jpx
先物・オプション投資の魅力

先物・オプション投資の魅力

現物とは異なる収益機会として注目が高まる先物・オプション取引。
個人投資家の参加も拡大する先物・オプション取引の魅力や投資戦略を紹介する。

  • 先物・オプション物語
    第4回

    オプション売りが招いた事件

    ゆうじ。
    元証券ディーラー
     

    日本における先物・オプション取引の30年の歴史を、マーケットの第一線で活躍した元証券トレーダーが振り返る連載コラム。

    阪神淡路大震災とベアリングス証券
    「オプション売りが招いた破綻」

    ゆうじ。氏 元証券ディーラー
    ゆうじ。氏
    元証券ディーラー

    1995年1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災が起きた。

    ドーンと突き上げるような衝撃がきて、無理やりたたき起こされた。

    突き上げられた時に、床から何かが湧き上がってきたかと思った。

    おそらく一発目のタテ揺れで、ビクッとしてたたき起こされた。

    その後の激しい横揺れ。

    わけがわからなかった。

    1分近く、揺れていただろうか。揺れが収まってからも、心臓がばっくんばっくん高鳴っていた。

    すぐにテレビをつけたが、その時点では状況がよくわからなかった。

    眠りの深い状態から一気にたたき起こされたから頭が痛かった。

    とりあえず、もう一度寝ないと、まともな思考ができそうになかった。

    その時は混乱してそれどころではなかったが、落ち着いてきたところで思い出すことがあった。

    この地震が起こる前の木曜日に、東京で場立ちをしている知り合いから電話があった。

    「週末に首都圏で大地震が起こるらしいよ。ポジションはなくしておいたほうがいいらしいよ」

    富士山の大噴火とか、巨大地震が来るとか、そんな予言・妄言の類は季節の風物詩と思えるほど聞いたことがあったので、その時は、またそんな話が出ているのか、ぐらいにしか考えていなかった。

    大地震の予言。あれは誰が言い出したのか。

    未来を知っていた者がいたのか?

    首都圏という場所はズレたが、時期などは的確に当ててきた。

    こんな大予言が場立ちの間で起きていたことを知る人はどのぐらいいるのだろう?

    今まで生きてきて、予言やらの類でここまで的確に当てたものはこれしかなかった。

    話を元に戻そう。

    大震災が起きて、株式市場がすぐに急落したかというと、そうでもない。

    一週間はそれほど大きな動きは起きなかった。

    その間、先物市場では変なことが起こり始めていた。

    日経225先物が下がろうとすると500枚買いが入って押し返されていく。何度も何度も。

    そんな先物の強引な手口が徐々に話題になりつつあった。

    買いの手口からして、ベアリングス証券がその買いを入れていることはすぐにわかった。

    なんだろう? 何か知っている筋が買いを入れているのか?

    相場がこれ以上下がっていかないことを知っていて、買いを入れているのではないか?

    ディーラーたちはこの建玉の意味を推し量ろうとしたが、真相にたどり着くことはできるものではなかった。

    そんな大口買いに支えられて、1週間、日経225先物は往来相場を続けていたが、1週間が過ぎたところで突然牙をむくかのように急落する。

    朝の日経225先物は先週末日比、70円安で始まった。

    普通の日、という始まりだった。

    その後、40円上までついた局面もあった。

    なんてことはない日のように思えたが、その日の先物は違っていた。

    途中から激しく売られていった。

    でもたたき返すように500枚の買いが入る。

    しかし、大口の買いをものともせず先物は売られていく。

    また500枚の買いが入る。

    しかし、その日の売り方は気合が入っていた。というか、「投げなければならない」というような売りが入ってきていた。

    500枚の買いは何度も入ったが、そんなのものともせずに先物は売られ続け、最終的には1000円安のストップ安張り付きまで行ってしまった。

    下げては戻して、下げては戻して、振り回しがすごい日となった。

    阪神淡路大震災の翌週から、大暴落を始めた日経平均。

    だが時折、ベアリングから大量の先物買いが断続的に入る。

    いったい何が起きているのか……。その時は、誰にもわからなかった。

    大量の先物買いが始まった当初、「ベアリングは何かを知っていて、買っているのかも……」という臆測が飛び交ったが、だんだんと「ベアリングは、ただ単に買いに賭けて失敗しているんじゃないか?」「ムキになって買い支えているだけで、かなり深刻な状況なんじゃないか?」といった話に移り変わっていった。

