挑戦者の原動力 スカイライン特別企画

プロランニングコーチ 陸上競技解説者、ランナー 金 哲彦さん 走る楽しさ伝える伝道師として私の挑戦は終わらない

 箱根駅伝で早大2連覇に貢献した金哲彦さんは、陸上部のなかったリクルートに入社し、その後市民ランナーを支える新たな組織を設立するなど、日本のランニングブームをけん引してきた。市民ランナーの挑戦を支えながら、走る楽しさを伝え続ける金さんに、彼の挑戦の流儀などを聞いた。

国内の駅伝大会で満足せず、世界の舞台を視野に

 中学から陸上を始め、高校まではいわゆる田舎のスポーツ少年でした。県内上位に入る程度の実力で、世界なんて意識したこともありませんでした。価値観が大きく変わったのは早稲田大学に入ってからです。憧れの瀬古利彦選手の母校という理由で受験し入学したのですが、陸上部の中村清監督から「世界を目指す」意識を強烈に叩き込まれました。

 今の大学生は、箱根駅伝で活躍すると国民的ヒーローとしてもてはやされ、それで満足してしまう子も多いですね。でも当時はテレビ中継もなかったから、優勝しても区間賞を取っても騒がれない。中村監督は世界レベルで戦う瀬古さんを指導していましたから、「先輩が目指している世界一に比べれば、箱根なんか遊びだ」と少しも褒めてくれないのです。中村監督に出会ったことで、現状に満足することなく、漠然とではあるけれど世界の舞台を視野に入れて走るようになりました。

 卒業を前に有名実業団チームからいくつか誘いもいただきましたが、どうしても中村監督と比較してしまう。ほかの監督も素晴らしい方ばかりでしたが、物足りなく感じてしまうのです。それならばと、既存のチームに入るのをやめ、当時、運動部はスキー部だけというリクルートに入社し、たった一人で陸上部を立ち上げました。中村監督から教わったことを礎に、自分がマラソン選手としてどこまでできるかチャレンジを始めたのです。

成功分かち合う喜び知り引退 選手の夢を支えるコーチに

 現役を退きコーチになったのは、28歳のときです。そのころのリクルートは小出義雄監督の下、有森裕子選手をはじめ有力女子選手を擁するチームに成長していました。私はといえば、高地トレーニングのため米国コロラド州ボルダーに拠点を構えていました。そこへ小出監督から電話があり、バルセロナでの世界大会出場が決まった有森選手を預かってくれないかと頼まれたのです。

 小出監督とともに私も彼女のコーチを務め、有森選手は見事に世界2位の栄冠を手にしました。私自身は代表にはなれなかったけれど、有森さんをコーチングしたことで、彼女の成果を自分のことのように喜ぶことができたのです。このかけがえのない体験を通じ、自分の果たせなかった夢を今度は後輩たちに託すのもいいなと素直に思えたことで、引退して指導者になることを決断しました。

 30歳でコーチから監督に就任。小出監督が総監督を務め、私はマラソン以外の女子選手十数人を受け持つことになりました。監督の仕事がいかに大変か、3カ月で分かりました。コーチのときは監督の言葉をそのまま伝えれば済みましたが、監督になると自分の言葉を持たなければなりません。選手時代にそれなりの成績を残していたこともあり「トレーニングとはこういうものなんだ」と、当初は理屈ばかりで選手に接していました。

病気という体験でまた一つ、ランニングを核にした枝が広がっていきました

「ランニングによるうつ病の作業療法をお手伝いし、大きな成果を残せたこともあります。40代で大腸がんを克服、走ることは健康な人たちのためだけではないと身をもって知ったことがきっかけです。病気という体験でまた一つ、ランニングを核にした枝が広がっていきました」

金さんを支えるもの トレッドミル

「既存のマシンを自分で少しずつ改良。走りながら前後・左右からフォームチェックができるよう、4つの小型カメラとモニターを設置しました。ランニングベルトが硬めなので、地面と同じ感覚で走れるよう工夫するなど、これからもさらにバージョンアップさせる計画です」(金さん)

