国立大学法人 名古屋工業大学 大学院工学研究科 教授 先端医用物理・情報工学研究センター長 平田 晃正 氏 × 東京電機大学 工学部情報通信工学科 教授 国立大学法人 東北大学 サイバーサイエンスセンター 客員教授 江川 隆輔 氏 × 国立大学法人 東北大学 サイバーサイエンスセンター 教授・副センター長 大学院情報科学研究科 教授 滝沢 寛之 氏 × NEC 執行役員 須藤 和則 氏国立大学法人 名古屋工業大学 大学院工学研究科 教授 先端医用物理・情報工学研究センター長 平田 晃正 氏 × 東京電機大学 工学部情報通信工学科 教授 国立大学法人 東北大学 サイバーサイエンスセンター 客員教授 江川 隆輔 氏 × 国立大学法人 東北大学 サイバーサイエンスセンター 教授・副センター長 大学院情報科学研究科 教授 滝沢 寛之 氏 × NEC 執行役員 須藤 和則 氏
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異なる分野のプロとスパコンで
社会実装を果たした
パーソナライズドサービスとは?~熱中症リスク予測への挑戦~

「熱中症セルフチェック」という無料のwebサービスに注目が集まっている。パーソナルデータを入力するとエリアの気象情報も加味して現在の熱中症リスクを瞬時にシミュレーションしてくれる。これは異なる分野のプロフェッショナルがタッグを組み、NECのスーパーコンピュータを駆使して実現できた成果である。熱中症による救急搬送は年々増加傾向にあり、今年は多い時は全国で1週間に約1.3万人もの人が救急搬送されるなど、救急医療現場への負担は計り知れない。熱中症は、一個人の健康の問題にとどまらず、いまや社会的な課題なのである。そこで熱中症リスク評価シミュレーション開発プロジェクトに携わった3人のプロフェッショナルに話を聞いた。

課題は数理モデル構築と高速化

「熱中症リスク評価シミュレーション」に取り組まれた背景と、社会的な意義についてお聞かせください。

平田 晃正 氏

国立大学法人 名古屋工業大学
大学院工学研究科 教授
先端医用物理・情報工学研究センター長
平田 晃正(ひらた あきまさ)

平田晃正氏(以下、平田) 熱中症は誰もがなりうる症状ですが、特になりやすいのは高齢者です。加齢にともない代謝が落ちて、汗をかきにくくなり、体温調整が難しくなるためです。対策を講じなければ、近年の地球温暖化という要因と高齢化率の高まりにより、日本における熱中症発症リスクも高まっていくでしょう。2018年5月~9月で熱中症になった人の数は約9.5万人にも上りました。熱中症になる人が増えれば、それだけ医療現場の負担も増大します。負担を軽減できれば、救えるはずの命が一人でも多く救えるようになるのではないか。この取り組みにはそのような社会的な課題と果たす意義があると考えています。

熱中症リスク評価シミュレーションではどのような計算処理を行っているのでしょうか?

平田 熱中症は、体温の上昇を察知し、脱水症状が起こる前に十分な水分補給をすることで予防できます。問題は、外気温の上昇などから体温上昇を予測したり、脱水症状が起こる危険性を把握したりすることが非常に難しいことです。しかも、どのような状態で熱中症になるかは、年齢、性別、出生地などによって異なります。したがって、熱中症を防ぐには、リスクの「パーソナルな予測値」を個別に提供していくことが必要になります。そのような予測値を計算するためには、膨大なデータを処理することが必要となりますが、一般的なコンピュータでは非常に長い時間がかかります。そこで、スーパーコンピュータで並列処理を行うことで圧倒的に短い時間で計算することが可能になりました。

何故これまでパーソナルデータを用いた熱中症リスク予測は実現できなかったのですか?

