池森賢二
1937年生まれ。三重県出身。59年小田原瓦斯株式会社に入社。73年に退職し、80年に無添加化粧品事業を個人創業。翌年に株式会社ファンケルを設立し、代表取締役社長に就任。98年に株式を店頭公開し、翌年に東証1部上場。
2005年に名誉会長となり、経営の第一線から退く。同社の経営を立て直すため、13年6月に代表取締役会長執行役員に就任。不採算事業の撤退や組織再編、社内大学の設立など、スピーディーに改革を進めている。現在は一般社団法人日本発芽玄米協会会長なども務める。
https://www.fancl.jp/

INTERVIEW

当社は化粧品事業とサプリメント事業を柱に据え、移り変わりの激しい時代の変化とともに成長を続けてきました。私自身の仕事人生においても、時代の変化に順応しながら与えられた仕事に無我夢中で取り組み、どんな仕事でも自分の稼業として捉えてきたことが、成長の要因だったのではないかと感じています。そして、固有のビジネスは永遠に続くものではありませんから、常に「不」の解消を試みていかなければいけません。そのための挑戦を今後も続けていきたいと思っています。

無我夢中で取り組む先にあるもの

池森賢二

結婚を機に小田原にある都市ガス会社に就職。プロパンガスの部署に配属され、小田原市内や箱根一帯を巡回しながらボンベの配達や工事業務に従事することから社会人生活をスタートしました。私は与えられた仕事に夢中になるタイプで、何事も徹底的に吸収していくことがプロとして当然の務めだと考えていました。自ら率先して高圧ガスの作業主任資格を取得したことも、そうした仕事への情熱があったからにほかなりません。そうした取り組みが評価され、同業他社からのスカウトもあったほどです。しかし、このままで自分の一生を終えていいのかと思い悩み、自らの力で起業したいと考え、15年間勤め上げた会社を37歳で退職。新たな船出を決意したのです。

17人の起業家が出資者兼代表者となり、雑貨のアイデア商品販売を営む会社を創業しました。しかし2年ほどで資金を使い果たし、揚げ句6千万円に及ぶ多額の借金を抱えて廃業。私は一気に崖を滑り落ち、借金返済に奔走する日々を送ることになりました。そんな時、新たな稼ぎ口となったのは、兄が東京で営んでいたクリーニング店の外交でした。現実はそんなに甘くないと考えていましたが、合理的に物事を考え、深夜に回収するクリーニング店がなければ深夜に外交に出向く。そんな創意工夫を続けていくうち、瞬く間に成果を上げていきました。その成功報酬を元手に2年ほどで借金を完済。無我夢中でやれば何とかなるものだと、大きな自信にもつながったものです。

しかし借金を返済した矢先、家内とのささいな出来事が、その後の人生を大きく転換させます。家内はもともと化粧品が大好きな女性でしたが、肌荒れで困っていると言うのです。本来、肌をきれいにするはずの化粧品が、女性の肌トラブルの一因になっていることに疑問を抱きました。当時は化粧品公害が流行していて、知人の皮膚科医に聞いたところ、肌荒れに悩む女性の大半が化粧品による接触性皮膚炎が原因なのだと聞かされました。市販されていた化粧品の多くは防腐剤や香料などの添加物が多く含まれており、必要悪だということがわかったのです。そこで私は、添加物を一切含まない化粧水サンプルを知人の技術者に作らせました。しかし唯一の問題になったのは消費期限。防腐剤などを含まない化粧水は、1カ月ほどで使えなくなってしまうのです。それであれば1週間で使い切れる容量にして販売すればいいと考え、当時主流だった100ccの容器を5ccの容器に置き換えました。それが無添加化粧品を売りにしたファンケルのスタートとなったのです。

  • 池森賢二
  • 池森賢二

ビジネスの根源は、正義感

業界の常識を変えるのは、異業種からの参入者です。私が化粧品業界にいる人間であれば、そうした発想は生まれなかったかもしれません。そして私の行ってきたビジネスは、全ては正義感から成り立っています。サプリメント事業にしても、これだけ世の中が豊かになっているにも関わらず、幅広い世代で生活習慣病がはびこっていている現状に疑念を抱き、健康の偏りをなくすためにはどうすればいいのかという正義感が芽生えた結果、高品質・低価格なサプリメントの開発に成功しました。

現在、日本の医療費は42兆円を超えていますが、それを社会保障費で賄うのは困難です。そのための打開策は、そもそも病人をつくらないことでしかありません。だからこそ健康を促進するサプリメントを開発し、世の中に送り出せたことに、大きなやりがいも感じています。我々が開発した商品によってお客様に喜んでいただけたときは、本当にうれしい。「ファンケルの商品で育ちました!」という若い方々の声を聞くと、とても感慨深いものです。

私は「不」という言葉をよく用いますが、不安を安心に変える、不便を便利に変える、不快を快適に変える。そうした「不」の解消がどんな事業にでも通用するものだと思っています。生活の中で少しでも不安や不便や不快があるのであれば、自分なりにそれを解決するための策を見いだしてほしい。それが世界の常識を変え、新たなビジネスの原点になると思うからです。私自身もそうした「不」の解消を続けていきながら、若者たちに夢を与えられるような年配者でありたいと願っています。共に頑張っていきましょう。

ページの先頭へ