないと分からないですから。とは言え、最初にアメリカに行くときは、半年ほど悩みました。日本にいれば地位が約束されているけれど、渡米したら何があるか分からない。だけど、「きっと60歳になった時に、行っても行かなくても後悔する。どうせ後悔するなら行って後悔しよう」と思った瞬間、迷いがなくなりました。

松下幸之助が「もし35歳に戻れるなら、全財産を払っても良い」と言っていましたが、私は戻りたくないですね。あの頃の苦しいトレーニングを思い出すだけで、ゾッとしますから(笑)。今は、このクリニックで働いて、夜は飲み屋に行ったり、ピアノを弾いたり歌ったり、人生で一番楽しい時です。今の若い人たちには冒険心がなくて、外国に行くことも少ないみたいですが、これは残念なこと。もっと挑戦して欲しいですね。若い時から体を鍛えておくといいですよ。私は高校から大学まで剣道をしていて体力がありましたから、アメリカの病院で当直三昧でも平気でした。運動すると精神力もつくから、クヨクヨしなくて済みますよ。(笑)

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