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2016年10月の『視野を広げる必読書

花森安治と『暮しの手帖』

徹底して生活者の視点に立った骨太の名物編集長の「ものの見方」とは

『花森安治と『暮しの手帖』』
山田 俊幸/岩崎 裕保 編著
小学館
2016/08 224p 1,300円(税別)

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メーカーのマニュアルは本当に便利で正しいものなのか

 「カレーをもっともおいしくつくる方法を知っていますか?」。先日、数人で食事をしていたときに、その中で最年少の20代半ばの男が、こんな問いかけをしてきた。てっきりどこかで見つけた秘伝のスパイスの話でもするのかと思ったが、そうではなかった。彼の答えはこうだった。「スーパーで買ってきたカレールーの外箱に書いてあるつくり方と寸分違わずに作ると、いちばんおいしくできるんです!」

 当たり前のようで意外な答えだ。私はカレールーの外箱に書いてあるつくり方なんて、あまり読んだ記憶がない。せいぜい入れる水の量を確認するくらいだ。彼の主張は「メーカーの人が考えて、繰り返しテストした結果が書かれているので、その通りにやらずに変な工夫を加えると、かえっておいしくなくなる」ということだった。

 これは料理に限ったことではない。家電製品の使い方、組み立て家具のつくり方や、お掃除ロボット「ルンバ」が掃除しやすい家具の配置に至るまで、あらゆる製品にはマニュアルが存在し、いまやその指示に従わないと何事もうまく回らなくなっている気がする。

 この状況を、何でも簡単で便利になったと喜ぶべきなのか。それとも自由がなくなりつまらなくなったと悲嘆すべきなのか。雑誌「暮しの手帖」の名物編集長、故・花森安治氏なら何と言っただろう。

 本書の編著者である山田俊幸氏と岩崎裕保氏は、ともに帝塚山学院大学の元教授。定年を迎えて同大学の非常勤講師になった2人が講師控え室で毎週顔を合わせ雑談を繰り返すうちに、2人とも花森編集長時代に「暮しの手帖」の愛読者だったことが判明。やがて、各々が捨てずに保管していた「暮しの手帖」のバックナンバーを読み返しながら、当時の時代背景や各記事に込められ花森の意図や思いについての議論が始まった。本書はそんな2人の、「花森安治と『暮しの手帖』談義」から生まれた。

 山田氏は日本近代文学研究者で少女文化研究者。大正文化や紙物文化の保存と研究のため、大正イマジュリィ学会の創立に携わり、現在常任委員を務める。日本絵葉書会会長も兼任している。

 岩崎氏は、グローバル社会論・平和研究・環境社会学・NGO/NPO論を専門とし、『身近なことから世界と私を考える授業』(明石書店)などの編著にも関わる。NPO法人開発教育協会代表理事を経て、現在同会の幹事を務めている。

 2人の元大学教授が子供の頃から愛読し、50年余りの年月を経てもなお捨てずに持っている「暮しの手帖」という雑誌。いったいどんな雑誌なのだろう。

石油ストーブの商品テストで家一軒燃やす

 花森安治は「暮しの手帖」の初代編集長であり、2016年度前期のNHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の主人公・小橋常子の雑誌づくりを支える天才編集者、花山伊佐次のモデルとなった人物だ。

 「暮しの手帖」は終戦直後の1948年に創刊された。まだ物資が十分でない時代に、衣・食・住に役立つ情報を集め、少しでも暮しを豊かにするためのさまざまなアイデアを記事にしていった。

 同誌の記事は、情報やノウハウをただ提供するだけのものではなかった。政策を決める政府、商品の提供者たるメーカーなど、暮しに大きな影響を及ぼす主体を生活者の視点から厳しい目で評価し、おかしいものには徹底的に批判を浴びせた。

 1967年発行の91号「この大きな公害」という巻頭特集では、当時問題になっていた、人体の健康を損なうヒ素ミルク、人工着色料などの食品公害7つをとりあげ、政府の「(人体に悪影響があるという)疑いがあるというだけでは禁止できない」とのスタンスを、「人間の生命を軽く考える風潮」とし、「疑いのある間は許可しない、であるべきだ」と真っ向から批判した。

