加賀見俊夫
1936年生まれ。東京都出身。58年に慶應義塾大学卒業後、京成電鉄株式会社に入社。72年に出向先のオリエンタルランドに正式入社。不動産事業部長や取締役総務部長、常務取締役開発室長、専務取締役広報室長、取締役副社長を経て、95年に代表取締役社長就任。2005年に代表取締役会長兼CEOに就任。1983年の東京ディズニーランド、2001年の東京ディズニーシーの開園に尽力。年間3000万人をこえる来場者を誇る国内ナンバーワンのテーマパークに育てあげた。
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INTERVIEW

私の好きな言葉で、「初心に返る」という言葉があります。常に自分の原点に立ち返り、物事を判断する必要があると思うからです。苦しい時にこそ初心を忘れず、まっさらな気持ちで何事にも挑戦していく。今でも私は、そうした気概で日々の仕事にとり組んでいます。1983年、東京ディズニーランドが開園した時の喜びは今でも忘れられません。当時の感動を今の時代にも引き継いでいきながら、舞浜を世界一のリゾートエリアにしていきたい。初心を忘れずに壮大な夢を描いていきたいですね。

夢の実現にむけた、経理部からのスタート

加賀見俊夫

私の社会人としてのスタートは、大学卒業後に京成電鉄へ入社したことから始まります。
当時、入社試験の試験官を担当していたのは、後にオリエンタルランド初代社長となった川﨑千春さん。すぐに採用は決まったものの、総務部への配属を希望していた私の意に反して、経理部への配属を言い渡されました。それが私の仕事人生における、最初の分岐点になっていったのです。
全くと言っていいほど経理の勉強をしていなかった私ですから、入社から半年ほど経つと業務が思うようにいかなくなり、焦りを感じるようになっていきました。そして仕事の傍ら、約2年半かけて自ら簿記の学校に通いつめたのです。簿記や原価計算など、経理のエキスパートとしてありとあらゆることを徹底的に学んでいきました。
その経験が大きな付加価値となり、トップの立場となった今でも大いに役立っています。数字に強いことは経営者としても武器になりますし、会社の実態を理解する上でも重要な知識。そうした実績が評価され、1960年のオリエンタルランド設立の際には、事務担当者として会社の定款作成にも携わりました。それが当社に関わることになったきっかけにもなったのです。
その頃は私も若かったですし、一人の事務担当者として、川﨑千春さんが描く東京ディズニーランド創業の構想を絵空事のように聞いていました。とにかく会社をつくるということに精いっぱいでした。もともと潤沢な資金があったわけでもありません。舞浜に一大レジャー施設をつくるなど、まさに夢のような話だったんです。当初はディズニーランドを誘致する話を米国本国に持ちかけても、門前払いの状況でした。日本に進出させるつもりはないと突き返されてしまう始末です。しかし何とか構想を実現させようと社員一丸となり、その頃から世界中のレジャー施設をリサーチ。そうした経緯を通じて確信したことは一つ、間違いなくディズニーランドは、大人も子どもも楽しめるファミリーエンターテインメントであるということでした。

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仕事を楽しみ、いつまでも夢を見ながら

その後もディズニーとの交渉の中で様々な課題が持ちあがりましたが、辛抱強く説得を続け、諦めずにここまでこれたのも、「何とか素晴らしい世界を日本の方々にお見せしたい」「どんなことがあっても誘致を成功させる」という強い意志が原動力になっていたからだと思います。東京ディズニーランドの実現は、それだけ大きな魅力を秘めたプロジェクトでした。
そして1983年、その思いが結実する形で東京ディズニーランドが華々しく開園。「夢への一歩を踏み出し、ようやく決まった」という安堵感に浸るのもつかの間、「本当にお客様に来ていただけるのか」という不安が私たちの前に立ちはだかりました。開園当初は1千万人の来園者数を目標に掲げていましたが、それは無理だと嘲笑する人も少なくありません。3年もすれば閉園に追い込まれると噂する者までいました。しかし、そんな逆境も乗り越え、晴れて1年目で1千万人を突破。その後も来園者数を大きく更新し続け、年間3000万人をこえる来場者を誇るまでになっています。
苦楽を共にする全従業員は、当社にとって何よりの財産です。東北大震災が発生した際も、当社は約1カ月もの間休園をしましたが、アルバイトに対して6割の給料を補償させていただきました。従業員を財産とする会社である以上、そうしたことも当然の行いだと思っています。
そして今後は、全従業員が一丸となり、もっともっと舞浜のイメージを刷新し、変えていきたい。舞浜を世界でここだけのオンリーワンの場所として成長させ、常に創造と進化の絶えない場所にしていきたい。仕事はチャレンジすることであり、楽しむこと。どんな失敗があったとしても、そうした目標や夢に向かうことが楽しみで仕方ありません。

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