提供:日本政策投資銀行

日本の地域工芸イノベーション Vol.1 中川政七商店会長 中川 政七氏

日本各地に点在する地域の工芸技術をテコに、新商品開発、新市場開拓、新ビジネスモデル創出に挑戦する取り組みが進んでいる。地域発でものづくりの力を全国に広げるこの動きを、「工芸イノベーション」をキーワードに、工芸産業の再興を考えるトップランナーを通して2回にわたり紹介。1回目は日本工芸産地協会(東京都渋谷区)代表理事で中川政七商店(奈良市)会長の中川政七氏に、産地の未来や工芸への思いについて聞いた。(聞き手は日本政策投資銀行地域企画部次長の中村郁博氏)

中川政七商店

奈良で1716年に創業。手織りの麻織物から始まり、近年、工芸を生かした製造小売り(SPA)業態を確立した。和雑貨の「中川政七商店」「遊 中川」「日本市」などのブランドを展開して50を超える直営店を運営。09年に工芸品を対象に経営コンサルティングも始め、「産地の一番星」を作る活動に取り組んでいる。

日本の地域工芸イノベーション Vol.2 玉川堂 代表取締役 玉川 基行氏

「日本の工芸を
元気にする!」旗の下に

フォト:中川政七商店会長 中川 政七氏

中村中川会長は創業302年の歴史をもつ工芸品製造販売会社の経営もされています。2017年に一般社団法人日本工芸産地協会を設立した背景には、どんな問題意識があったのですか。

中川僕自身は2018年3月、中川政七商店の社長を14代目に譲り会長に就きました。当社はもともと一地方の一工芸品の卸事業者からスタートしました。そこから小売りに乗り出したのは自分たちの生き残りを模索した結果です。おかげさまで直営店も増え、全国の職人さんや工房の方々に助けられながらここまでやってこられました。

しかし社外に目を転じれば、工芸という日本のものづくりがすさまじい勢いでなくなっている。この光景を目の当たりにしたとき「これは何とかせなアカン。自分たちが生きるためにも」との意を強くしたのです。そこで「日本の工芸を元気にする!」ビジョンを掲げ、実現する手段として経営再生のコンサルティングを始めました。

それはデザイナーが現場に入って商品をつくるとか、ブランドを作るといった部分的な施策ではなく、工芸産業全体を何とかしていこうとの思いからでした。やがていくつか成果も出始めてきました。「よし、これをコツコツとやっていけば日本の工芸も元気になるぞ」と気を良くしましたが、そうは問屋が卸さなかったのです。

フォト:中川政七商店 東京本店

中川政七商店 東京本店

サプライチェーンの崩壊に強い危機感

フォト:日本政策投資銀行 地域企画部次長 中村郁博氏

中村思い違いをしていたと気付いたのは、何を見てどう感じ、どんな未来を想像したからなのですか。

中川サプライチェーン(供給網)の崩壊なのです。例えば僕が最初に経営のお手伝いさせてもらった波佐見焼の窯元である陶磁器卸のマルヒロ(長崎県東彼杵郡波佐見町)。しばらくすると彼らの経営状況は急回復して会社は元気になりました。その一方で、窯元を支える周辺の型や生地、絵付けなど、前後の工程に携わる会社はつぶれてしまっていたのです。型の機能を担う会社にいたっては2社しか残っていないありさまです。しかも跡継ぎがいない。これでは窯元がいくらがんばったところで、20~30年たてば波佐見焼は終わってしまいます。「これはえらいこっちゃ」と。そのとき、窯元だけを見ていてはダメだ。「垂直統合」していかねばならないのではないかと思いました。

つまり自分の足元だけを見ていてもダメで、視線を上げてもう少し広い視野で周りを見なければと痛感しました。今は良くても時限爆弾のように崩壊するときはやってくるのですから。だからこそです。うまくやれている会社ほど産地全体のサプライチェーンの継続を意識してもらわねばならないのです。

全国規模で産地を眺めたときも同じことを感じました。それならば、おせっかいといわれようが言うべきことが言える団体をつくろうと思い立ちました。全国の工芸産地で一番輝いている「一番星」のポジションにいる人たちが集まって産地全体を考える。こんな施策が必要だとか、その視点が抜けているとか。工芸に携わる人たちの意識や情報を共有するためにつくったのがこの協会なのです。

