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2017年4月の『視野を広げる必読書

メルセデス・ベンツ「最高の顧客体験」の届け方

「最高の顧客体験」のために平凡を非凡に変える、メルセデス・ベンツの挑戦

『メルセデス・ベンツ「最高の顧客体験」の届け方』
ジョゼフ・ミケーリ 著
月沢 李歌子 訳
日本実業出版社
2017/01 319p 1,850円(税別)

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販売店が提供する顧客体験“だけ”が「最高」ではなかった

 資本主義経済のもとで暮らす私たちは、日々「顧客体験」をしている。コンビニでお菓子を買うのも、わからない言葉をネットで検索するのも、広い意味の顧客体験だ。モノを売る、あるいはサービスを提供する店や企業は消費者や受益者が満足する顧客体験を生み出すことで、収益向上に結びつく。だが、得てしてその顧客体験は軽視されたり、方向が間違っているがゆえに満足に結びつかなかったりする。

 宅配便最大手のヤマト運輸のセールスドライバー(配達員)の過重労働、人員不足が問題になっている。アマゾンをはじめとするネット通販利用者の増大に伴い物流が爆発的に増えたことが主因だ。アマゾンやヨドバシカメラなどの通販業者が相次いで当日・翌日配達を導入し、配達のスピードを競うようになったことも、この問題に拍車をかけている。

 ヤマト運輸は問題解決のために荷物の総量を抑制したり、宅配ポストの設置増、料金の値上げなどの方針を固めつつある。

 日本経済新聞(電子版)がネット上で募った読者アンケート(「ヤマトの宅配総量抑制、賛成ですか?(2017年2月25日付け)」)で、「インターネット通販では販売した商品の当日・翌日配送サービスが広まっています。あなたは、このサービスが必要ですか」という質問に、48.6%が「もともと不必要」と答えている。「料金が上がったら不必要」と回答した率と合わせると75.7%となり、少なくとも約4分の3の利用者が、配達のスピードアップを「最高の顧客体験」とは感じていないと考えられる。

 私個人としても、当日・翌日配達は便利だし、最初に利用した時には感動したものだが、最近はどうしても必要なサービスではないと感じる。それによって配達担当者の負担が増え、その他のサービスの質が低下する方が、よほど不満の種になりやすいのではないか。

 顧客の視点に立ち、顧客体験を十分に満足させるのは、簡単なようでかくも難しいものなのだ。

 本書『メルセデス・ベンツ「最高の顧客体験」の届け方』では、最高の顧客体験を実現するためにメルセデス・ベンツUSAとその傘下の全販売店が行った大改革の軌跡を追っている。同社は、高級車の代名詞といえるメルセデス・ベンツの米国における販売会社だ。

 著者のジョゼフ・ミケーリ氏は、企業コンサルタントとして活躍するとともに、国際的に講演、執筆活動を展開している。『究極の顧客サービス「ザッポス体験」』(日経BP社)、『スターバックス 輝きを取り戻すためにこだわり続けた5つの原則』(日本経済新聞出版社)など全米ベストセラーとなった多くの著書がある。本書で取り上げたメルセデス・ベンツUSAの改革にも、他社の顧客体験の事例を提供するなど、惜しみない協力をしたそうだ。

 メルセデス・ベンツには、その130年の伝統の中で「最高でなければ意味がない(The Best or Nothing)」という信念が息づいているという。そして技術面、安全面ではすでに「最高」を実現し、揺るぎないブランドを築き上げた。そのことを疑う人はおそらく少数だろう。

 しかし2011年頃、同ブランドには、一つだけパズルのピースが足りないことが判明した。販売店が提供する顧客体験が最高のものではなかったのだ。顧客満足度を販売店のセールスやサービス機能から評価するJ・D・パワー社によるランキングでは、高級自動車メーカーの中で中位から下位に沈んでいた。

 そこでメルセデス・ベンツUSAは、2012年1月1日に就任したスティーブ・キャノン社長兼CEOのリーダーシップのもと、抜本的な改革に乗り出すことにした。そしてそれから3年弱、2014年の終わりに発表されたJ・D・パワー社の「セールス満足度指数」のランキングで、同社は見事1位に輝いている。

