遺伝子治療フォーラム リポート

 2020年、医療は既に遺伝子治療の時代を迎えている。しかし、専門家を除く一般の人々が持つ知識・関心は、それほど高くない。10月、日本遺伝子細胞治療学会の主催による「遺伝子治療フォーラム」(ネット配信)が開催された。遺伝子治療の現在、今後の課題、そして未来への期待をパネリストたちが語った。

パネリスト

藤堂 具紀

藤堂 具紀
東京大学医科学研究所 先端医療研究センター 先端がん治療分野 教授
日本遺伝子細胞治療学会 理事長

森下 竜一

森下 竜一
大阪大学大学院医学系研究科 臨床遺伝子治療学寄附講座 教授
日本遺伝子細胞治療学会 副理事長

大山 有子

大山 有子
SMA(脊髄性筋萎縮症)家族の会 会長

生稲 晃子

生稲 晃子
女優

コーディネーター

三宅 民夫

三宅 民夫
アナウンサー
立命館大学産業社会学部客員教授

遺伝子治療とは何か?〜有用なたんぱく質を作る遺伝子を投与〜

遺伝子治療とは何か?〜有用なたんぱく質を作る遺伝子を投与〜

遺伝子はたんぱく質の設計図

藤堂 具紀

藤堂 具紀

1985年東京大学医学部卒業。90年より2年間、独エアランゲン・ニュルンベルグ大学脳神経外科に留学。95年に米国ジョージタウン大学脳神経外科(Robert Martuza教授)にて遺伝子組換えヘルペスウイルスを用いたウイルス療法の研究を開始、第2世代抗がんヘルペスウイルス(G207)の臨床試験にも関与。98年に同助教授。2000年に米国ハーバード大学マサチューセッツ総合病院脳神経外科助教授、東京大学トランスレーショナルリサーチセンター特任教授を経て、11年より東京大学医科学研究所教授。

三宅 遺伝子とはそもそもどういうものですか。

藤堂 人の身体には約10万種類のたんぱく質があり、それぞれが、人が生きていくうえで大切な役割を果たしています。「食べ物を消化する」「全身に酸素を運ぶ」「病原体を攻撃する」などは皆、たんぱく質の働きです。たんぱく質は細胞内で作られますが、このとき、その“設計図”となるのが遺伝子です。

生稲 よく耳にするDNAとは違うのですか。

藤堂 デオキシリボ核酸という化学物質の略称がDNAです。DNAはアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)という4種の塩基が一列に連なり、2本で対になって二重らせん状になっているもので、塩基の数は約30億対にも及びます。この4つ塩基の配列によって遺伝情報が伝わるのです。ただし、DNA中の塩基配列には、遺伝的な意味を持たない部分もあります。遺伝子とはDNA中のたんぱく質の設計に関わる領域をいい、1つの遺伝子ごとに、1つのたんぱく質が作られるのです。

DNAのイメージ
DNAのイメージ
遺伝子情報のイメージ
遺伝子情報のイメージ

配列変異が遺伝子疾患につながる

大山 有子

大山 有子

2008年に長男を出産。生後4カ月で脊髄性筋萎縮症(SMA)と診断される。2014年より「SMA(脊髄性筋萎縮症)家族の会」(https://www.sma-kazoku.net/)役員就任。以後、SMA患者のQOLアップや治療薬承認のための活動等に尽力している。2018年より同会会長就任。

生稲 A、T、G、C……。それが30億も並ぶのですから、ときには入れ替わったりもしそうですね。

森下 そうです。設計図である遺伝子が変異すると、人の生存や成長に必要なたんぱく質ができなかったり、できすぎたり、あるいは変化してしまいます。これが遺伝子疾患につながります。

三宅 脊髄性筋萎縮症(SMA)もその1つですね。

藤堂 SMAは国内の患者数が約1200人と、非常に稀(まれ)な病気です。ある特定の遺伝子の変化によって、脊髄内の運動神経が働くのに必要なたんぱく質が作られない。そのため、脳からの信号が筋肉へ伝わらず、筋の萎縮や低下を招きます。

三宅 大山さんのご子息は、この病気ですね。

大山 はい。SMAは症状の重さにバラツキがあります。最重度の型は、生後6カ月までに発症し、首が座らず、お座りもできません。1歳になる前に人工呼吸器をつけなければ、命も危ぶまれます。現在12歳の長男はこの型で、誕生した2008年当時にはまだ治療法がありませんでした。

三宅 ところが2020年、遺伝子治療薬が登場しました。

SMA型と診断されたお子さんが、生後17日でこの遺伝子治療を受けました。実はお姉さんも同じ病気で生後7カ月の時に人工呼吸器をつけていました。いま、治療をうけたお子さんはすくすくと育ち、動作にぎこちなさはあるものの一人で歩き、お話しもどんどん上手になり、明るい家族の会話がふえています。

