釜谷正宏
1963年生まれ、石川県出身。86年旧建設省建設大学校卒業、佐川急便を経て、89年釜谷サービス設立。2000年に株式会社化、01年に有限会社エアコンデポ設立。09年に販売事業部を立ち上げ、総合ハウスメンテナンス会社となる。14年に社名を株式会社株式会社KSエンジニアリングに変更、15年株式会社KSネクスト設立。15年から17年にかけて環境省によるエネルギー診断機関、CO2削減ポテンシャル診断機関認定を受け、経済産業省ZEBプランナーに登録。現在、トータルエネルギーソリューションカンパニーとして事業展開中。
http://www.kse-corp.jp/

INTERVIEW

年中無休の町の電気設備工事会社が、日本各地へ数多くのメガソーラー級の発電所を土地から開発して投資家に提供し、設計施工・維持管理をするようになる。さらにはエネルギー使用時における提案型ソリューションを提供するという事業展開は、自発的に目指したものではありません。小さなステップアップの繰り返しと、「人との関わり」の積み重ねが招き寄せたものでした。人生を振り返ると、がむしゃらに、そして真摯に目の前の課題へ取り組むシンプルな姿勢が、新たな人と事を引き寄せ、自分の可能性を引き出してくれました。昔ながらの労働集約型ビジネスではあるがそこには小さな進化があり、人間に重きを置くことでビジネスを成長させる原点を見いだせるのです。

自分で自分の稼ぎをつくる

釜谷正宏

私は石川県の寒村で育ち、小学生の頃から早朝の新聞配達をしていました。部数はたったの72部でしたが、村中に配るには子供の足では時間がかかり、時には学校に遅れることもありました。近所の人たちが「頑張ってるね」と声をかけてくれるのがうれしくて、寒さや暑さも苦にせず続けていた記憶があります。ある冬の日、大切な新聞を全て川に落としてしまったことがありました。慌てて川へ入り、ずぶ濡れになりながら拾いあげたものの、とても読める状態ではありません。「大変なことをしてしまった」と動転しながらも、怒鳴られようとも配達しなくてはと覚悟を決めました。一軒一軒に声をかけ、謝りながら濡れた新聞を渡すと、驚いたことに誰も私を叱らないのです。「大丈夫か」とタオルや温かい飲み物をくれたり、「素直に謝ってえらいぞ」と褒められたりと、想像もしなかったことが起こりました。「失敗は正直に伝え、誠実に謝ることが大切なんだ」と感じました。

中学時代、新校舎造設のため、地元に自衛隊の施設課の方々が駐在されました。土木作業が終わると部活動で交流してくださり、その時に「陸上自衛隊少年工科学校」の存在を教わりました。高校生であり、国家公務員であり、自衛隊員でもある。変わった学校であることと横須賀という都会に憧れて、親に無断で採用試験を受け、一次試験を合格しました。そこで初めて両親に受験を打ち明け、「これからは自分の力で生きていきます。いままで育ててくれてありがとうございました」と伝えたのです。後に母から「予想もしない内容で、腰が抜けるかと思った」と、当時の心境を聞きました。

全寮制の工科学校へ入学すると、厳しい訓練と幹部候補育成のための教育を受けました。大変な環境ですが、仲間との暮らしは厳しいながらもとても充実していました。当時は必死についていくばかりでしたが、組織論やリーダシップ教育など、一生ものの知識が多く身につきました。年次が進むと専門課程を選択します。数ある職種の中で身近であった施設課へ所属し、土木関連の専門知識を学びました。

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必要なのは「真摯さ」ひとつだけ

工科学校を卒業し、さらに旧建設省建設大学校へ進みました。さまざまな資格を取得して卒業したものの、田舎に帰る前にせっかく都会にいるのだから何かにチャレンジしてみようと考えました。自衛隊で鍛えた体力と根性を元に厳しくても稼げる仕事をしてみようと思い、まさに「厳しいが稼げる」ことで有名だった佐川急便に就職しました。佐川マンは「セールスドライバー」として、荷物の配送に加えて営業や集金も行います。私にとっては面白い仕事でした。セールスドライバーは客先に人気で、当時はバブル期の人材不足で取引先などからよく引き抜きの声がかかりましたが、あまり興味はなくこの面白くて稼げる仕事を続けるつもりでした。しかしある日、協力会社の信頼できる方から「一緒に仕事をやらないか」と誘われ、仕事内容や条件も聞かずに「やります」と即断即決で答えました。理由はわかりませんがなんとなく「この人なら大丈夫だ」と感じたのです。結果的に人生を大きく変える良い決断でした。

