平松洋一郎
1980年生まれ、三重県出身。甲南大学法学部経営法学科卒業後、営業職を経験。2007年ヒラマツ入社。13年、代表取締役就任。車両洗浄機械や水門・橋梁部品等の開発、製造販売を手がける。15年には福祉事業部も開始。20年、ダイホウ西日本代表取締役社長兼任。
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INTERVIEW

祖父が作ったこの会社を、いつか長男の自分が継ぐのだろうなと思いながら育ちました。三代目として生まれた宿命は最大限にまっとうしたいと今でも思います。先代が築いてきたものを生かしながら、従業員とその家族たちの生活を守っていきたいですね。
将来は、3人いる娘のうち誰かが私の後を継いで「鉄工所の女社長」になれば面白いかもしれませんし、もちろん私の娘でなくてもかまいません。ものづくりを楽しむ精神があれば誰でもいいと思います。楽なことと楽しいことは違います。大変なこともたくさんありますが、そこに達成感を感じて楽しめる職場でありたいと思っています。

家業に入って目の当たりにした現実

平松洋一郎

祖父が創業した会社の工場は実家のすぐ近所にあって、子供の頃は立ち寄る度に機械をいじらせてもらいました。従業員たちはみんな技術力にプライドを持っていて、油まみれの作業着で黙々と働く姿はかっこよく見えたものです。祖父はいつも楽しそうに仕事をしていて、作っているものについて図面を広げながら熱い口調で語ってくれました。「うちには良い職人がいて、良い物をつくる技術はある。でも良さを伝える力が無い。良い物を作っても、使ってもらえなければ創造者の自己満足だ」ということもよく話していました。
大学を卒業後、修行のつもりでリフォーム会社の営業として就職し、翌年の正月に父に初めて「いずれ実家を継ごうと思っている」と伝えました。そして次の年から4年間、実家の協力会社に出向して洗車機販売の営業の仕事をさせてもらいました。丁稚奉公のような感じですね。
飛び込み営業を繰り返す日々に「こんなことをしてなんの意味があるんだ」と不満を募らせたこともあります。そんな時、上司が「営業の仕事は無駄の積み重ねのように思えるかもしれないけれど、不思議なもので、重ねた無駄と少し違うところで成果が出たりする。だからどんな仕事も無駄と思ってしたらだめだ」と励ましてくださったことが心に残っています。
4年後、実家でも売り上げを倍にしてやろうと意気込んで戻ってきたのですが、ものづくりの現場や販売店との温度差に戸惑い、どう頑張ればいいのか分からなくなってしまいました。当時の社長だった父は社員とぶつかり合うことが多く、社内の雰囲気はぎすぎすしていました。子供の頃に見た、楽しそうに働く祖父の姿を思い出し、現実とのギャップに落ち込みましたね。今思えば、祖父は経営というより、やりたいことをやっていたのでしょう。だからこそ、父は組織作りに悩んでいたのかもしれません。私が社長になったら、新しいことをするのではなく、祖父と父の良いところを組み合わせていこうと考えました。

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失敗しながら前に進めばいい

私が社長に就任したからといって、社員たちがすぐに言うことを聞いてくれるようにはなりませんでした。人を変えることはそう簡単ではありません。でも、人が置かれている環境を変えることはできるはずです。私の役割は、社員が適した場所で活躍できる環境を整えることだと気がつきました。父はよく「社長は仕事のことを誰よりも知っていないといけない」と話していましたが、私はそうは思わないんです。社長も役割の一つに過ぎません。たとえば私は技術のことは分からないので、現場に任せています。自分ができないことはできる人に任せればいい。そう考えるようになって吹っ切れたと思います。会社の方向性も私が決めるのではなく、全員で作っていきたいですね。
社長に就任して8年。本当に会社の雰囲気が良くなったなと実感できたのはここ2、3年です。事務所も一新しました。その時も「鉄工所っぽくない事務所にしよう」という方向性だけ決めて、具体的なことは従業員たちに全部任せました。私が関わったのは金額のことだけです。
今も毎日いろんな問題が起こるし、予定通りに進まないこともあります。だからこそ、仕事は面白いのかもしれません。腕の良い職人さんもたくさんいて、みんな技術にこだわりを持ってものづくりをしてくれています。うちの技術力をいろんな人に知ってもらいたいです。

仕事は楽しむことが大切です。若者の皆さんは、とにかく何でもやってみてください。失敗が怖いのは分かりますが、失敗しながら修正していけばいいんです。歳を取ると失敗しにくくなっていきますから、若いうちにたくさん失敗すればいいと思います。失敗を重ねた人のほうが、仕事を楽しむことができます。失敗しながら、前に進んでいきましょう。

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