挑戦者の原動力 スカイライン特別企画

競争心・闘争心・挑戦心・好奇心 4つの「心」で壁を破る プロゴルファー 日本ゴルフツアー機構 会長 青木 功さん

プロゴルファー青木功さんは、日本人初の米ツアー優勝を含め日米欧豪4ツアー全てで優勝した唯一の日本人だ。数々の名勝負とともに「世界のアオキ」と称賛され、75歳となった今もシニアツアーに参戦する青木さんに、ゴルフに懸ける思い、それを支える力などを聞いた。

負けず嫌いから野球をやめ自活するためキャディーに

 こうして座っていることが苦痛なほど、とにかく動いていることが好き。スポーツといえば野球という時代、小学2年くらいで野球を始め、中学生になる頃には本気でプロ野球選手になろうと思ってた。運動が得意だったので、他の運動部から声がかかり、野球以外の試合にもいろいろ出場したものだよ。バスケ、バレー、柔道、陸上などいろいろなスポーツで勝負することは楽しかったし、総合的な体力や思考力を養えた気がするね。

 転機は中学3年の夏。野球の試合で9回裏、2アウト1、3塁。抑えのピッチャーとして登板したら、キャッチャーが後逸。サヨナラ負けしたんだ。その一瞬で自分の中で野球の夢は消えたね。誰のせいでもないんだけど、「もうやめた!」。今思うと、団体競技は合わなかった。

 二度と野球はやらないと決めて野球の道具を燃やしたら親父にぶん殴られ、「物を大切にしない奴は、自分で勝手に生活しろ」と言われてしまった。卒業まで半年あるのに小遣いももらえなくなり、50円のアルバイト代欲しさにゴルフ場のキャディーになったんだ。その時は親父の気持ちなんか分からなかったけど、プロゴルファーとして稼げるようになったのは親父のその一言のおかげ。その時の経験があったから、自分のやったことに対し責任を持てる人間になれたんだと思う。

2回目の優勝で感じた「ゴルフは生涯の仕事」

 でも最初は、プロゴルファーになろうなんて思ってなかったんだよ。きっかけは新橋の料亭「金田中」の先々代社長、岡副鉄雄さんのキャディーについたこと。岡副さんがチョロしたのでうっかり笑ってしまったんだ。怒った彼に練習場に連れて行かれ「おまえ打ってみろ」と言われた。一度もゴルフをしたことのない私は空振り。逆に笑われてしまったのが悔しくて、負けず嫌いに火が着いちゃった。

 以来、お客さんが帰った後のゴルフ場で毎晩練習した。一番苦手だったパッティングには特に時間をかけた。プロ試験合格までに6年。初優勝はプロ入り7年目の29歳のとき。2回目に優勝したときに「ゴルフこそ自分の生涯の仕事だ」と思えた。75歳の今もゴルフを続け、ゴルフについて自由に話す私を見て、多くの人が「羨ましい」「素晴らしい」と言うけど、それは私が「これしかない」と思える生涯の仕事を見つけられたからなんだと思う。

 「これしかない」と思うようなきっかけは、誰にでも必ずあるはずだ。嫌だと思う仕事でも「これかな」「あれかな」と自分で考えてみる。指示されたことをやるだけではダメだね。プラスアルファを考えなければ、人より上に出ていくことはできない。自分で考えたアイデアなんかを採り上げてもらえたら希望が持てるでしょ。そして「これしかない」と思える仕事なら、怒られることすら喜びと感じるはずだよ。

自然には勝てないけど、自然に近づくことはできるでしょ。自然に逆らって勝った人は誰もいませんからね

「ゴルフクラブもボールも年々進化し、曲がらずに遠くに飛ぶようになった。でも、遠くへ飛べば飛ぶほど風や気候に左右されることも増えるんだ。だから私は“このコースはこっちに曲がりやすいからこうしよう”と想定して練習する。試合中も言葉にはしないけど、“こっちに曲げてくださいね”って風に対し意思表示するの。自然には勝てないけど、自然に近づくことはできるでしょ。自然に逆らって勝った人は誰もいませんからね」(青木さん)

青木さんを支えるもの 爪切り

「握力が強いので、爪が伸びるとグローブに当たるんですよ。気になっちゃうから、毎朝必ず爪を切って研ぐ。指の腹の感性も大事にしてます。爪や甘皮があると感じない部分ができるので、本当に暇さえあれば爪を切ってますね。これがいい、あれがいいと言っては買うので、爪切りは100個くらい持ってるけど、このサイズの爪切りが一番いい。話をしている最中も切っているので深爪になり過ぎちゃいます」(青木さん)

上に行くには何が足りないか常に疑問を持つ

 海外への挑戦は日本プロゴルフ選手権で3位になり、翌年のアジアサーキットの出場権を獲得したことから始まった。アジアサーキットの7試合すべてを予選通過したことで「もうちょっと頑張れば次は勝てるかもしれない」と自分に期待したし、世界の舞台が現実味を帯びてきたと感じた。

 上に行きたければ、自分に何が足りないのか常に疑問を持つことと好奇心が必要だと思う。私は特に好奇心が強かったしね。アジアサーキットからの帰国便が日本上空にさしかかったとき、日本の土地が茶色に見えた。そのとき「ハワイやアメリカはどう見えるだろう?」「そこのゴルフ場はどんなだろう」「自分はそこでどんなゴルフができるんだろう?」って次々と興味が膨らんだ。その好奇心が世界への挑戦につながっていったんだ。