平田 予想最高気温から導き出されるような、ごく一般的な熱中症のリスク値であれば天気予報などで「明日の熱中症情報」として目にすることはあります。しかし、そこには個人の状態や情報は含まれていません。また、医療現場でも熱中症になった患者の発症に至るまでの情報が少ないことから、パーソナライズに予測することは、これまでは非常に難しかったと言えます。また、先ほど申し上げたように、スパコンを活用するまでは、計算に膨大な時間を要していたこともあります。

熱中症リスク評価シミュレーション開発プロジェクト発足から実現までをお聞かせください。

平田 熱中症リスク評価シミュレーションの研究に着手したのは2008年くらいからでした。その頃から、リスク算出に必要なデータは物理式で表せるものだけではないという課題がありました。太陽から届く電磁波のエネルギー量や外気温などは物理式で表せますが、発汗や血管拡張といった人間の生理現象を計算式にするのは困難です。その二つのデータを合わせた数理モデルをつくるのに大変苦労しました。しかもデータ量が増えるほど、計算に時間がかかります。当時私が使っていたコンピュータでは、一回の計算に14時間から17時間くらいかかってしまい、これが非常に大きな悩みでした。その矢先に学会で東北大学サイバーサイエンスセンターの江川先生と出会いました。振り返るとこの出会いが大きかったですね(笑)。

江川 隆輔 氏

東京電機大学 工学部情報通信工学科 教授
国立大学法人 東北大学 サイバーサイエンスセンター 客員教授
江川 隆輔(えがわ りゅうすけ)

江川隆輔氏(以下、江川) 私は熱中症に関しては門外漢だったのですが、平田先生から話をうかがって、数理モデル作りとその計算の高速化についてお手伝いできるなと考えました。そこでまずは平田先生の研究内容を理解することに注力しました。その後も試行錯誤の連続でしたが、1年半くらいをかけて最適化と並列化に取り組み、かなりのスピードアップを図ることができました。

最も苦労されたのはどのような点でしたか?

平田 先ほども申しましたように、人間の生理現象に関するデータをスパコンで計算するという取り組みは、おそらく過去になかったと思います。そのデータをどのような形にすればスパコンにフィットするか、それが一番大変でした。

江川 スパコンの性能を引き出すためには、プログラムを対象とするCPUに合わせて最適化することに加えて、スパコンに搭載された数多くのCPUを同時に計算させる並列化が必要になります。パーソナライズなシミュレーションなので変数を様々に変えて、その都度プログラムをスパコンの性能を最高に引き出せるようにチューニングをする。これがとても大変で。時折滝沢先生に相談に乗っていただきながら、平田先生と協力して最適化に取り組みました。

パーソナライズされたシミュレーション

「熱中症リスク評価シミュレーション」とは、どのようにして成立したモデルなのでしょうか?

平田 まず、人体を1ミリ四方くらいの細かな「パーツ」に細分化し、その一つひとつのパーツがどのくらい太陽光を吸収したか、汗として水分が蒸発したか、血流や気温の変化などを秒単位のデータで蓄積して作り上げたモデルです。太陽光や外気温の変化は物理学的シミュレーションであり、血流や発汗による変化は生物学的シミュレーションです。その二つのシミュレーションを組み合わせているのが、このモデルの大きな特徴で、難しいところでした。

熱中症になるリスクに個人差があるとのことでした。それが膨大なデータを処理しなければならない理由の一つなのでしょうか?

平田 はい。パーツの数はおよそ1000万点で、そのそれぞれを個別に計算していく必要があるため、結果、処理しなければならないデータは膨大な量に上ります。しかし、「個人差」に関しては、あらゆる差異を想定するのは難しいので、まずは性別、年齢、出生地の違いによるパターンを8000ほどのサンプルをベースにしてつくり、さらに安静時、運動時といった状態の違いも計算に反映させています。その方法で、「パーソナライズされたシミュレーション」を実現しています。

 外気温が高くなると、熱中症になるリスクは誰にとっても高くなります。真夏は連日「熱中症に気をつけましょう」と全国の方に注意喚起することになり、これでは自分事として注意を払うことにはなりません。どのような人が、どのような状況に対して特に気をつけなければならないのか。今後できるだけその情報をきめ細かく発信していく必要があります。

世界屈指のNECのベクトル型スパコンが活躍

東北大学サイバーサイエンスセンターは、NEC製のベクトル型スパコンを中核としています。なぜ採用されたのか、評価ポイントをお聞かせください。

滝沢 寛之 氏

国立大学法人 東北大学 サイバーサイエンスセンター 教授・副センター長
大学院情報科学研究科 教授
滝沢 寛之(たきざわ ひろゆき)