家族の団らん

生稲 遺伝子治療がこの数年で大きく進歩したのですね。

ウイルスを
遺伝子の運び屋として活用

生稲 晃子

生稲 晃子

1986年、フジテレビ「夕やけニャンニャン」オーディションに合格し、おニャン子クラブとしてデビュー。現在、女優。リポーター・講演活動などで活躍中。また、厚生労働省がん対策推進企業アクションアドバイザー、内閣府「働き方改革実現会議/働き方改革フォローアップ会合」民間議員などを務めている。著書「右胸にありがとう、そして さようなら」(光文社)。

三宅 画期的な治療法ですが、どういうメカニズムなのですか。

藤堂 遺伝子が欠けていたり、遺伝子が変化したりしていることが、その病気の原因ですから、外から正常な遺伝子を体の中に入れてあげればいいわけです。先ほどのSMAでは運動神経が働くのに必要なタンパク質をつくる遺伝子に変化があったので、それに対して正常な遺伝子を体に補充してやれば、必要なタンパク質がつくられるようになって、症状が生じない。そういう仕組みになります。問題はいかに運ぶかです。その1つがウイルスの利用です。

生稲 ウイルスですか……。ちょっと怖いですね。

藤堂 自然界のウイルスは遺伝情報を持ちますが、たんぱく質を作る機能は持ちません。そこでウイルスは他の生物の細胞に忍び込み、細胞内の“たんぱく質工場”を乗っ取り、自分の遺伝情報をつかって増殖するのです。

生稲 その結果が感染症ですね。

藤堂 遺伝子治療はその仕組みを逆手にとります。ウイルスの有害な遺伝情報を無効にして、患者さんに必要な遺伝子をウイルスの中に入れて患者さんに投与します。すると、ウイルスがその遺伝子を細胞に運び込み、結果、患者さんにとって有用なたんぱく質が細胞内で作られ始めるのです。このような遺伝子の運び屋をベクターと呼びます。

図
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30年の歴史で課題を克服

生稲 驚きました。でも、副作用はないのですか。

森下 1989年、遺伝子治療が初めて臨床応用されてから、既に30年以上の歳月が経っています。この30年はそうした副作用などの克服の歴史です。治療に使う遺伝子の発現が増えすぎたり、別の器官に入り込んだりしないよう、さまざまな工夫を凝らしています。

大山 魔法のような技術ですが、万能薬ではありません。例えばSMAの場合、筋肉が動かなくなった後では効果が減少しますので、2歳未満の患者さんでなければ投与できません。

三宅 医療費も気になりますね。

藤堂 このウイルスは細胞内で長く作用しますから、SMAの場合、遺伝子治療薬の投与は1度で済みます。1回の金額は約1億6000万円です。

生稲 え、一回ですか?

藤堂 ええ、一回分ですが保険適応されますので、患者さんの負担は少ないです。また、生まれてすぐ、発症前に行う治療ですから、それで治ってしまえば、その患者さんはうまくいけば一生普通の生活ができます。元気に働けるようになるかもしれないわけですから、それによるプラスは大きい。

大山 確かに高価ですが、これがなければ患者は何十年にもわたって、高度な医療と福祉サービスに依存しながら生きていかなければなりません。社会に支えられる側から、支える側になることができます。

森下 患者さんの一生、人生設計を考えたとき、遺伝子治療は福音だと思います。

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広がる遺伝子治療〜がん治療からワクチン開発まで、可能性は無限〜

広がる遺伝子治療〜がん治療からワクチン開発まで、可能性は無限〜

血管再生による糖尿病の治療

森下 竜一

森下 竜一

1987年大阪大学医学部卒業。91年から94年米国スタンフォード大学循環器科研究員、大阪大学助教授大学院医学系研究科遺伝子治療学を経て、2003年より大阪大学大学院医学系研究科臨床遺伝子治療学寄附講座教授(現職)。日本遺伝子細胞治療学会副理事長。日本血管認知症学会理事長、日本抗加齢医学会副理事長、日本抗加齢協会副理事長など各学会の理事を務めるほか、内閣府規制改革推進会議委員、内閣官房健康・医療戦略参与(本部長 菅義偉内閣総理大臣)2025年大阪・関西EXPO具体化検討会委員など、公職を多数歴任。日本で初めて上場した大学発バイオベンチャー企業アンジェス株式会社創業者。

三宅 遺伝子治療は希少疾患以外の治療にも広がっているそうですね。

森下 糖尿病によって高血糖状態が続くと血管が詰まり、足の毛細血管に血が回らなくなります。重症化すると足を切断せざるを得なくなるケースもあります。そこで血管を再生させる働きのある遺伝子を投与します。足に血流が戻り、切断を免れたばかりか、歩けるようにまで回復された患者さんもいます。

三宅 これもベクターにはウイルスを使うのですか。

森下 いいえ。こちらはプラスミドというDNAを使います。これに血管再生を促すたんぱく質を作る遺伝子を組み込み、投与します。ベクターにウイルスを使うと、たんぱく質を長期間作り続けるため、効果も長期にわたりますが、血管再生の場合、たんぱく質が作り続けられるのも困りものです。一方、プラスミドは1カ月くらいで役割を終えますので、その加減が容易なのです。目的によって、ベクターを使い分ける工夫も遺伝子治療のポイントです。