    1月23日は、たった1日で1000円下げた相場だったが、1週間ほどで1000円戻し、その後また、だんだんと下げていった。

    95年2月に入ると、日経平均は徐々に下がっていった。

    その頃には「そろそろベアリングが投げるんじゃないか?」と、皆が言い合っていた。

    ベアリングは激しくやらかしているはず。十中八九、そうに違いないとは思っていたが、それでも疑心暗鬼な気持ちは抱えたままだった。

    ベアリングはスペシャルな情報を持っていて、相場は急速に切り返していくのではないか? という疑念を拭い去ることができなかった。

    相場に絶対なんてない。裏事情のインサイダー情報でも持っていなければ、自分の気付きにそんなにでかく張るようなことはできない。

    ベアリングの買いにはどんな裏があるのか? 何もないままにここまでのポジションが張れるわけがない。

    2月の後半に入ったところで、一つの事件が報道される。

    1995年2月26日、英証券持ち株会社ベアリングス、デリバティブ取引による損失で倒産、損失9億ポンド(約1400億円)。

    結局のところ、ベアリングの巨大建玉を作りあげた担当者は、膨らみきった日経225先物やオプション、ほかの商品でも積み上げまくったポジションを自ら決済することなく国外逃亡をはかった。

    担当者の名前は、ニック・リーソン。

    彼の名前はベアリングを破綻に導いた者として、たちまち世界中に響き渡ることとなった。

    ニック・リーソンがこんなにもポジションを膨らませてしまったのはほんのちょっとの間違い玉の隠蔽から始まったらしい。

    ニック・リーソンは、ベアリングのエラーアカウント「88888」という架空取引口座にやられた分を押し付け、もうかった分だけを利益として計上していた。

    この、ヤラレをためておく裏口座を使うきっかけになったのは、部下の注文ミスで起きた数万円程度の損失を一時的に隠して、それを別の売買で補って損失分を帳消しにしようとしたのが始まりだったとされている。

    一時的には、表面上の損失をそれでごまかすことができても、損失がなくなるわけではない。後々、やられた分をきっちりと清算しなければならない時が来る。

    エラーアカウントに押し付ける金額はだんだんと膨らんでいき、ごまかしきれなくなってきた頃から、オプションで売りをすると現金が口座に振り込まれるという制度を使うようになっていったらしい。

    オプションの「ウリウリ(プットもコールも新規売りする)」をやってプレミアム代金分の現金を取引所から受け取り、その現金であたかも口座のお金が残っているかのように見せかけていた。

    オプションは、プットもコールも新規に売り建てすると、そのプレミアム分の金額を受け取ることができる。

    例えば、プレミアム300円のオプションを1枚新規売りすると、

    300円 × 1枚 × 1000 = 30万円

    この代金が一時的に自分の口座に入ってくる。

    この仕組みを利用し、オプションを新規売りすることで取引所から現金を受け取り、ベアリングのシンガポールの口座には、ちゃんとお金が入っているように見せかけ、英国にある本社の監視の目をごまかしていたらしい。

    ベアリングの本社の監査の人たちは、オプションの制度やデリバティブなどをよく理解していない人が管理していたのだろう。確かにオプションという商品は、やったことのある人でないとなかなかその仕組みがわかるものではない。