滝沢寛之氏(以下、滝沢) 強みは大きく2つあると考えています。1つは「メモリバンド幅」です。メモリ上にある情報をプロセッサが処理するというのがコンピュータの基本的な仕組みです。プロセッサの演算能力は年々指数関数的に向上していますが、プロセッサの性能が上がるほど、メモリ側の性能は相対的に不足することになります。結果、メモリがコンピュータの性能の足を引っ張ることになります。しかし、ベクトル型スパコンは、メモリ性能の点でスカラ型をひと桁ほど上回っています。つまり、理論的には10倍くらいの性能があるということです。この性能差は圧倒的といっていいと思います。

 もう1つは、スパコンが性能を最大限に発揮するためのチェックポイントが明確であるという点です。スパコンを使ったプロジェクトは多くの場合学際的な取り組みで、様々な分野の研究者が参加します。それぞれのメンバーがお互いに他分野の研究内容を完全には理解できないままにプロジェクトを進めていかなければならず、その中でスパコンの性能を引き出すプログラムを書くのは簡単ではありません。また、プログラムがスパコンにフィットしていない場合、何がフィットしていないのかをその都度調べなければなりません。その点、ベクトル型スパコンは、性能向上のためにどこをチェックしなければならないかが明確に示されているので、非常に問題を解決しやすく助かります。

世界中の熱中症リスクを減らすために

熱中症リスク評価シミュレーション開発プロジェクトの成果についてお聞かせください。

平田 まずは、熱中症リスクを評価する技術を応用し、個人ごとの熱中症の危険度を簡易的に診断する「熱中症セルフチェック」として、一般財団法人日本気象協会が推進する「熱中症ゼロへ」の公式サイトで公開されたことが一つの大きな成果です。リリースしてから数十万のアクセスがあったと聞いていますし、個人の方だけでなく、イベント主催者や学校の部活動の指導者の方々にも活用されているともうかがいました。そう考えると、アクセス数以上の方々の熱中症予防に役立っていると考えています。

熱中症セルフチェック

■熱中症セルフチェック
https://www.netsuzero.jp/selfcheck

 熱中症リスクを予測するには、「いつ」「どこで」「誰が」「何を」すると熱中症にかかりやすいのかを示す必要があります。私たちはベクトル型スパコンを活用することによって、「いつ」「どこで」という気象や天気の情報と、「誰が」に該当する個体情報、そして活動レベルを示す「何を」のすべてを統合的かつ客観的に提示することに成功しました。その結果、体温上昇予測や水分補給の目安を知らせることができるようになったのが、現段階における最大の成果であると考えています。

東北大学サイバーサイエンスセンターの新スーパーコンピュータ「AOBA」が10月から運用開始したそうですね。

滝沢 はい。「AOBA」はNECの最新スパコン「SX-Aurora TSUBASA」を中心に構築しました。これまで以上にメモリ性能を重視したシステムで、総演算性能は以前と比べて2.5倍に向上しています。システムは2つのサブシステムからなり、それぞれNECのSX-Aurora TUBASAとLX 406Rz-2を中心に構成しています。また、世界で標準的に使われているLinux OSを採用したことで、より多くの研究機関や企業の研究部門にお使いいただけると考えています。

江川 今回のプロジェクトもスパコン活用の側面から見ると、約17時間かかっていた計算が1分を切る速さまで短縮されたというのは大きな成果でした。この取り組みで得られた知見がAOBAにも反映されています。

平田 正直、ベクトル型スパコンとチューニングによって、ここまで計算処理速度が速くなるとは思っていませんでした。今後、最新のベクトル型スパコンを活用することによって、基礎研究を広範な応用につなげていくことができると考えています。方向性は2つあります。1つは、熱中症の搬送者予測モデルを確立し、行政に役立ててもらうという方向、もう1つは、よりパーソナライズにカスタマイズした熱中症アラートシステムにするために、さらに精度を高めていくという方向です。それによって、例えば工事現場、工場、大規模なスポーツイベントなど、特定環境下における熱中症予防のソリューションもつくることができると考えています。さらなる高速化は実用化に向けて期待がもてますね。

