中山愼一
1960年生まれ、大阪府出身。大学で薬学部に進学し、薬剤師の国家資格を取得。卒業後は製薬会社に勤務しMRとして活躍。87年、家業であるナカヤマ精密に入社。
http://www.nakayama-pre.co.jp/

INTERVIEW

日々発生する問題や不具合と向き合い、一つひとつ改善してより良い製品を作り上げていく。製造業はその繰り返しです。それがものづくりの楽しみであり、やりがいだと思っています。 私たちは設備投資に力を入れているので高精度な機械を使いますが、仕上げに人の手技を加えることで機械だけではできないものを作り出しています。 お客様から難易度の高い加工依頼を頂くことが増えてきましたが、これからもチャレンジ精神と泥臭さを失うことなく作り続けていきたいですね。

絶対に継ぎたくないと思っていた

中山愼一

少年時代は元気いっぱいで、暗くなるまで近所の公園で野球をして遊びました。家は部品を作る町工場。納期に追われ夜遅くまで真っ黒になりながら働く両親や従業員の姿を見ながら、 こんなに大変そうな仕事は絶対にしたくないと思っていました。父も私に無理強いすることはありませんでしたね。特に勉強ができたわけでもないのですが、 理科の実験のようなことが好きで将来は実験ができる仕事がしたいと思っていました。大学は薬学部に進学し、薬剤師の国家資格を取ると製薬会社のMRとして就職。 数年働きましたが、心の中では自分の手で何かを作るということへの渇望があったんですよね。ただMRの仕事にもやりがいは感じていたので、辞めてまで新しいことにチャレンジするべきかどうか悩みました。

その頃、小さな工場だった実家は両親の努力で大きくなり社員が増え、扱う製品も電子部品や金型部品など精度の高いものに変わりつつありました。絶対に継ぎたくないと思っていた家業ですが、 自分も加わり、会社をさらに成長させる手助けをしたいと思い入社させてもらう決心をしました。

会社に入るとまず製造の現場を経験し、生産管理や工程管理、営業など一通りの仕事を学びました。経営者目線で物事を考えるようになったのは、熊本工場の責任者として赴任した頃からだったと思います。 社長に就任したのは41歳の時。その頃は業界全体が不況で、うちでも受注売上が大きく落ち込み会社の存続すら危ぶまれるほどでした。そこで難局を乗り切るために、 それまで大阪と熊本の二カ所にあった製造拠点を一本化し、社員35名のリストラに踏み切ったのです。それが私の社長としてのスタートです。あの心苦しさは忘れることができません。もう二度と経験したくないですね。

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「この会社で働いてきてよかった」と思ってほしい

今思えば、若い頃は利益や効率を第一に考えるところがありましたね。それが、リストラ断行に始まり、その後も不況やトラブルを皆で乗り越える中で、社員や世の中のため、 社会貢献のためには何をするべきかということが自然に視野に入るようになってきました。自分たちが良い思いをするだけではなく、世の中の役に立つことが会社の存在意義ではないでしょうか。 創業からもうすぐ50年ですが、これからも100年、200年と存続させなければいけないと思っています。働いている社員が皆安心して生活し続けることができる会社でありたいし、 定年を迎えた時に「この会社で働いてきてよかった」と思ってもらえるような会社であり続けたいですね。

今は部品加工がメインですが、そのうちオリジナル製品も作るつもりです。業界全体で、他社が作った製品に付加価値をつけて売る手法が主流になっていますが、 うちは一つひとつを自分たちで作ってそこに価値をつけていきたいんです。メイド・イン・ジャパンにこだわって、製造の拠点も国内だけと決めています。 泥臭いやり方かもしれませんが、製造業の原点を忘れたくないですね。

いつまでも自分が主力でいられるわけではないので、65歳までに次の世代にバトンタッチしようと考えています。 あと10年近くありますが、時代ごとに主力となってくれる後継者や社員を育てていくことも自分の使命だと思っています。 そして残りの人生を存分に楽しみたいですね。一度きりの人生ですから。今も週末はモーターボートや水上バイクに乗りますし、飛行機のライセンスも持っています。 引退後はどこへ行こうか今から楽しみです。よく「最近の若い者は」などといわれますが、若い人たちも自分なりにいろんなことを考えているんですよね。どうか元気に頑張ってほしいです。 うちにも「将来が楽しみだな」と思わせてくれる面白い社員がどんどん増えています。私は若い人たちの力を信じていますし、大いに期待しています。

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