 73年にはスペインで開かれた現在のワールドカップにあたる「カナダカップ」に出場。地球の裏側のような場所でプレーできる。興奮したね。そこで見た闘牛士の衣装にインスピレーションを受け、以来、最終日には必ず赤いシャツと黒いズボンを身に着けるようにした。赤と黒は闘争心をかき立てる色だからね。最終日に下位にいても10人、20人抜いて上位に食い込むこともよくあったよ。タイガー・ウッズの勝負服「赤と黒」は私を真似したんじゃないかな。(笑)

最初から成功なんてない 何だって失敗が先

 ジャンボ尾崎と私はライバル同士だといわれるけど、ライバルがいなかったら見失ってたことっていっぱいあったかもしれない。だって自分ひとりだったら自己満足しちゃうでしょ。私は闘争心と競争心がすごく強いから、相手が誰であれ負けると悔しくて、優勝した人に「おめでとう」なんて絶対言えない。だから握手も半分けんか腰でガっと強く握っちゃう。相手からよく「痛ぇー」って言われたね。当時、ジャック・ニクラウスやアーノルド・パーマーは天才といわれてたけど、私は「オレが一番うまい、絶対抜いてやる」といつも思ってた。

 メンタルが弱い人は、自分に自信がないからだね。失敗を恐れ過ぎ。壁にぶつかって避けていたらいつまでたっても一枚の壁も破れない。やる気があればいつの日か必ず破れる。いつか破れると思えば気が楽でしょ。私だって今はカッコいいことを言っているけど、何百回、何千回と失敗してきましたよ。最初から成功するわけない。何だって失敗が先だよ。リスクがあるからリターンがあるんだから。

 私より努力している人はいるかもしれないけど、私には自分のやり方が間違っていなかったという自負心がある。でも75歳になってもまだ分からない部分はありますよ。25歳や30歳くらいでいろいろなことが見えなくて当然だね。私はゴルフを天職だと言える。こんなに幸せなことがあるかね。大勢のギャラリーのワーッという歓声を浴びながらフェアウエーを歩いてきたから、これからもそんな道を歩いていきたいし、まだまだ勝ち負けの場にいたい。そのために大切にしているのが競争心、闘争心、挑戦心、好奇心という4つの心。この一つでも欠けたら、そのときはゴルフをやめるでしょうね。

プロフィル
プロゴルファー 日本ゴルフツアー機構 会長

あおき・いさお/1942年千葉県我孫子市生まれ。15歳でゴルフキャディーになり64年プロ入り。71年「関東プロ」で初優勝、76年に初の賞金王、78年から4年連続賞金王に。80年「全米オープン」ではジャック・ニクラウスとの死闘を演じ2位、83年「ハワイアン・オープン」優勝。現在シニアツアーに参戦中。2004年、日本人男子として初の世界ゴルフ殿堂入り、08年紫綬褒章、15年旭日小綬章受賞。16年日本ゴルフツアー機構会長に就任。

プロゴルファー 日本ゴルフツアー機構 会長

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これまでもこれからも挑戦する人とともに

常に挑戦する魂を失うことなく、時代の最先端を走り続ける日産自動車のプレミアムセダン。クルマ本来の最高のパフォーマンス、最高の走行性能にこだわり続けてきたからこそ、あえてラグジュアリーではなくプレミアムと呼ぶにふさわしいクルマたち。輝かしい歴史とDNAを受け継ぎ、新たな未来を拓(ひら)くその魅力に迫る。

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進化の結晶が、いまここに。

「若い頃はモータースポーツにも憧れて、18、19歳ごろにバイクの免許を取ったけれど、スピードを出し過ぎる自分が危ないと思ってやめちゃったんだ。だから自分で運転しないのに、スカイラインGTの「日本グランプリ」での活躍(※)を見たりしてた。やっぱり日産車、特にスカイラインは一番乗ってみたいクルマだったね。最近は自動ブレーキとか自動運転とかクルマもゴルフもどんどん進化してきているけど、時代が変化して行くのを見るのは楽しみですよ」(青木さん)
多くの人々の心を高揚させ続けてきたスカイラインの挑戦の魂は、新型スカイラインにも息づいている。その結実の一つが、ハイパフォーマンスと環境性能を高次元で両立させたハイブリッドシステムだ。電気自動車の開発で培った高出力かつ瞬発力の高いモーターによって、エンジン始動時間が短く、鋭いレスポンスや息の長い加速を実現した。時代や社会の変化を捉え、進化し続けるスカイラインの挑戦はこれからも続いていく。

※64年、第2回日本グランプリ決勝。当時、圧倒的な速さを誇ったポルシェのレーシングモデルを、スカイラインGTが1周ではあるが追い抜くという離れ業を見せ、日本中の話題をさらった。この名勝負は「スカイライン伝説」として今も語り継がれている。

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プレミアムセダンの頂点を
革新し続ける。

セドリック、グロリアの系譜を繋ぎ、日本のプレミアムセダンの頂点から、世界の頂点へと革新の道を歩み続けるフーガ。パワフル&ハイレスポンスな走行性能と優れた環境性能を両立する、1モーター2クラッチ方式の「インテリジェント デュアル クラッチ コントロール」を採用した独自のハイブリッドシステムなど。その挑戦の全ては、人生を革新し続け、真の豊かさの価値を知るオーナーのために。

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