竹内達也
1980年生まれ。埼玉県出身。埼玉県蓮田市立黒浜中学校卒業。小さいころから勉強は苦手だったものの、「社長業」に憧れを持ち、フリーター時代を経て、 様々な事業に参画。その後、得意の電信分野で夢への一歩を踏み出す。仕事自体が趣味。座右の銘は「出来ない言い訳より出来るやり方を探そう」
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INTERVIEW

当社が周囲と常に差別化を図ろうとしているのは「どんな時もお客様に喜んでもらおう」という、仕事に対する意識の持ち方です。こうした意識は営業から技術者、すべての社員が共有している理念であり、創業以来からかたくなに貫いてきたものでもあります。たとえば社内では、お客様からのクレーム案件を「ラッキーコール」と呼んでいます。クレームや様々なご意見によりお客様の生の声を聴くことができるわけですから、サービス向上に何よりも役立つラッキーなものだと捉えるようにしているんです。もちろん理想をいえば、クレームはゼロであるほうが望ましいでしょう。しかし一人ひとりのお客様と真摯に向き合い、丁寧に要望にお応えしていくことはとても大切なこと。お客様に喜んでいただくことが、私たち社員全員の喜びにもつながりますから。

行き当たりばったりだった青春時代

竹内達也

そうした考えに目覚めたのは、私自身が真っ直ぐな人生を送ってきたからではなく、むしろ迷ってばかりのさすらいの青春を過ごしてきたからです。私は高校に入学し、わずか4日で退学しました。それからはずっと、バイトを転々とするフリーター生活を送っていたんです。実は私の家庭も散々で、父は事業に失敗して自己破産しています。母が代わりに働きに出るというありさまでしたね。しかし、そうやって多くの経験を積んだことで、現在の仕事に出合うことができたのだと思っています。

もともとパソコンが好きだったため、ホームページをつくる仕事をしていた友人のもとでウェブについての勉強をしながら一緒に働いていました。それがうまく軌道に乗ったため、独立して現在の会社を興したんです。ところがアンテナ業界とはほとんど未経験の世界。しかもこの仕事は常に屋根から転落し、命を落とす危険性があるものです。はじめはとにかく毎日をがむしゃらに過ごすばかりで、何の計画性もありませんでした。ただただ生活のため、家族のため、毎日売り上げのことしか考えられませんでした。

しかし少しずつ慣れてくると、この仕事の良さも見えてくるようになりました。というのも、アンテナ修理をすることにより、それまで見られなかったテレビが映るようになってお客様が喜んでくださるのです。お客様が喜びと感謝を示してくださるようになると、いつしかそれが私の喜びとなりました。それから当社の理念を「感動と安心の提供」と位置づけ、常にお客様の立場に立ったサービスを心がけるようになったのです。もちろんこの信念は営業や工事部の社員にも浸透させなければいけませんでした。社内環境を整備し、個々の社員が力を発揮できるよう社員間のコミュニケーションを密にしました。またその過程で、仕事は一人ではできないとあらためて実感したため、自信過剰さもなくなっていきました。その結果、社員、お客様、地域社会のすべてを幸福にするのが当社の企業使命だと認識するに至ったのです。

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熱い気持ちで生き続ければ、それが自信となる

当社は若い会社ですが、それだけにたくさんの夢があります。一つ目は、日本全国のお客様に感動と安心をお届けすること。そしてもう一つが、異業種にからめた事業を展開することです。それには、宇宙関連の業務を考えています。なにしろこの分野には未来があり、未開拓で夢があります。さらに今後の目標として当社を大きくするとともに、業界全体の底上げとPRを考えています。当り前ですが、アンテナがなければテレビは映りません。しかしそのことは、お客様にはあまり理解されていません。よってこの点を、広告により認知していただこうと考えております。またアンテナに限らず、水道事業でも、お客様に納得、理解していただく必要があります。当社は壊れたものを直しさえすればいいとは考えておりません。したがってそうした点では、まだまだ向上の余地があります。

そして私自身は「カッコいい大人」になりたいと考えています。それは、言動が自信に満ちあふれた人という意味です。もちろん、現在の私ではまだまだですが、会社を背負っていく立場で自分の責務を果たし、情熱を持って日々前向きに仕事に邁進すれば可能だと思います。さらに若い人たちには、仕事、運動、勉強を楽しみながら続けてほしいと思います。それがいつかきっと、あなたを支える自信となるでしょう。

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