一瀬邦夫
1942年生まれ、静岡県出身。高校卒業後、キッチンナポリ、旧山王ホテルでコックとして修行を積み、70年に「キッチンくに」を開業。94年から「ペッパーランチ」を国内外にFC展開。2006年、上場を果たす。13年には「いきなり!ステーキ」を展開。
https://www.pepper-fs.co.jp/

INTERVIEW

昔、経営難で倒産寸前まで追い込まれた時期がありました。当時の私は、叱れない経営者でした。従業員が辞めては困るので、甘くなっていたのです。弱気なリーダーに人はついて来ないと気づいてから、スタッフときちんと向き合い、言うべきことをきちんと言うようになりました。そうすると、会社は一気に良くなったんです。今も従業員とはとことん話をしますし、厳しく叱ることだってあります。叱らないほうが楽ですよ。叱るのは面倒ですし、嫌われるかもしれませんし。それでも叱るのは、愛があるからです。

日本屈指のコックを目指して

一瀬邦夫

子供の頃は、母と2人暮らし。小学生の頃から、病気がちな母に代わって私が一人で食事を作っていたんです。この経験が、料理人としての私の原点です。当時はガスがなくて、七輪で火をおこして味噌汁を作りご飯を炊いていました。うまくできると母が褒めてくれたのがうれしかったですね。火加減や塩の加減、料理をする上で大事なことは身体に染み付いていきました。

高校を出ると、日本で五本の指に入るコックになろうと意気込み、浅草の洋食屋に見習いとして就職しました。最初の仕事は洗い物や出前の配達ばかり。当時は大半が中卒で働く中、私は高校を出ていましたから、プライドもあって「どうしてこんな雑用を」と思っていましたね。でも出前を持っていくと、お客様はとても喜んでくれるんです。誰でもこんな経験を積み重ねてえらくなっていくのだと気づき、大切な経験だと思えるようになりました。厨房で、ステーキの切れ端の脂身のところ部分を食べて勉強するのですが、それがおいしくて。いつか、たらふく食べたいと夢見ていましたね。

その後、日本一忙しいと言われる上野の洋食屋と赤坂の山王ホテルで経験を積み、独立したのは27歳の時です。立ち上げたのは、12席しかない小さな洋食屋。これからは牛肉の時代だと思い、ステーキを看板商品にし始めました。味と品質にこだわり抜いたステーキなのでどうしても値段が高く、最初は思うように売れませんでしたが、しばらくするとリピーターになってくださるお客様も増え、いつの間にかステーキの専門店になっていました。

36歳の頃には、60席以上の店を構え自社ビルを持つこともかないました。ところが従業員が定着しないんです。私は夢をかなえた気でいましたが、従業員が将来に夢や希望を持てる会社ではなかったんですね。だから仕事を覚えたら出ていってしまう。従業員のためにも、店舗を増やして会社を大きくし、上場しようと決意しました。

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周囲の大反対の中で誕生したペッパーランチ

とはいえ、今のペースで人を育てて店を作っていくと膨大な時間が掛かります。そこで編み出したのが「コック不要」のビジネスモデルです。電磁調理器や特殊な鉄板を導入して適切な温度と焼き時間を設定し、素人でも短時間で簡単に調理できる仕組みで、お客様も安価で肉料理を楽しむことができます。このマニュアルは私がコックだからこそ作ることができたものです。

ビジネスをする上で「自分が客なら何度でも食べたいか」を判断基準にしていますが、絶対に大勢の人に喜んでもらえると確信しました。ところが、周囲には大反対されました。そんなビジネスモデルはありえないと言うのです。でも、ないからやるんです。失敗を恐れて一歩踏み出せない人がなんと多いことでしょう。山に登っていけば、下では見えなかった景色がどんどん見えてくるものです。

その後フランチャイズ化を展開し、国内外に店舗が増えて夢の上場も果たしました。その後も狂牛病や事件事故もあり何度も窮地に追い込まれましたが、従業員はみんなついてきてくれました。私が「ワンマン」を貫くことで数々のピンチも乗り越えることができたのだと思います。 早くリタイアして老後を楽しく過ごしたいと考える人もいるかもしれませんが、仕事から得られる喜びと遊びから得られる喜びは違うと思いますね。仕事が趣味でいいじゃないですか。仕事と音楽、人が喜んでいる顔を見るのが私の趣味です。

私もみなさんのように若い頃がありました。その頃と比べると、今の若い人たちはずいぶん進んでいると思います。それを見て、とても頼もしく感じます。若い人たちには、常識にとらわれないでほしいですね。常識なんて、時代が変わればあっさり覆るものです。好奇心とチャレンジ精神を忘れずに、頑張ってください。

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