起業することとなった仕事内容は自動販売機の設置業務でした。ここでもがむしゃらに働き、半年ほどで見習いを卒業して独立しました。その後事業を拡大して社員を増やしていきました。ある優秀な社員がエアコンの設置技術を持っていたので、その力を最大限に生かしてあげたいと思い、大型の家電量販店と新しく工事契約をしたのですが、始まる1カ月ほど前にやむを得ない事情で当の社員が会社を離れることになってしまいました。新しい事業を始める資金も借りて準備も進めていた矢先の大事件です。私を含めて誰も工事などできませんでしたがこれも何かの試練だと気持ちを切り替え、「絶対にできるんだ」と自分に言い聞かせ、社員総出で知識を身につけて、エアコン設置を始めました。しかし、わずか1カ月の素人職人の付け焼刃ではどうしてもミスやトラブルが起こってしまう。せめてアフターケアだけは迅速に行おうと電話があれば直ちにお客様の元へ伺い、お詫びの菓子折りも持参し修理にあたったのです。菓子折りは常時車にダースで積んでいました。ミスは当然予想していましたからスタッフに、お客様に工事終了後「何かあったら本部は忙しく連絡がつきにくいので先ずはここに連絡をしてください」と私の携帯電話を教えるようにしました。私は現場周辺にいるようにしてすぐに駆け付け、菓子折りを渡し手直しして対応していました。お礼を言われると「それは本部の方に連絡してください」と言って回りました。夏の繁忙期が終わり突然契約元の本部に呼び出されました。自分たちなりに頑張りはしたがミスも多かったので契約解除を覚悟して向かうと、「あなたたちは新人もいてミスも多かったが、お礼の電話も一番多い」と言われました。呼び出しの要件は「今後はメイン発注先にしたい」というものだったのです。子供の時の新聞配達と同じことが起こり、真摯に対応することが信用を得ることにつながるのだと改めて感じました。

国による太陽光発電の推進とともにソーラーパネルの設置業務を始めると、取引先から「営業活動も請け負ってほしい」と熱心に頼まれるようになりました。そこで、営業が強い会社をM&Aして社内に営業部を作り、販売・施工会社へと事業を拡大しました。また、住宅用太陽光発電の需要が一段落した後、産業用太陽光発電(メガソーラー)事業が国内で始まる時期になりました。その状況を関係各社にヒアリングすると、誰も全体像を理解していないということがわかりました。私は既に住宅用の太陽光発電事業の経験と、土木関係の知識があったので、「誰も知らないならチャンスだ、この分野の『先生』になってやろう」と勉強した結果、講演や著書の依頼を多くいただきそこから日本各地のメガソーラー開発事業に関わることになりました。工事会社は一般的に下請けとなる構造ですがこの十数年私たちは一貫して自分たちで商品を開発し、営業し、施工しています。電気を作る事業から、電気を使わないためのエネルギーソリューションを提案する事業へシフトした現在も、自社で直接営業を行い、現場の先頭に立っています。

これらはすべて人との関係の積み重ねの先に見いだしたソリューション(問題解決)です。現状の問題を見据えつつ一歩先を想像し半歩先を生きて、真面目に人と向き合い、顧客と自分たちの問題を改善していく。現場作業だけでなくこうした働きかたをする職人(エンジニア)を、私たちは「セールスエンジニア」と定義しています。私たちは、いま世界で注目されるような先進的な企業ではありません。昔ながらの労働集約型で、べったり地に足のついた「技術と資格と現場」を持つ仕事だからこそ、社員が人生全体をイメージできる働きかたのロールモデルを示せると考えています。セールスエンジニアは自分の人生を豊かに生きて楽しんで働ける仕事なんだ、と大きな声で伝えたいですね。

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