飯山晄朗
1969年生まれ。富山県出身。家電メーカー、商工団体での経営指導員を経て2006年にメンタルコーチ、経営コンサルタントとして独立。石川県金沢市を拠点に全国で経営者や教育関係者、アスリートらにメンタルトレーニング、コーチング、講演などを行っている。
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INTERVIEW

企業や組織のビジネスコーチとしてコンサルティングや研修を行い、一方で高校野球チームやオリンピック選手のメンタルトレーニング、さらに教育者向けのセミナーなども開いてきました。コーチ冥利に尽きる場面に幾度となく立ち会い、講演・研修講師としての活動は延べ3000時間、受講者数は15000人超にのぼります。でも、まだまだ知ってほしいことがある。日本を元気に、そして日本の良さをもっと世界に広めるお手伝いができればと思っています。

合言葉は「必笑」

飯山晄朗

以前は主に企業経営者や幹部社員の皆さんに教育研修をしていました。変化が起き始めたのは7年前、出版社から「高校野球を題材に社員教育の本を書いてほしい」との依頼が舞い込んだ頃からです。2013年から地元の縁で星稜高校野球部のメンタル面の指導をしていたのですが、14年の夏の県大会決勝で9回裏に0対8をひっくり返すという大逆転勝利を収めたことが全国ニュースになり、選手が僕のメンタルトレーニングを受けていることまで知られるようになったのです。
球児に教えた内容をまとめた本は翌年、上梓することができました。そこにも書いた指導法のひとつに「表情を変えろ」というのがあります。まずここからスタートするのがおすすめの基本のトレーニングで、歯を食いしばるのをやめて表情は笑顔に。苦しいときこそ笑顔になるというものです。笑うことで心身共に緊張がほぐれ、気持ちがプラス方向に向いて力を発揮しやすくなる。その癖をつけさせるのが狙いです。僕も野球部出身で、一時はプロを目指すほど入れ込んでいましたから、選手の気持ちはよくわかります。星稜野球部の場合は、普段の練習の時から笑顔を徹底したことが、あの大逆転劇につながったと思います。0対8で負けていても選手がにこにこしていたので、事情を知らないOBはけしからんと怒っていましたが(笑)。

その後はスポーツ選手のメンタルコーチをする機会が徐々に増え、スピードスケートの髙木菜那選手が平昌五輪で史上初の女子ダブル金メダルを獲得したり、女子テニスの日比野菜緒選手がジャパンオープンで史上初のシングルス・ダブルス同時優勝を遂げたりと、皆それぞれにすばらしい活躍を見せてくれました。
彼女たちのようなアスリートであれ、ビジネスパーソンであれ、持てる力をいかんなく発揮できるようにするのが僕の仕事です。それも、最もしびれる重要な場面で力を出せるようにするのです。例えばチームプレーであれば、常に皆が同じ方向を向ける合言葉を決めておくのも効果的な方法です。星稜野球部の場合は「必笑」でした。これは僕の創作ではなく、選手たちに「考えてごらん」と投げかけたら出てきたもの。なかなかいいセンスをしていると思います。

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日本の力を世界へ

かつては私も会社勤めをしていました。最初の就職先は家電メーカーで、営業職志望でした。その理由は“街のでんきやさん”のようなお店の営業支援をしたかったから。幼い頃、父が小さな店をやっていたのですが、経営に失敗してやめてしまったことや個人商店経営の難しさをいくつも見聞きしてきたことも背景にあったと思います。
しかし希望通りとはいかず、配置されたのは大手量販店の商談担当でした。扱う数字は大きく、流通について学ぶこともできましたし、いつしかトップセールスも記録するようにもなりましたが、物足りなさは否めません。もう十分だ、次のステップを踏み出そうと転職を決意しました。自分はアドバイスをしたりコンサルティングをしたりする仕事が向いている。ならばそれを生かせるところへ行こうと、商工団体の経営指導員になったのです。地域の経営者の皆さんの支援にあたりながら、今度は財務や金融について学ぶことができました。

商工団体への転職に際しては、10年経ったら独立するか、ステップアップを目指して転職するか、それとも組織の中で上を目指すかを判断しようと決めていました。そのかわり、10年間はなりふり構わず働こうと覚悟もできていました。時間を見つけて中小企業診断士の資格を取り、これからはコンサルティングだけでなくコーチングも必要になると考え、東京のコーチングスクールにも通い続けました。
経営コンサルタントとして独立を決めたのは2006年、36歳の時でした。ところが、どうやってお客さんを見つけたらいいのかわからない。ありがたいことに、これまでお付き合いのあった皆さんが助け舟を出してくださり、何とかスタートを切ることができました。皆さんの協力がなかったら、今頃違う仕事をしていたかもしれません。集客には2004年からすでに始めていたブログも役に立ちました。その後、メルマガも活用しながらほぼ毎日書き続け、通算の投稿回数は5000回を超えました。

今後は日本のすばらしさを世界に発信するような仕事をしたいと考えています。例えばコーチングにしてもメンタルトレーニングにしても、もとは欧米由来のものですが、日本流にさらに進化させることは可能ですし、それを世界に広めるのも夢ではないと思います。私の好きな言葉に「決めれば風は吹く」というのがあります。自ら決断して動き出すことで物事は変えられる。動かなければ何も変わらない。日本が前よりもっと元気になって、世界中で「日本はすごい」と驚かれる日はきっと来ると思います。

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