土居景久
1977年兵庫県生まれ。大学卒業後の2000年、新興産業株式会社に入社。03年から香港へ渡航。退社後の06年にID SHOJI FAR EAST LTD創業、アイデイ商事株式会社入社。11年アイデイ商事株式会社代表取締役就任。ワインやスピリッツ・リキュールのブランディングを手掛ける。
https://id-shoji.com/

INTERVIEW

若いころは、自分は何がしたいのか、何ができるのか、何が向いているのか、と悩むもの。私もまた迷い、模索する中で、天職と思える事業に出会いました。一生をかけられる仕事との出会いは偶然もありますが、一番大切なのは「まず、やってみる」ということ。そして、自分が「これだ」と思ったことは、簡単にあきらめず継続すること。長く暗いトンネルを進んでいると感じられる時もありますが、自分自身を信じて進むことで、必ず明るい道は開けていくと思います。

自分の意志で打ち込める対象を

土居景久

アイデイ商事は祖父が創業し、父が継いだ会社。経営者の家に生まれたことは幼少時から意識していましたが、事業内容についてはよく知らないまま育ちました。当時は昭和の「ゴールデンエラ」。何不自由なく、幸せに満ちた時間を過ごさせてもらいました。
学生時代はとにかくよく遊びました。その中で現在の主事業に関係するお酒とも出会います。実は私自身は飲める方ではないのですが、仲間とわいわい楽しむ雰囲気が好きで、数百人から千人規模の学生イベントを企画。また海外旅行にも目覚め、とくにサンフランシスコの空を仰いだ時の、目が開かれていくような開放感が忘れられません。学生時代の遊びからは、人とのコミュニケーションの取り方や、外から日本を見る視座を学びました。ただ、恵まれた環境の中、もっと突き抜ける感覚がほしい、自分の意志で打ち込める対象が欲しいという渇望感を早くから感じていたのも事実です。将来会社を引き継ぎたいという思いはありましたが、家業を継ぐだけでは父に一生頭は上がらない。自分自身の事業を、一から作り上げたい気持ちが強かったのです。
大卒後は、海外への興味から商社に入社し、会社に貢献したい一心でガムシャラに働きまくりました。輸出部という部署で海外の取引先とやり取りし、時差がある中、ほぼ毎日12時間〜16時間労働。ある日腹痛に見舞われて机に突っ伏してしまい、診断を受けると、腸閉塞一歩手前でした。意志はあれども体が動かなくなる限界があることを痛感しました。その後、4年ほど働いた時に転機が訪れます。光栄にも海外研修生に選出され、香港に渡ることとなったのです。フリーポート・香港でビジネスの根幹を学ぶことができたのは大きな経験となりました。

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日本のナイトライフに元気を

漠然と30歳までに独立することを思い描いていましたので、29歳で商社を退社し、帰国はせず父が代表を務める日本のアイデイ商事株式会社に入社すると同時に、
香港に現地法人としてID SHOJI FAR EAST LTDを設立、新規事業を模索したのです。しかし、創業時に当てにしていた仕事は入らず、全くゼロからのスタートでした。

暗中模索の中、天職と呼べる仕事に出会います。それがお酒のビジネスでした。偶然に飲んだオーストラリアのスパークリングシラーズがおいしくて、そのボトルがノーブランドだったことから「それなら私がブランドを付けよう」と、そんな単純な発想がきっかけでした。オーストラリアのワイナリーに掛け合ってみましたが最初は相手にもされません。しかし現地に出向いて熱心に説得し、香港でのブランディングの仕事を得ました。
その後も、業界知識のない素人のやり方を逆に面白がって商品を大量に購入してくれたり、サプライヤーを紹介してくれる方も現れました。香港のカクテルブームにも乗り、事業を拡大することができました。商社時代を合わせ香港には13年滞在し帰国。日本でもゼロからのスタートでしたが、父と二人三脚で始めた事業は幸運にも軌道に乗り、さらなる業務拡大にまい進中です。

私のキャリアを振り返ると、不思議なことに、必要な時に必要な人材、取引先や顧客との出会いがあります。これがいわゆる「ご縁」というもので、ご縁に恵まれなければ事業を大きくすることは困難でしょう。大切な社員をはじめ、弊社の事業に携わってくれる皆が幸せになれるよう、これからもご縁を大切に事業を拡大していきたいと思います。
世界は今、新型コロナの問題で大きく落ち込んでいます。日本ではコロナ以前からナイトライフに元気がありません。ナイトライフは文化成熟度の高い先進国にこそ華開くもの。その素晴らしい文化の灯が消えないよう、サポートを続けていきたいと思います。

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