木村護
1964年愛知県一宮生まれ。父親の繊維機械製造会社にて18歳の若さでフィリピンや韓国との海外営業を経験。
25歳の時に自ら伸光テクノスを設立。廃プラスチック油化装置や加水分解乾燥装置 など、独自の技術で廃棄物の適正処理と再資源化に貢献する。現在は、上海・韓国にも出先会社を設立。
https://www.shinko-mfg.com/

INTERVIEW

当社は環境機器の製造・販売等を多角的に事業展開しております。主には廃棄物を価値のある資源に変えていくことを生業としています。昨今はプラスチックのストローを紙にするなど、エコに対する意識も高まりつつありますが、出来ることはまだ山ほどあります。世の中にあるもの全ては価値のある資源というのが当社の考えです。廃棄物ゼロの社会を目指して、今後も地球の再生を助けるべくまい進していきたいと思っています。

日々研究、日々改善を重ねること

木村護

もともと私の地元である愛知県一宮は、日本一のウール生産地でした。当社の創業者でもある父も繊維機械の製造業を営んでおり、私自身も幼い頃から父の工場で手伝いをすることもありました。
しかし、それが好きな仕事だったというわけではありません。父が会社経営者だと理解するようになってからも会社を継ぐということにあまり興味はなく、自由奔放な学生生活を送っていました。学生を卒業した頃から徐々にその気持ちは変化し、「親を助けたい」という思いが募るようになっていきました。大学時代には自由な時間を使って東南アジアや欧米を自分の足で見て周る機会がありましたから、そこから環境問題にも目を向けるようになり、父の会社で環境の手助けになるようなことをしたいと模索するようになっていったのです。

父の会社へ入社したのはバブル崩壊の真っただ中でした。繊維業の業績もあっという間に傾いていきました。そんな矢先、とある大学の教授から相談を受ける形で、繊維機械を開発した経験を生かして環境機器を製造できないかという要望をいただいたのです。それが今の事業に転換する最初のきっかけになりました。
それから30年経ちますが、いまだに試行錯誤は続けています。環境問題は奥が深く、当初は失敗の連続でした。単に環境機器を造るだけでなく、使う人のことも考えながら日々アップグレードする必要もあったためです。そして時代や環境の変化ととも改善を重ねていくことで業績を軌道に乗せていったのです。
今では日本国内で研究開発を進めながら、インドネシア、中国、ベトナムと、海外に製造拠点となる工場を構えるまでに事業は拡大しました。海外でも合弁会社をつくるなど、よりグローバルな展開を加速させているところです。

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廃棄物を価値ある資源に

日本では現在も焼却炉で廃棄物を処理することがスタンダードになっていますが、実は世界の焼却炉の70%は日本国内にあると言われています。海外では当たり前になっているリサイクルという考えは、まだまだ国内では浸透していないのが現状なのです。
私どもの環境機器は熱分解でプラスチックを油に変えます。その作業に要する時間は3時間程度。よりスピーディーに廃棄物を再利用し、価値のあるものに変えています。
再利用せずに廃棄物を焼却すれば大気汚染の原因になったり、健康被害にも多大な影響を及ぼしますから、地球が再生するために当社はもっと事業を推進していかなければいけません。
またフードロスを肥料や燃料、ガスなどに変えていくなど、やれることはまだ沢山あります。ゴミからダイヤモンドができるかもしれませんし、そうした可能性も決してゼロではありません。まさにそうした意味でも廃棄物は宝ですから、今では当社の技術に着目していただき、大手電力会社やガス会社などからも多くの引き合いをいただいているところです。今後は10年後の未来に向けた種まきも必要ですし、それが経営者としての役目でもあります。現在はプラスチックからガスを精製する機械の開発に着手していますが、そうした新しい挑戦を止めないことも大事だと考えています。
私は今の仕事に就いてからというもの、好きなことしかやっていない、宇宙一の幸せ者だと思っています。なぜ好きなことを貫けるのかと言われれば、目標があるからです。目標があればやるべきことが明確になりますし、目標を持つことが幸せの第一歩でもあります。だからこそ若い方々も目標を持ち、自分が社長になるという気概を持って頑張っていただきたい。時には少し背伸びすることも大切なのです。当社もこれからの時代を創るためにも常に背伸びをしながら、社会から必要とされる企業であり続けていきたいですね。

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