    ニック・リーソンは、オプションのプットとコールを数万枚単位で売りつけることで、社内的には口座に金があるかのように工作した。

    彼がごまかしのためにつくった巨大なオプションの手口は、その後、彼の名を冠して「リーソン・ストラドル」と呼ばれることとなる。

    プットとコールの両方を売っているということは、相場が大きく動かずにSQ(特別清算指数)を迎えれば巨額の利益を上げることができる。

    ところが、ひとたび急落や急騰が起きると大きな損失を出すという、危険なポジションでもある。

    そんな状況で阪神淡路大震災が起こり、相場は急落することとなった。

    リーソンは相場の一段の下落を防ぐために、日経225先物はもとより、JGB(債券先物)や日経225オプションにも強引な仕掛けを試みた。それこそ当時のベアリングの持てる限りの金の力を尽くして、いや、仕組みを利用して金があるように見せかけてつなぎながら、日経225先物に500枚買いを連発し、2万枚ほどまで買い建玉を膨らまし、なんとか相場を支えきろうとした。

    しかし、それで支えきれるほど相場は甘くない。

    地震が起きる前の取引日、95年1月13日に19331円だった日経225先物は、ニック・リーソンが国外逃亡をはかる前日の2月24日には17472円まで下げることになる。

    ニック・リーソンはいなくなった。

    事件発覚の当日まで、彼の名はほとんど知られていなかった。

    「ベアリングの巨大なポジションを組み上げていた張本人が行方不明になった。ベアリングは巨額な損失を抱えている」。そんなニュースが2月27日、市場を駆け巡った。

    ベアリングは日経225先物のポジションだけでも4万枚以上の買い越しだったので、これをブン投げてくるならすごいことになる──ベアリングの反対売買への懸念で、日経平均は急落した。

    ニック・リーソンが残したベアリングの玉については、3月に入ってすぐぐらいに、国内の大手証券などが何社か集まって、清算作業をすることになった。

    清算作業をするということは、とてつもない“投げ”が出るはずだ。

    しかし、「清算チームが組まれた」という話がでてから、「もう清算が終わったらしい」という話に変わるまではとても早かった。

    本当にあんな短期間で、数万枚にも及ぶ先物のポジションを投げ終えることができたのか、今となっては確かめる手段がない。

    市場の取引高は、現在よりもずっと少なかったし、とてもポジションを投げきったとは思えなかったのだが、「投げ終わったらしい」という噂が出てからの切り返しも早かった。

    95年の1月17日の阪神淡路大震災が、ニック・リーソンの行っていたムチャな商いを白日の下にさらした。しかし、それだけではなく、さらにムチャな商いを呼び込んでいくことになった。

    ニック・リーソンがベアリングをあっという間に潰してしまったわけだが、ベアリングのような商業銀行という形態が終わりを告げようとしていた面も、すでにあったかもしれない。

    日本でも、その翌々年あたりには、長信銀が姿を消していった。

    日債銀・長銀・興銀の落日は、高度経済成長期が終わり、その役割を終えたことを意味していたのだと思う。

    ベアリングが姿を消したのは時代の流れだったのかもしれないが、それにしても予想外の終わり方をすることとなった。

    ベアリングの経営陣は、一人の「ならず者トレーダー」にすべての責任があるようなことを言っていたが、社内の管理・監督体制を作ることができなかったのは、彼らの責任でもあったはずだ。

    デリバティブの管理、ポジションの管理ができていれば……。いや、それができなかったからこそこんな事態になってしまった。

    オプションの売りは、あっという間に命まで。

    オプションの売りが、一つの巨大な金融機関の息の根を止めてしまうこととなった。

    デリバティブの怖さを改めて思い知らされる出来事だった。

    ゆうじ。
    元証券ディーラー
    蟹座のO型。100kmマラソン11回完走のスポーツ派。
    1990年に大学の数学科を卒業して証券界に入る。延べ7社の証券会社で24年間、先物およびオプションのディーラーを務め、累計30億円の利益を上げた。超短期のデイトレード中心で、1日の最大損失は500万円、最大利益は6110万円、最大売買件数は3300件。月間最大利益が1億円なのに月間最大損失は800万円と、リスクマネジメントに優れているのが大きな特徴。ファンドの立ち上げに携わったこともある。業界人が交流する場「マーケットフォーラム」を数人で創設、運営してきた。著書に『日経平均 値動きのルール(30億円稼いだ伝説の元証券ディーラーが説く!)』(standards)がある。