出居貞義
1958年生まれ。栃木県出身。自治医科大学産婦人科学教室に入局。99年には不妊部門の主任となり、その翌年に上都賀総合病院の産婦人科病棟医長を歴任。その後は各地で常勤・非常勤医師として活躍し、2004年に大宮レディスクリニックを開業。独自の視点から不妊のメカニズムを解明、研究を続けるスタイルで、不妊に悩む多くの患者の期待に応えている。
http://www.omiya-lc.com

INTERVIEW

2004年に開業した大宮レディスクリニックは、最先端の不妊治療を行うクリニックとして、安全な妊娠、無理のない妊娠をモットーにしてきました。患者様からは日々、「妊娠しない」「その原因を知りたい」といった様々な相談が寄せられます。そんなときに私はいつも、常識を疑います。患者様に適した医療は何なのかと考えると、今の常識に当てはまらないことだってあると思うからです。そして徹底的に探求すること。それが医師として当然の務めだと考えています。社会で働くみなさんも、わからないことがあれば勉強する、できないことがあればできるように努力する。そんな当たり前のことを日々コツコツと続けていきながら、常識を疑い、新しいことにどんどんトライしていってほしいと思います。

当たり前のことを、コツコツと

出居貞義

幼少の頃から本が大好きで、図書館に通っては本を読みあさっていました。スポーツをするにしても本を読むにしても、何事もコツコツと身に付けていくような性格だったと思います。そんな中で医者を志すようになったのは、母の勧めが大きな動機になりました。主体性のない性格でもあった私は、自分の意見を通すわけでもなく、自然と医師の道へ進むことになったんです。とはいえ、勉強では大変苦労をしました。それでも少しずつ、コツコツとやるしかない。それが私の信条だったんです。

その後、なんとか国家試験を通り、大学病院の産婦人科に入局。新人研修医としての生活が始まりました。当時は当直も多く、週の5、6日は泊まりがけ。今振り返るとかなりのハードワークだったように思いますが、体は丈夫な方でしたし、とにかく無我夢中で医療を学びました。研修医として2年間を終えた後は、無給で大学病院での勤務をしながら、夜になると自分の研究にいそしむ毎日です。決して楽しいだけの思い出ではありませんでしたが、本当に良い経験になりましたね。

当時は新人でしたし、見ることやることすべてが初めて。すべてが学びにつながります。とくに産婦人科医という仕事は、子どもが生まれてから人が育っていくまで、様々な過程をみていく医療ともいえますから、人に寄り添っていく素晴らしい仕事なんだと改めて感じました。

産婦人科の治療を極めていこうと学ぶうちに、最先端医療が必要とされる不妊治療の分野で頑張っていこうと決意したのも、まさにこの頃です。不妊治療というのは、生命が生まれるその瞬間に立ち会う仕事であります。そこには人の喜びや笑顔があり、大きな感動があります。微力ながらもその一助となれることは、大きなやりがいになっていきました。それからはさらに研究と勉強を重ね、日々知識を吸収するように努めていきました。当たり前のことですが、本当にコツコツと積み重ねていったんです。

  • 出居貞義
  • 出居貞義

医師としての本望を突き詰める

大宮レディスクリニックを開業したのは2004年のこと。それまで着々と準備を進めながら、なんとか開業の日を迎えました。埼玉県は人口が多いにも関わらず、患者1人当たりの医師の数が少ない地域でもあります。そこに目をつけ、特に人口密度の高い大宮の地で開業することを決めました。つまり、私にとっては縁もゆかりもない土地です。起業当時はクリニックの存在を知ってもらうことから始めなければいけませんでした。夜の8時まで受付を延長し、土日も診療。そこから少しずつ患者様が増えていったんです。

当時のエピソードとしてよく覚えているのは、体外受精をはじめて当院でしてくれた方のこと。その方は体外受精の採卵を受ける時に、私に「命を預けます」とおっしゃいました。それだけ患者様は不安を抱え、治療を受けているということです。だから現在、当院の治療方針は「安心して受診できる信頼できるクリニック」。患者様の声を真摯に受け止めながら、気軽に相談してもらえるクリニックを目指していきたいと思っています。

苦しんでいる方がいればなんとか助けてあげたいと思うのは、医師である私の本望です。そこで手助けができたらそれ以上の喜びはありません。しかし、その喜びを得るためには、日々の鍛錬が必要ですし、うまくいかない医療があればうまくいくまで努力しなければいけません。逃げずに真実を突き詰めていくからこそ、糸口は見えてくるものなんです。

ページの先頭へ