出沢明
1951年、長野県生まれ。80年、千葉大学卒業。脊椎内視鏡手術の第一人者。腰痛を引き起こす疾患の代表格で、日本人の約1%にあたる120万人の患者がいるといわれる椎間板ヘルニア。かつて数週間から1カ月の入院が必要だったヘルニアの手術を、数日で社会復帰できるほどに進化させたのがPED(経皮的椎間板ヘルニア内視鏡下摘出手術)。内視鏡の技術に30年以上携わり、PEDを日本へ初めて導入。2004年に内視鏡脊椎技術認定医制度を創設し、現在も第一線に立ち年間400件もの手術を行っている。
https://ped.jpn.com/

INTERVIEW

当クリニックでは、内視鏡を使って椎間板ヘルニアを摘出する治療法「PED(経皮的椎間板ヘルニア内視鏡下摘出手術)」(2008年からPEDの名称がFESS:全内視鏡脊椎手術に改変されました)を専門としています。これは、2003年に私が日本に初めて導入した手術法です。従来の手術法に比べ患者さんの負担を大幅に軽減したことで、これまで多くの患者さんに喜んでいただいてきました。新しい発見が患者さんの喜びにつながり、次へ進む力を生みます。これまで私は6000例ほど治療をしてきましたが、まだまだ毎日が勉強の連続。目標は、自分の人生のピークを77歳にもっていくことです。世の中で定年と呼ばれる65歳を過ぎても、まだまだやれる力は残っています。これからも新しい発見を追い求めながら、医療現場で走っていくつもりです。

患者に優しい手術法“PED„

出沢明

私が医学部を目指そうと思ったのが、ちょうどベトナム戦争の最中で学園紛争が激しかった時代。私の通っていた学校も、ほとんど授業がないような状態でした。そんな中、以前から本で読んでいたシュバイツァー博士のもとで、助手として従事していた高橋功先生の講演を聞いたことが、医療に携わる道を歩むはじまりでした。荒(すさ)んだ時代でありながら、献身的に医療に取り組むシュバイツァー博士の姿勢に非常に感銘を受けました。当時医療がまだ進んでいなかったアフリカへ渡り、医療技術を広めていったその姿は「私もいつか何か新しいものを世の中に導入していこう」と思わせるものでした。

そして、医者として専攻する科を選ぶ時期に井上駿一先生と出会ったことも、その後の自分の価値観に大きく影響しています。井上先生は非常に患者ファーストな考えをお持ちで、朝早くても、夜中であっても、病院に行って手術をした患者さんのことを診ていらっしゃいました。私が「患者さんに優しい手術」を目指し続ける原点は、この井上先生の患者さんと向き合う姿勢であると言えます。井上先生に師事する中で、体への負担の少ない内視鏡の研究をしていくようになりました。椎間板の中に細い管を入れるという、世界で初めて日本で行われた手技が海外に広まり、そこに内視鏡を合わせて使う手技が生まれつつあると知ったのは2002年。アメリカやドイツに渡り、この手技を導入しようとしましたが、物がないところからの手技開発は難航しました。

初めは小児の膀胱鏡みたいなものを使い、豚などで練習を重ね、独自のスコープを作って試行錯誤をしながら、2003年にようやく人間の脊椎に使える内視鏡(PED)が完成しました。PEDは出血が少なく、ターゲットをはっきりと見ることができます。さらに光学技術の進歩も重なり、モニター画像はこれまで見たことのない鮮明さで、まさに目から鱗でした。また、内視鏡は小さな傷で済むので、局所麻酔で行うことができることも大きなメリットです。これにより術中に様々な確認を行うことを可能にしています。例えば、足が動くかどうかなど神経をモニタリングすることができ、術後の合併症を防ぐという安全面につながっています。「この技術をいち早く日本に導入したい」と思い日本に帰ったわけですが、そこからが苦労の連続でした。

  • 出沢明
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新しい手技をシステム化する

まず新しい機械を導入するにあたり、機材面の苦労がありました。内視鏡自体が非常に細く繊細で壊れやすいため、消耗品が多く医療現場としてはコストがかかることが苦しい点でした。さらに、国内業者がまだ対応しきれておらず、内視鏡以外の必要な機器も自分でそろえなければいけないという点では、コストも時間も要しました。次に課題となったのが、その機械を使いこなす技術を持った人材の育成と、システム作りです。PEDというのは「虫の目」と例えられるように接写で拡大して画像を見ます。「鳥の目」のように、ある程度全体を把握した上で、徐々に拡大していく顕微鏡のような仕組みには人間は慣れているのですが、最初から近づいた状態でターゲットを見ながら手術を行う点が非常に難しく、習得するまでに時間がかかります。そこで、医者のトレーニングを行うための研究会を作り、団体で集まってトレーニングができる仕組みを作りました。

最後に大きな障壁となったのが、技術認定制度への導入と、医療保険です。日本では、医者の技術を未編集の内視鏡手術のビデオを見て評価する制度を2004年に導入しました。日本整形外科学会で認定制度への導入には、反対意見も多くありました。しかし、内視鏡というものが非常に技術力を必要とするものであるということが伝わり、世界でも初めての技術認定として、ビデオで内視鏡技術を審査し認定するという制度を作ることができました。医療保険については、保険が認可されなければ手術自体ができないので、とにかく何度も厚労省に足を運んでお願いをし続けました。
技術認定制度を作るのに5年、医療保険の認可をとるのに10年と、長い年月がかかりました。時に悔し涙を流しながらも、諦めず努力を続け、障壁を一つずつ乗り越えることができました。

整形外科は患者さんのQOL(生活の質)やADL(日常生活動作)の向上を目的とするところが、他の外科と異なる点です。開発の苦労を乗り越えた結果、車椅子生活の患者さんが短期間でまっすぐ歩けるようになり、ゴルフができるようになっていく様子をみると、医者冥利に尽きるなと感じます。今は、PEL(経皮的椎弓切除術)という内視鏡を応用した手技を広めるために活動しています。高齢化社会が進む中で、合併症のケースも多いことから、全身麻酔を伴うような大きな手術をすることが難しい患者さんも増えています。そういう方たちを救うために、この新しい手技の普及活動を77歳までやり尽くせたら、と思っています。

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