選手から反発され、心を動かす指導に目覚める

 でも、選手はそんな指導者を求めていませんでした。ある女子選手が日本代表を懸けて出場したレースで、結果を出すことができなかったときです。私としては「練習でもできていなかったのだから、結果が出なくて当然」程度にしか思っていませんでした。すると彼女が「あなたは強い選手だったかもしれないけれど、単に“元選手”が指導しているようにしか感じない。もっと選手の思いを理解して指導してください」と泣きながら訴えたのです。

 理論や正論を一方的にまくし立てるだけでは、選手の心を動かすことなどできないのですね。

 それからは、とにかく時間をかけて選手の話を聞くようにしました。一人ひとり何時間も面談していると、聞いてあげる行為自体で選手たちは心を開いてくれるのです。相手の心が開いて初めて、こちらの言いたいことが伝わるのだと痛感しました。今、市民ランナーを指導していますが、接し方は同じです。ただ選手のように仕事で走っているわけではありませんから、達成感や自己実現につながるよう、まず褒めて、次に改善点をアドバイスするように心がけています。

挑戦には「核」が大事 挑戦自体を面白いと思って

 市民ランナーの指導者に転身したのは、会社から「君たちの役割は終わった」と言われ、もう企業スポーツの時代ではないと直感したからです。ちょうどその頃、総合型地域スポーツという取り組みが始まっており、これからは日本にも地域に根差した新しいスポーツの形ができると確信しました。それならば、自分なりに新しいスポーツ支援のあり方を考え、実践しようとNPO法人を立ち上げたのです。

 ただそのときは、ここまで市民ランナーが増え、ランニングブームになるとは想像していませんでした。ありがたいことに現在、テレビ番組への出演、駅伝中継の解説、マラソン大会のコンサルティング、ランニンググッズの商品開発など、幅広い仕事で声をかけていただくようになり、実にいろいろなことに挑戦しています。

 仕事でも趣味でも同じで、挑戦に大切なのは「核」があることではないでしょうか。その「核」の部分では誰にも負けない情熱を持ち、常に研究し、自信もある――。私の「核」は「ランニング」で、そこから枝が次々と伸びています。「核」から広がった枝なら、新しいことでも決して困難だと思わずワクワクした気持ちでチャレンジできます。挑戦自体を面白いと思えることが大事ですね。

 私には、走ることで人生は豊かになるという確信があります。これからも走る楽しさをより多くの皆さんに伝える伝道師として、私の挑戦は終わりません。

プロフィル プロランニングコーチ 陸上競技解説者、ランナー

きん・てつひこ/1964年福岡県生まれ。早稲田大学競走部時代は、箱根駅伝で4年連続5区「山上り」を走り、2度の区間賞を記録。リクルート入社後は選手、コーチ、監督として活躍。退職後、市民ランナー育成を目的にNPOニッポンランナーズを設立し、理事長としてコーチングを続けるかたわら、テレビ、ラジオなどで陸上解説者としても活躍。NHK-BS1『ラン×スマ〜街の風になれ〜』にレギュラー出演中。

プロフィル プロランニングコーチ 陸上競技解説者、ランナー

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常に挑戦する魂を失うことなく、時代の最先端を走り続ける日産自動車のプレミアムセダン。クルマ本来の最高のパフォーマンス、最高の走行性能にこだわり続けてきたからこそ、あえてラグジュアリーではなくプレミアムと呼ぶにふさわしいクルマたち。輝かしい歴史とDNAを受け継ぎ、新たな未来を拓(ひら)くその魅力に迫る。

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セドリック、グロリアの系譜を繋ぎ、日本のプレミアムセダンの頂点から、世界の頂点へと革新の道を歩み続けるフーガ。パワフル&ハイレスポンスな走行性能と優れた環境性能を両立する、1モーター2クラッチ方式の「インテリジェント デュアル クラッチ コントロール」を採用した独自のハイブリッドシステムなど。その挑戦の全ては、人生を革新し続け、真の豊かさの価値を知るオーナーのために。

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