三宅 血管再生は他の疾病の治療にも役立ちそうですね。

森下 血管の障害である心筋梗塞や脳梗塞、認知症などへの効果が期待されます。動物による試験では、既に効果が出ています。

藤堂 人には2万以上の遺伝子があり、それぞれが特有の機能を持ちます。これにベクターを組み合わせますから、遺伝子治療には、無限の可能性があると言えます。

遺伝子治療技術は
ワクチン開発にも威力を発揮

三宅 遺伝子治療の技術は意外な分野にも広がっています。

森下 新型コロナウイルス感染症に対するワクチン開発に、プラスミドDNAの技術が応用されています。コロナウイルスはある種のたんぱく質を“鍵”として、細胞内に侵入し、感染を拡げます。そこでコロナウイルスから、この“鍵”となるたんぱく質を作る遺伝子だけを取り出し、プラスミドDNAに植え付け、人体に投与します。すると“鍵”となるたんぱく質に対する抗体が人体に生まれ、その後、コロナウイルスは“鍵”を使えず、細胞に侵入できなくなるのです。

三宅 ウイルスが持つ“鍵”を、抗体が取り上げてしまうのですね。

森下 はい。このワクチンは、ウイルスの無毒化で作る従来のワクチンとは違い、ウイルスそのものは使いません。だから、安全性が高く、大量生産が容易で、製造コストも安い。世界保健機関(WHO)のリストには現在、300以上のワクチン候補がありますが、そのうち70%が遺伝子治療の技術を応用したタイプです。

三宅 遺伝子医療って、ずっと先の未来の話と思っていましたが、まさに今の話なのですね。

図
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がん細胞だけを
破壊するウイルス療法

三宅 民夫

三宅 民夫

1952年名古屋生まれ。75年NHK入局。岩手、京都勤務を経て、85年東京アナウンス室へ。『おはよう日本』『紅白歌合戦』など、さまざまな番組を進行。その後、日本のこれからを考える多人数討論を長年にわたり司会すると共に、『NHKスペシャル』キャスターとして、「戦後70年」や「深海」など大型シリーズも担ってきた。2017年NHKを卒業し、フリーに。現在は、NHKラジオ『三宅民夫のマイあさ!』(月~金R1午前6:40~8:30)、総合テレビ『鶴瓶の家族に乾杯』の語りなどを務めている。著書に「言葉のチカラ」(NHK出版電子版)。

三宅 遺伝子療法は、がん治療にも広がっています。

藤堂 ウイルス療法と呼ばれる手法です。がん細胞だけで増殖し、それを破壊する治療用ウイルスを、遺伝子工学を駆使して作製し用います。正常組織は傷つけないので、患者さんの肉体的負担が少なくてすみます。

三宅 臨床現場で実際に使われているのですか。

藤堂 日本では2009年から臨床試験として脳腫瘍の患者さんに応用しています。悪性脳腫瘍が再発してからの1年生存率はわずか15%ほどですが、第相(フェーズ)試験では治療後の1年生存率が4割、第フェーズでは治療開始後の1年生存率が9割でした。

三宅 驚異的ですね。がんは転移も心配ですが、転移にも効くのでしょうか。

藤堂 ウイルス療法には、ウイルスによるがん細胞の破壊の他に、もう1つ有益な作用があります。治療で投与したウイルスは、その後、患者さん自身の免疫によって排除されます。このとき破壊されたがん細胞も一緒に除かれますが、この過程で免疫が、がん細胞を非自己だと認識するようになるのです。

三宅 それまで自己と見なしていたがん細胞に免疫が働くようになるのですね。

生稲 私は乳がんを手術で摘出しましたが、こうした技術が生まれると、治療の選択肢が広がりますね。

藤堂 がん治療には現在、手術、放射線療法、薬物療法の3つがあり、それぞれ特徴があります。これに新たな選択肢が増えることは、患者さんにとって大きなメリットです。また、ウイルス療法は脳腫瘍だけでなく、固形がん一般へ適用可能と期待されています。

大山 基礎疾患があったり、高齢だったりして、体力がない方の場合、手術は身体への負担が大きく、できれば避けたいですね。

遺伝子治療を理解することが大切

大山 これまで救えなかった命を救えるのですから、遺伝子治療は本当に素晴らしい。今後のさらなる進歩に期待します。

森下 遺伝子治療は難病や希少疾患を中心にこれまで発展してきました。近年、それが他の治療に広がっています。来年はさらに普及し、遺伝子治療元年といえる年になると思います。

藤堂 同感です。遺伝子治療はいまや特別な治療ではありません。私たちは今後とも、その進歩に尽力する決意です。

生稲 遺伝子治療の発展に驚きました。ただ、新しい治療法ですから、患者さんやご家族は、そのメカニズムや特徴をよく理解することが大切ですね。それが遺伝子治療を大きく育てていくのではないでしょうか。

三宅 我々メディアの人間には、こうした最新医療を国民に正確に伝える責任があります。今日はそれを痛感しました。ありがとうございました。

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