今後の展望をお聞かせください。

平田 今後も江川先生、滝沢先生をはじめとするスパコンのプロフェッショナルに協力いただきながら、より精緻な熱中症予測モデルの確立と、例えば政府や自治体と連携し、その社会実装につなげていく活動を継続していきたいと考えています。最近では海外でも熱中症リスクを気にするようになったようで、多数の問い合わせを受けるようになりました。究極の目標は、地球上の熱中症にかかる人をゼロにすることですが、そのためには熱中症患者や搬送者の予測値と実際値の差などを継続的に見ていく必要があります。熱中症は確実に防げる症状です。それをいかに科学技術によって実現するか。その挑戦をこれからも続けていきます。

江川 コンピュータの研究者の立場からは、スパコンの力がどのように社会課題の解決に結びついているのかが見えにくいところがあります。しかし、平田先生のような研究者とご一緒することによって、その道筋が見えるようになります。スパコンを1つの社会基盤とするために、これからも力を合わせてプロジェクトに取り組んでいきたいと思います。

滝沢 東北大学サイバーサイエンスセンターの最大のミッションは、研究者のみなさんに最先端の計算環境を提供することです。どれだけ高性能のスパコンがあっても、それを使いこなせなければ意味がありません。スパコンを活用し、その性能を最大限に生かして研究成果に結びつけていくための支援をこれからも続けていきたいですね。

システムプラットフォーム事業でハードウエア、ソフトウエアを担当するNEC執行役員の須藤和則氏に、NECのスーパーコンピュータの強みや、ベクトル型スパコンの可能性などについて聞いた。

NEC製スパコンを活用したことでデータ処理速度が圧倒的に速くなり、熱中症リスク評価シミュレーション開発が加速したそうですね。

須藤 和則 氏

NEC
執行役員
須藤 和則(すどう かずのり)

須藤和則氏(以下、須藤) NECのスパコンが、世界でもまれな取り組みの一助となり、またご評価いただけていることはたいへん光栄です。この取り組みが何より特徴的なのは、人体を1ミリ単位で1000万近いパラメーターに分割し、それが秒単位で変化していく状態を調べ、さらに、運動時、安静時、地域、気象状態などの条件も加えた膨大なパターンをシミュレーションできるようにしたことです。これは、まさにベクトル型スパコンが性能を発揮しやすいケースです。ベクトル型スパコンの強みは、計算能力とその計算を行うための膨大なデータ供給能力の両方にあるからです。もちろん、この性能を引き出すためのデータやプログラムの整備などに先生方が時間をかけて取り組まれたことも、今回の成果に結びついた大きな要因だったと考えています。

これまでNECのスパコンは、津波浸水被害予測、台風予測などに活用されてきました。熱中症リスク予測も気象状況に関連することを考えると、特に自然や気候の研究と相性が良いのでしょうか?

須藤 まさに、自然や気候に関する領域は、私たちのスパコンの用途の一丁目一番地です。国内はもとより、海外でもこの9月からドイツ気象庁でNECのスパコンを活用した気象予報サービスが始まっています。他にも、河川氾濫予測、都市開発における都市気候数値シミュレーションなどにもNECスパコンは活用されています。

自然や気候以外の分野での活用事例をお聞かせください。

須藤 はい。例えば、大手EC(電子商取引)サイトでのAIと組み合わせて活用し、ECユーザーへのレコメンド機能として使われています。ECでは、ユーザーの行動を即座に学習して適切なレコメンドを瞬時に行うことが求められます。その学習フェーズでスパコンが力を発揮します。他にも金融のお客様にもご利用いただいています。

今後、スパコンの活用シーンはどのように広がっていくと考えられますか。また、その際の課題についてもご意見をお聞かせください。

須藤 これまでは科学技術研究の分野での活用がほとんどでしたが、AIとスパコンの組み合わせによって、行政やビジネス領域まで活用は広がっていくと考えられます。一方、活用シーンが広がれば、それだけ求められる機能や性能も多様化していくはずです。したがって、ニーズに合わせて新しい技術を組み込んでいく必要があります。私たちが以前から研究してきた量子コンピューティングもそのような技術の1つです。最新の技術を世の中のニーズに適合させ社会実装を進めていくこと。その取り組みはまさに、私たちが掲げる「社会価値創造」につながる取り組みであると考えています。