人間味のあるプラスアルファを提供

 メルセデス・ベンツUSAが実現した最高の顧客体験とは、具体的にはどういうものか。二つのケースを紹介しよう。

 一つは、日曜日の朝早く外出したところ途中でタイヤがパンクした家族のエピソードだ。困った家族が近くにあった販売店を訪ねると、休業日だったが、たまたま2人のスタッフが店内にいた。一人のスタッフが近づくと、家族は「このお店の方ですか? 助けてもらえませんか?」と声をかけた。スタッフは「もちろんですよ」と答え、お客様のかわりにロードサービスに電話をした。そのとき、もう一人のスタッフは「もしご別の車をお持ちなら、ご自宅まで送って行きますよ。途中で朝食もごちそうしましょう」と申し出て、できる限り修理の間お客様をお待たせしないようにしたという。すると家族はとても喜んだ。結局、ロードサービスは10分以内にやってきて、その後スタッフは家族を自宅まで送って行った。

 もう一つも顧客の車のトラブル対応の事例。顧客は妊娠9カ月に入った女性で、出産前のお祝いパーティに行く途中に高速道路で立ち往生してしまった。販売店はすぐに現地に2人の運転手を派遣し、代車を届けた。その代車の中には、メルセデス・ベンツの袋に入ったベビー服、毛布、テディベアが置いてあった。販売店が、連絡を受けてから急いでギフトストアでそろえたものだった。スタッフはさらに、お祝いのパーティの場所にフルーツやチョコレートを届けたそうだ。

 どちらのケースも、顧客が口にしなかったこと、思ってもみなかったことにも対応している。最初の事例では移動手段と空腹、次の事例では「お祝いの気持ち」だ。「こうしてほしい」という目の前のニーズに応えるだけでなく、人間味のあるプラスアルファを提供しているのだ。

 キャノンCEOは、改革を始めるにあたって、目標を「カスタマージャーニー(顧客が購入に至るまでのプロセス)」を可視化し、顧客にフィードバックを求め、顧客が抱える問題を迅速に解決し、「お客様に喜びを感じていただく(Driven to Delight)」ことに設定した。2012年4月の全米販売店会議では、「満足していただくだけでは不十分だ。最高の顧客体験を届けるためには、平凡を非凡に変えなければならない」と発言している。

 カスタマージャーニーの可視化にあたっては、詳細なマップの他に、簡素化し、アフターサービスの四つの領域を色分けした「車輪」の図が作られた。四つの領域とは「受注する(赤)」「良い関係を築く(青)」「約束を守る(緑)」「心に残る体験を創出する(黄)」というものだ。この四つは、顧客が本質的に必要としているものを表している。

 先に紹介した二つの事例はいずれも、四つ目の黄色く塗られた領域の実践といえる。さらにそれらは、キャノンCEOの発言にある「平凡を非凡に変える」方向に沿ったものでもある。

顧客の喜びを自分の喜びにできる人材を育てる

 キャノンCEOは、同じ2014年の全米販売店会議で「『最高でなければ意味がない』という気持ちですべてのお客様に接するには、人、プロセス、企業文化、情熱が必要だ」とも言っている。ここで筆頭に「人」が挙げられていることに注目すべきだろう。

 メルセデス・ベンツの改革では、370以上ある販売店の外観や内装を「オートハウス」という統一デザインにすることから始まり、カスタマージャーニーの視覚化、全従業員に自社の車を試乗させる「DaSHプログラム」など、さまざまな仕組みづくりが行われた。これらはすべて、最高の顧客体験を提供できるように、人や企業文化を育てるためのものと言っていい。

 さまざまな仕組みづくり、プロセスを経ることで、自発的、自己の裁量で顧客を喜ばせられる人材が育つ。そうした人材は、顧客の喜びを自分の喜びにもできるはずだ。最高の顧客体験は、たとえ最新のテクノロジーを利用したとしても、究極的には人と人とのふれ合いにあるのではないか。

 冒頭で触れた宅配便の問題も含め、顧客体験の向上を図るには「人」という要素を入れて考えてみるといいかもしれない。配達のスピード競争のような過度の利便性追求に走らずに、フェース・トゥ・フェースのコミュニケーションの中から顧客の本当のニーズをくみ取る工夫をするなど。そのためには、従業員の時間的、心理的余裕を作る仕組みづくりが欠かせないのだろうが。(担当:情報工場 吉川清史)

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2017年4月のブックレビュー

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