数字が物語る待ったなしの工芸産地

中村工芸産地の再興に向けての手ごたえはありますか。

中川工芸産地の状況は待ったなしのところまできています。それは数字がはっきりと物語っています。私がこの商いの世界に入った2002年当時、国内工芸品の生産額はピーク時の3分の1といわれていました。今や5分の1まで落ちていますし、下げ止まっていません。だから切実なのです。産地全体をマクロ的な視点で目配せできる会社は少ないし、そもそも自分の会社の経営で手一杯の現状も理解しているつもりです。だから中川政七商店会長としての僕は一企業の再生に向けたコンサルティングは地道に継続していくつもりです。

ただ、元気になった企業には産地全体にも責任をもってもらいたいという思いがあります。この点は一企業としては言えないので、そのための協会でもあるのです。協会は高い目線で産地全体、さらに日本のものづくりの将来を考えていく勉強会でもあります。地味ですが、産地連携という旧来の枠を超えた情報交換ができたらいいなとも思います。全国から協会に加盟いただいているのは、現在15社となっています。協会の趣旨に賛同いただく加盟企業数はまだまだ増やしていきたいですし、金融機関など異業種の企業からの支援もいただき、協会としての活動を広げていきたいとも考えています。

フォト:中川政七商店 遊 中川 本店 内観

遊中川 本店 内観

考えてほしい~
過去の経験に縛られず未来を

中村2018年5月に岐阜県高山市で「工芸と工業の次」をテーマにカンファレンスを開きました。工芸産地の未来を占う上で、その次のテーマのイメージはお持ちですか。

中川前回の第1回は「産業観光」がテーマでした。僕は決して、こうやればいいとは言いません。各社、各人の嗜好や方向性は千差万別だからです。ただ産地の将来を他人事ではなく自分事として一人ひとりがちゃんとしっかり考えることは必要だと思っています。ものづくりの仕事を毎日やっていると、そうしたテーマをじっくり考える機会はあまりないと思うからです。

フォト:中川政七商店 遊 中川 本店 外観

遊 中川 本店 外観

工芸と観光は直接の結びつきはないようにも見えます。しかし現実問題として今後、産地を垂直統合していくには資金が必要になります。一般的にもうからないこの工芸の世界に誰が投資をするのでしょうか。付加的な価値を見いだそうとすれば果たして何が考えられるのだろうか。そこに産業観光という発想が湧いてくるのです。例えば鉄筋コンクリート3階建てではなく、木造平屋の雰囲気の良い場所でものづくりを体感できるような施設をつくることで、それぞれの工芸が持つ独自の価値が伝わるのではないかとか。加えて、製造現場の職人が、お客様の生の声を聞くことで感じるものづくりの喜びや、新しい商品開発への挑戦も出てくると思います。そうした顧客接点というのも、これからの工業には重要となってきます。

「工芸と工業の次」はものづくりの世界的な潮流でもある「インダストリー4.0」を意識しています。ただドイツの考え方ややり方をそのまま当てはめるのではダメです。手作りには手作りの良さがある。僕は手作りによるものづくりをかたくなに否定はしません。手作りの作業に動力をとりこむことも否定しない。産業革命以降は当然、工「芸」から工「業」になったわけです。歴史の流れの中で日本の工芸はどちらかといえば手仕事よりの色彩が強いのは事実です。

だからこそ考えてほしいのです。今まででこのやり方だったから、明日もこうするとか、何も考えずに、ボーッとただ時を過ごすのではありません。置かれた状況の中で僕たちはどうするのか、どうしていくのか、どうしたいのか。そんなことを真剣に考えてもらうきっかけになれば、との願いを込めたカンファレンスでした。

経営がないものづくりに経営の視点を

フォト:日本政策投資銀行 地域企画部次長 中村郁博氏

中村確かに工芸に携わる人たちのマインドセットは大切ですね。では工芸が産業として持続可能であるために欠かせない要素は何でしょうか。

中川残念ながら工芸の世界には経営がない。職人であっても商売というか会社組織である限り経営をしなければいけない。職人がどんなに優れたものをつくったとしても、そこに経営がなければ会社はつぶれてしまいます。仮に一人でやっているならば、職人と経営者の両面を兼ね備えなければならないわけです。

