郭水泳
1966年広島大学卒。68年国家試験受験・受領。東京大学脳神経外科入局。立体視(3Dステレオグラフィー)研究会創設、世話人。東大脳血管研究グループ。72年米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校に留学。神経放射線科、神経内科、神経眼科。スウェーデン・カロリンスカ大学神経放射線科短期留学。73年福島県会津中央病院脳神経外科。76年会津脳卒中センター開設。日本初の全身用CTデルタスキャン導入。77年リハビリ病棟開設。86年のう救会・脳神経外科東横浜病院開設。
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INTERVIEW

人は一生「考える」ことができます。高齢で物忘れが激しくなっても、今はスマホをはじめとしたツールが、いわば脳の一部として記憶し、思考の手助けをしてくれます。忘れないのではなく、覚えなくてもよくなるわけです。私も普段、気になることや、アイデアはこまめにスマホにメモ、撮影してEvernoteに記録し、日々の思考に生かしています。これからも、可能な限り現役で診療に当たるとともに、人生100年時代の「考える」スタイルを皆さまにお伝えしていきたいと思っています。

脳の救急医療で多くの人を救いたい

郭水泳

私が最初に、救急医療の大切さを思い知らされたのは12、13歳のころ。10歳下の甥(おい)が急に高熱を出し、真夜中に診てもらえる医者を探した時です。町中を駆けずり回りましたが診てもらえず、涙が出るくらい悔しく、医者の家に石を投げて窓ガラスを割って、ひどく怒られたのを思い出します。救急の脳外科を選ぶきっかけとして思い出すのは、医師になりたてのころに診た、脳出血で搬送された女性。その時、部長らが出払って院内には若い私しかおらず、不安と緊張の中「とにかく出血をどうにかしないと死んでしまう」と思い、脳に針を刺して血を抜くと、急に脳が拍動して一命を取り留めました。その時の私の安堵感は今でも忘れられないのですが、同時に、救急の脳外科というものの必要性を強く感じたのです。
もう一つ印象的な出来事が、小笠原諸島返還1年後の1969年。都立病院で当直していた時、父島で交通事故が発生したということで、東京都衛生局から脳外科医の派遣要請があり、私しか該当者がいなかったため、松戸から自衛隊の飛行機で父島に向かいました。水陸両用機で島に上陸し病院に行くと、事故に遭った2人の患者は極めて危機的な状況にありました。自衛隊から派遣された看護師さんと協力して治療し、なんとか命を助けることができました。

これらの事例は、私に「脳は面白い」とも思わせました。脳には未解明な部分が多く、確かに難しさはあるのですが、症状と病気が一対一に対応していて、診断が付きやすい面もあります。患者の脳のどこに問題が発生しているのか、症状から必死で考えて答えを出し、時間との勝負で措置する。そのわかりやすい仕事が自分に合っている気がしました。また当時、脳外科を選ぶ医師が少なかったことも、面白そうだと思った要因でもあります。先輩からは「脳外科は患者が少ないので飯が食えないぞ」と止められたのですが「脳の救急医療で、一人でも多くの人の命を助けたい」という使命感が高まり、脳神経外科として生きていく決意が固まっていきました。1976年に、会津脳卒中センター、そして1986年に、のう救会・脳神経外科東横浜病院を開設。「救える脳(命)を救う」の理念のもと、救急患者を「絶対に断らない」方針で、長年にわたり地域救急医療にまい進してきました。

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いつも心に「think about」を

脳は思考をつかさどる臓器ですが、私の人生はまさに「考える」ことの大切さを教えてくれた先生がたに導かれてきました。生意気だった子ども時代、私は大人を言い負かしてやろうと、小学校の授業の後、先生を質問攻めにして困らせていました。鬱陶しかったと思いますが、先生は、当直の時に夜まで徹底して質問に付きあってくれました。今考えると優しい先生で、ずいぶんかわいがってもらいました。
広島大学で印象に残っているのが、病理学の飯島宗一教授。学生運動の全盛期、団交の学生を論破してしまうことで有名な先生でした。飯島先生にも何度も質問しましたが、「下手の考え休むに似たり」と諭された。「しっかり考えて質問しなければだめだ。そのために本を読め」と、読むべき100冊のリストを作ってくれました。医学だけではなく様々なジャンルから選ばれていて、遠藤周作の『海と毒薬』などの小説もありました。先生の影響を受け、医学方法論研究会という読書会を作って先生に顧問になってもらったこともありました。

医師になった後、1972年に留学したカリフォルニア大学サンフランシスコ校のホイット教授も思い出深い存在です。症例のカンファレンスで先生が発言すると、その論理性で、それまでかんかんがくがく話し合っていた医師たちが皆納得してしまう天才的な方でした。私が研修医としてなぜ採用されたのかわかりませんが、たどたどしい英語で質問する姿勢が面白がられたのかもしれません。米国では、受動的に先生の話を聞いているだけだと、無視されてしまいます。最初は的外れの質問ばかりでも、だんだん相手が良い反応をする質問がわかってくるものです。そのホイット先生が繰り返しおっしゃっていたのは「think about」。つまり、ただ考える(think)のではなく、常に何かについて(about)考えなくてはならないということ。今に至るまで私の指針となっている言葉です。私の若いころは、脳の中を外からのぞくことはできないため、とにかく症状を見て考えて、原因をつきとめる必要がありましたが、今はCTで外部から脳の状況が明確にわかるようになり、治療の現場も随分変わりました。しかし、技術は発展しても、医療にとって考えることの大切さは変わりません。常に問題意識を持って考える「think about」の精神を後進に伝えていきたいと思っています。
私がいつも仕事場に置いているのが、ロダンの『考える人』のレプリカ。「考える」という行為自体が好きです。何かしら「宿題」をもって、喫茶店でじっくり考えるのは至福の時。考えて、考えて、答えが出た時の喜びは何物にも代えがたい。若い人にも、単に知識をため込んだ「物知り博士」ではなく、知識をベースに演繹(えんえき)し、思考を発展させる楽しさを知ってほしい。考える習慣は、これからの人生を限りなく豊かにしてくれるはずです。

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