藤原宏高
1954年生まれ。78年に慶応大学卒業。85年に弁護士登録。日本弁護士連合会コンピュータ委員会委員長、第二東京弁護士会副会長のほか、2007年度、経済産業省 情報システムの信頼性向上のための取引慣行・契約に関する検討委員会委員など。ミネベアミツミ(旧:ミネベア)、三越伊勢丹ホールディングスの社外監査役を務めた。
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INTERVIEW

自分のことを角の立った人間だと思います。悪く言えば協調性がないのですが、批判を恐れずにはっきり真実を伝えるタイプです。相手がクライアントでも、間違っていれば「それは違う」と指摘します。多くの日本人は、正しくないことも「いいですね」とやり過ごしてしまいがちです。企業でも、トップに意見を言える人材がいません。そんな体質が日本の企業の発展を大きく阻害してきたのではないでしょうか。きちんとYES、NOを言える人が組織には必要です。私も弁護士としてそんな人であろうと常に心掛けています。

若い頃はバンド活動に夢中だった

藤原宏高

10代の頃は、いとこがくれたギターに夢中になり、バンド活動に明け暮れました。70~80年代の洋楽に傾倒したことが、私の人生観に大きな影響を及ぼしたと思います。弁護士を目指そうと思ったのは、高校生の時。進路を選ぶ際の参考にと、母が知人の弁護士と会わせてくれたのがきっかけでした。それまではどちらかというと理数系が得意で数学や科学技術の分野に興味があったのですが、弁護士として働くことがとても自由で魅力的に見えたのです。困った人を助けて感謝してもらえるところにも引かれました。
慶応大学の法学部に進学すると、法律研究サークルに入りました。議論はもちろんですが、サークルぐるみで早慶戦の応援に力を入れていて、後輩を引き連れて連日徹夜で騒いだのは良い思い出ですね。そんな中で人との結びつきの大切さも学びましたし、弁護士としての大きな財産にもなっています。
苦心の末、5回目で司法試験に合格し、司法研修所時代にお世話になった先生のお誘いで、事務所に入れていただきました。また、司法試験に合格した年からパソコンとプログラミングの勉強を始めていて、会計ソフトを自作するほど没頭しました。おかげで、インターネットやコンピュータープログラムの著作権に特化した事件に携わることができ、理系の弁護士としてスタートを切ることができたのです。
今の事務所を作ったのは、弁護士になって10年目のことです。個人の弁護士でできることには限りがありますし「井の中の蛙」になりたくなかったので、独立して規模の大きな事務所を作りたいと考えていました。同じ考えを持つ弁護士仲間3人で立ち上げて、現在25年経過いたしました。

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「経営の分かる弁護士」として、中小企業の経営者を育てたい

私の弁護士人生も35年になりますが、その中で2社の社外監査役を12年間務めた経験が弁護士としてのあり方を大きく変えたと思います。就任当初は、何も分からないまま世界中の工場を監査して回りました。そのうち会社が常に数字に追われている実態を知り、会計的な視点から企業を見ることを学び、様々なリスクの取捨選択を迫られることを肌で感じたのです。
今の日本の企業は、一度でも失敗すれば社長が辞任に追い込まれることも珍しくありません。失敗が許されない社会なので、なるべくリスクを排除したいと考えるのは自然なことかもしれません。しかし、リスクゼロでは会社の成長はありません。必要なのは、取れるリスクと取れないリスクを正しく見極める目線です。大企業はそんな目線を持ったブレーンを養うべきですし、中小企業の場合は、経営者本人がもっとビジネスを学ぶ必要があると思います。日本では「お金をもうけることは悪」のような考え方が根本にあるので、経営者を教育する土壌がないのです。海外でMBAを取得したような人材もそう多くありません。でも、経営者がビジネスを学ぶことでより戦略的な経営判断ができるようになれば、日本の中小企業は成長し、ひいては国力も強化できるはずです。私も「経営の分かる弁護士」として、中小企業の経営者を育てる手助けをしたいと考えています。

自分が分かっている範囲のことだけやっていても成長はありません。分からない時は、人の話に素直に耳を傾けて理解しようと努力することが大切です。
ただ、それは向上心がなければできないこと。社会全体がマイナス思考になると、向上心を持つことができず、アドバイスや助言は届きにくくなってしまいます。若い人がわくわくドキドキできるような社会にしなければいけないと思います。

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