 また、「商品テスト」というシリーズ企画では、日用品や家電製品を集めて、どの商品が使いやすく、どれが使いにくいかを徹底的に調べて、評価を下していった。

 本書に例として取り上げられている1960年発行の57号に掲載されたのは、6種類の国産石油ストーブのテストだ。普通の雑誌なら特徴を一覧表にしてそれぞれの良い点を挙げることだろう。そしてAという観点ではメーカー1がおすすめ、Bという観点ではメーカー2がおすすめ、のような書き方をする。しかし、「暮しの手帖」の「商品テスト」では、記事の結論は「残念ながら、これならとおすすめできるものは、この国産6種のなかにはありませんでした」。さらに「作る方も作る方なら、売る方も売る方です」と、この商品を扱うデパートなども含めて手厳しく批判する。

 本書によれば、このような厳しい批評の背景には、メーカーが良いものだけをつくるようになれば、消費者は安心して商品選びをすることができる、という思いがあった。

 さらに同誌の商品テストでは、消費者が実際に使う場面をできる限り再現するようにしている。「石油ストーブが倒れて火が出たら」という記事を書く際などには、小さな火がどのように燃え広がるのかを知るために、実際に小住宅を一軒購入して本当に燃やしてみたというから驚く。「自動トースターをテストする」では、実に43,088枚ものパンを焼いてみたそうだ。メーカーの宣伝文句や商品情報に頼らず、あくまで自分たち自身が実際に使ってみて、その結果のみに基づき批評を行うというスタンスだ。そのスタンスを貫くために、「暮しの手帖」には広告が一切掲載されていないのだ。

 ここまで徹底して消費者の立場を重視する雑誌が他にあっただろうか。

「柔軟視点の絶対視座」のもと批評する

 花森は「帝国大学新聞」で編集者としてのキャリアをスタートするかたわら、伊東胡蝶園(後の帝人パピリオ社)で広告デザインのアルバイトを始めた。太平洋戦争が始まると出征するが、結核を患い帰国。その後、大政翼賛会にひっぱられ、国策広告に携わった。戦意高揚のためのポスターづくりなどを手がけたそうだ。

 花森は終戦後、時流に乗せられ「国のために」と全力で仕事をしたことが「戦争協力」になっていたことに気づき、大いに悔いたそうだ。この後悔が、その後の彼のものの見方を決定づけた。

 花森は1965年発行の59号の記事の中で「今の世の中では…ゼニ金や損得ばかりをいって、そのために、なにかもっと大切なものが平気で売りわたされている、そんな気配がしてならないのです」と書いている。花森は、国や企業に対して、ゼニ金や損得ばかりをいって不当なものを私たちに押しつけ、代わりに大切なものを奪いとっていくのではないか、という疑いの目を常に向けていた。

 本書では、花森のものの見方を「柔軟視点の絶対視座」と分析している。同じものであっても、立ち位置によってまったく見え方が変わってくる。「柔軟視点」とは、立ち位置を柔軟に変え、あらゆる視点から一つのものを見ることを指す。「絶対視座」とは、確固たる信念、揺るぎない価値観のことだ。

 一つのものの見方のみに従うと、国や企業などにだまされやすい。だまされない人を増やすために、花森は例えばメーカーの言うことを鵜呑みにせず、柔軟視点で徹底的に商品をテストした。そしてその結果をすべて消費者に提示し、それが「暮し」を良くするのか否かという絶対視座に立ち、確固たる信念のもと批評していったのだ。

 暮しに関わるもの全般について批評を繰り返すことで、暮しの「知恵」が積み上がっていく。それはゼニ金や損得ではなく、一人ひとりが暮しや命を守るための知恵であり、平和な世の中を実現するための知恵なのだ。

 一人ひとりが幸せな暮しを追求できる社会を実現するにはどうすればいいのか。まずは自分自身の暮しを見直してみるところから始めるのがよいかもしれない。(担当:情報工場 浅羽登志也)

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2016年10月のブックレビュー

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