杉本宏之
1977年生まれ。神奈川県出身。高校卒業後、宅建主任者資格を取得し不動産会社に就職。2001年に独立し、エスグラントコーポレーションを設立。05年、業界史上最年少で上場。09年に民事再生を申請し、翌10年にSYホールディングス設立。
https://sylaholdings.jp/

INTERVIEW

経営は楽しいものではありません。わくわくする瞬間はもちろんありますが、9割ぐらいは辛いものです。どんな時でも経営のことが頭から離れませんし、悩みに悩んで考え抜くことが習慣になっています。この煩わしさとは一生付き合っていかないといけないのでしょうね。仕事に限ったことではありませんが、辛いと思い込めば辛いだけです。私は「経営とはこういうものなのだ」と割り切って考えるようにしています。そうすれば、案外大丈夫です。

極貧生活を送った子供時代

杉本宏之

私が4歳の頃に父が不動産業で失敗し、それまでの平穏な生活が一転しました。子供時代の記憶の大半は、6畳一間、風呂無しアパートでの極貧生活です。高校生の頃、父と取っ組み合いのけんかの末、大惨事になったこともあります。将来が見えない中、互いに極限状態で戦っていたんでしょうね。これがきっかけで、将来のことを真剣に考えるようになりました。

高校を出ると奨学金で専門学校へ進み、宅建の資格を取って父と同じ不動産業へ飛び込みました。求人広告の「完全歩合」という言葉に引かれたんです。入社すると、誰よりも努力して働きましたし、人脈作りのために毎晩宴席に顔を出しました。営業成績で結果を出しているのだから多少のことは大目に見てもらえるだろうという打算もあって、勝手な振る舞いばかりして会社にたくさん迷惑をかけました。出資するから独立しないかと声を掛けられたことがあるのですが、年収はすでに2千万円を超えていましたし、自分の成長も実感できて充実していたので、なかなか踏み切れませんでした。考えが変わったのは、米同時多発テロの時です。その時私は旅行でラスベガスにいたのです。違う便に乗っていれば自分が巻き込まれていたかもしれないと思うと、人生のはかなさを感じたのと同時に、したいことを先延ばしにせず今やろうと決意したのです。

独立してエスグラントコーポレーションを立ち上げると、デザイナーズワンルームマンションの開発を皮切りに、次々に事業を展開していきました。当時の経営スタイルは今と真逆ですね。20代で100億円近い資産が転がり込んできて、国内外でも行く先々で褒められて。調子に乗って礼儀も軽んじていたし、パフォーマンスじみた言動で注目を集めようとしていました。

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今は泥臭くダサいことを継続する

ところが09年にリーマン・ショックのあおりを受け、経営破綻に追い込まれたのです。お金がなくなった途端、人が離れていきました。身から出たさびとはいえ、片っ端から裏切られて打ちひしがれましたね。一方、意外な社員が味方になってくれたり、厳しい局面で力を発揮してくれたりもしました。そんな人たちがいたから奮起することができたんだと思います。翌月から再び、事業を再開しました。ありがたいことに、エスグラント時代の仲間が手を差し伸べてくれたり、わざわざ転職先を辞めて戻ってきてくれたりしたんです。彼らのためにも二度と失敗はできないと思いましたし、絶対にエスグラントを超える会社にしようと覚悟を決めました。

今は、利益が急激に伸びることはありませんが無理をしない経営を心掛けています。これで満足しているわけではありませんし、突っ走りたくなることもありますが、必死に抑えているところです。いつかまたリーマン・ショックのようなことは起こるでしょう。よく社員たちとその時のことを想定して議論します。以前と一番変わったのは、最大のパフォーマンスを発揮できた場合の最高のシナリオと、最悪の事態に陥った場合のリスクの両面を考えるようになったことでしょうか。昔は最高のシナリオしか考えていませんでしたからね。

近い将来、自社賃貸ビルを増やして家賃収入と管理だけで社員を養える状態にしたいですね。そうすれば安定した経営が実現できますし、次の攻めに転じることができます。その先には壮大な目標もありますが、まずはカッコつけずに、泥臭くダサいことをやり続けてそこまでたどり着きたいですね。

今の日本は少子高齢化だとか国の借金だとかネガティブな問題ばかりが目に付いて、閉塞感にさいなまれている人が多いと思います。しかし、悲観するばかりでは生産性がありません。日本はまだまだ成長できるし、世界と渡り合っていけると私は思っています。若い人たちには、世界に飛び出すぐらいの気概を持ってほしいですね。共に戦いましょう。

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