僕は経営をシンプルに捉えています。売り上げがあって、原価があって、販売管理費があって、残ったお金が営業利益。これをきちんと取っていくことです。そこをきちんと見ている人がいることが第一です。次にどうやって実現していくかの方法論では、ブランディングという考え方が最も大切だと思っています。ものを売るという感覚ではなくて、ブランドとしていかに愛されるかの状況をつくる。こんなことを考えながら仕事をやっていくとうまくいくのではないかと思います。

さらにはお客さんを見ることです。作りっぱなしではダメです。商品がどこで売られてどんな評価がされているのかを見聞きすることです。それを踏まえて、工芸品を進化させていくことが重要です。そのやりとりの中で形成されていくのがブランドです。ブランディングとは詰まるところコミュニケーションなのです。なぜならば相手の頭の中にできるのがブランドイメージだからです。相手がいないとブランディングにならない。相手がいることがわかって、相手に好きになってもらうことを考えましょう。それだけの話なのです。

工芸とは手が入っていることだが
手離れも必要

フォト:中川政七商店会長 中川 政七氏

中村日本には伝統工芸や民芸もあります。改めて工芸の本質をどう定義されますか。

中川僕は「伝統工芸」という言い方が好きではありません。工芸は日本では石器時代から長く続いているものです。例えば120年続いている自動車産業を誰も伝統産業とは言いません。なぜなら進化しているからです。ある時から進化を止めて時代遅れになったものに「伝統」がつくのだと思っています。もちろん歴史に対して敬意を表すポジティブな意味の伝統もありますが、ネガティブな意味も含んで伝統が成り立っているのです。だから伝統という言葉がとれないことには話にならない、というのが基本です。

その上で、手で作る生活の道具すべてが工芸だと捉えています。例えば靴下製造も工芸だと思っています。機械で大部分は作っていてもつま先の部分には手作業があるからです。僕の工芸の定義は手が入っていることともいえます。ものづくりの手の部分が機械とかAI(人工知能)とかに置き換わっていく流れは加速しています。それでも人の手を超えられない部分は残ると思うのです。この、人の手が優れている分野は将来の貴重な雇用を生み出し続ける産業になり、それらは地域の工芸に多くあると思います。それが、地域創生、産地の存続へとつながり、「工芸大国日本」と呼ばれる未来をかたちづくっていくと信じています。

中村私ども日本政策投資銀行は、長期的な外部環境の変化の中で、産業やインフラ、そして地域のお客様が直面する課題に対し、創造的なソリューションを提供することで、持続可能な経済社会の実現を目指しています。本日のお話しにより、工芸におけるイノベーションの可能性と、同時に現在抱える課題も再認識させていただきました。引き続き、「工芸大国日本」を目指して、ご協働をいただければ幸いです。本日は、ありがとうございました。

PROFILE

フォト:金森 滋美 氏

中川 政七 (なかがわ まさしち)

株式会社中川政七商店 代表取締役会長/一般社団法人日本工芸産地協会代表理事

1974年生まれ。京都大学法学部卒業後、2000年富士通株式会社入社。 02年に株式会社 中川政七商店に入社し、08年に十三代社長に就任、18年より会長を務める。日本初の工芸をベースにしたSPA業態を確立し、「日本の工芸を元気にする!」というビジョンのもと、業界特化型の経営コンサルティング事業を開始。15年には、独自性のある戦略により高い収益性を維持している企業を表彰する「ポーター賞」を受賞。17年に一般社団法人日本工芸産地協会を立ち上げ、代表理事に就任。

フォト:中村 郁博 氏

中村 郁博 (なかむら ふみひろ)

株式会社日本政策投資銀行 地域企画部次長

1994年 日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)入行
東北支店東北復興支援室課長、アセットファイナンスグループ課長、都市開発部課長、日本経済研究所地域振興部長などを経て2017年4月から現職。
経済同友会「地方創生に向けた実態調査ワーキンググループメンバー」、国土交通省「国土審議会稼げる国土専門委員会委員」、日本観光振興協会「観光立国推進協議会DMO専門部会委員」などを務める。

日本の地域工芸イノベーション Vol.1
中川政七商店 商品イメージ

中川政七商店 商品イメージ

日本の地域工芸イノベーション Vol.2 玉川堂 代表取締役 玉川 基行氏
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