齋藤邦之
1951年生まれ、宮城県出身。大学卒業後、エレクトロニクス系商社に就職。フロッピーディスクなど記録メディアの販売を経て、79年に磁気研究所を設立。自社ブランドを中心にDVD等の光ディスク、USB等フラッシュメモリ製品の販売、レガシーメディアの供給だけでなく、データの復旧、変換、複製サービスまで幅広く対応している。
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INTERVIEW

当社は外部記録媒体の専門商社です。コンピューターの記録がいっぱいになると、どこかに逃がさないといけないわけですが、そういった記録を補助的に受け取る媒体を専門に取り扱っています。大型コンピューターから個人で使用するパソコンまで、一連の記録メディア全てを取り扱うほか、過去に使われていたカセット、VHSテープやフロッピーディスクなどのレガシー記録メディアの供給や、データが壊れた古い記録媒体の修復ができることも当社の強みの一つです。

「若さ」という財産を、自分のために使おう

齋藤邦之

宮城県気仙沼市から60kmほど離れたところで生まれました。自然の中で、野生動物の一員のように過ごした幼少期でした。父と母と一緒に散歩をしたことが一番心安らいだ思い出です。しかし東北の奥地で生活を続けることは大変厳しく、親戚を頼って兵庫県に移り住むことになりました。私は当時小学6年生で親についていくしかなかったのですが、姉は東京で就職し、兄は高校に通うため地元に残るなど、家族がバラバラになってしまいました。楽しみが何もなく、本の一節を読み、想像して楽しむという時期がありましたね。コロンブスの伝記などを読むと夢がふくらみ、世界中を冒険して歩きたい、人が行っていないところに行ってみたいと思うようになりました。

学校卒業後は飛行機やロケットの機器や材料を取り扱うエレクトロニクス系の商社に入社したのですが、どちらかというと劣等社員で、一番簡単なコンピューターの記録媒体やそれを駆動する機器を担当する課に配属されました。当時は営業マニュアルなどはなく、お客様のリストを渡されて自分の足で歩いて探すしかなかった。まずは一生懸命、一つずつコツコツとこなしていこうと取り組みました。コンピューターのことも全くわからなかったので、朝7時半には出勤して、会社で勉強をしていましたね。1週間の営業スケジュールを組み、潜在的に需要がありそうな会社には、アポも取らずに、たとえ会ってもらえなくても、毎週同じ時間に伺うようにしていました。3カ月もするとお客様の方から電話がかかってきたり、訪ねてきてくれたりして、少しずつ手応えを感じるようになりました。

独立を考え始めたのは27歳の頃です。自分のことを振り返ってみたとき、お金も何もない、あるのは若さだけだと。この若さという財産を自分のために使おうと思ったことが起業のきっかけです。勤めていた会社の看板を外したとき、それまでに培った人脈のうち何人が付き合いを続けてくれるのか、不安とともに大きな期待もあり、当時の会社の方などから計100万円を借りて起業しました。当時はフロッピーディスクという記録媒体に自分の子どもの成長を見るような愛着を感じており、とにかく売らないといけないという気持ちとともに、自分の手でより大きくしていきたいという気持ちで満ちあふれていました。

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「3つの堤防」を用意して、時代の波を乗り越える

この産業は進化の成長スピードがとても速いのです。時代の変革のスピードに合わせて、企業も体制を変えなければならない。小回りの利く企業だからこそ、次世代の記録媒体に関する情報を細かくキャッチアップでき、マーケットとの距離も短くできると考えています。また、良い意味でのいい加減さも大切ではないかと思っています。あまり深刻に考えすぎるとその間に時代の波が去っていきます。こうなった場合はこうする、というような堤防を常に3つ持ち、1つ目が破れたら2つ目、2つ目が破れたら絶対に安全な3つ目を出すというやり方でこれまで会社を経営してきました。世の中なるようにしかならないと思いますので、さまざまな考え方を持つようにしています。

40年にわたって外部記録媒体の専門商社としてやってきましたが、これからも記録媒体一筋でいきたいと思っています。40年でコンピューターも大きく進化しましたが、我々は我々ができる仕事を真摯に行っていきたい。具体的には、世界のメーカーが製造を止めた記録媒体を継続して販売していきたい。お客様が困っているところを少しでもフォローし、喜んでいただけるように、今後も記録媒体の専門商社として、さらに努力し、まい進し続けていきたいと思っています。現在はクラウド上でデータを保管する方法もありますが、それがいつまでも続くという保証は何もない。本当に大事なものは自己責任で保管するという領域は、この先も変わらないと考えています。

中学3年生の時の卒業式で、担任の先生が餞(はなむけ)の言葉として、黒板に大きく「努力必達」と書き、努力をすれば必ず何でも達成できる、どんなことがあっても諦めず、つらいときは努力しろと話してくれたことが、今も自分の心に大きく残っています。自分がピンチに陥った時はいつもその言葉が湧いてきて、私の道しるべになっています。自分を生き返らせてくれて、新しいチャレンジに導いてくれる、ダイヤモンドのような言葉です。若い方たちも、時代の変化は激しいですが、努力をすれば必ずや自分の夢はかないますので、一緒に頑張っていきましょう。

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