越野健太郎
1969年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学を卒業後、清水建設に入社。その後、ITベンチャーIIJに転職し、マネックス証券の代表を務める松本氏との出会いを機に独立を決意。2002年に株式会社ケーズカラナリープランニングを設立。神楽坂で第一号店を出店し、その後も順調に業績を拡大し続けている。
http://www.kcplanning.co.jp/index.html

INTERVIEW

単にお金もうけのためにビジネスをするのではなく、世の中にないものを生み出し、世間に認められたい。その強い欲求が私の大きな原動力になってきました。そして、自分が楽しいことを一過的に行うだけでは意味がありません。継続することが大切です。自分が楽しいことをやり続けていくこと、そのための負けない経営哲学を貫いていくことが、何より大切なのだと考えています。

自主性がもたらした、ダイナミックな挑戦

越野健太郎

サラリーマン家庭で育った私は、幼い頃から自主性を尊重されてきました。両親に何かをしてもらうというより、自分の頭で考え行動し、自分でしたことは自分の責任。そんな教育方針が私の土台を築いていったのだと思います。たとえ学校に遅刻していても、親が起こしてくれるようなことはありませんでした。そうした習慣が徹底されていたのです。

社会人としてのスタートは、大手建設会社に就職することから始まりました。入社後の新人研修では、総務、営業、現場と各部門を1年半ずつ経験し、とても人に恵まれた環境の中で仕事の在り方を学んでいきました。しかしそれだけ充実した社会人生活を送っていても、もっと自主性を生かせる挑戦的な環境に身を置きたいと考えるのが私の常です。入社からわずか4年半でITベンチャーへの転職を決意し、まったく畑違いの環境で再スタートを切ったのです。そこではシステム開発担当としてプロジェクトリーダーを任されるなど、インターネット時代の幕開けとともに様々な経験を積んでいきました。当時の経験は今でも大きな財産になっています。とにかく仕事が楽しかったから、もちろんその時点では起業をすることなどもちろん考えてもいませんでした。

転機が訪れたのは、マネックス証券の立ち上げに伴うシステム開発を担当していた時のことです。マネックス証券の代表を務める松本氏に出会い、たった3人程度の会社がものすごいスピードで上場まで駆け上がっていく姿を目の当たりにし、大きな感銘と刺激を受けました。自分もダイナミックな挑戦をして、仲間とともに会社をつくりあげてみたい。そんな思いが起業家への道を切り開いたのです。

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飲食業界に勝機を見いだした、負けない経営哲学

私が挑戦の場に選んだのは、競合他社がひしめく飲食業界でした。建設業界や金融業界など、それまでのキャリアを生かした起業ではありません。とにかく自分のクリエーティブな観点を生かして挑戦できるのなら、どんな業界でもよいと考えていたのです。創業当時は周囲からの反対意見も多かったですし、飲食店を立ち上げても3年もたてば99%は潰れると言われていました。しかし私は、その意見の言いなりになるつもりはありませんでした。あえてみんなと同じことをしないことで、あえて難しい道に進むことで、成功確率は上がるような気がしていたからです。

もちろん、勝機はありました。勝てるビジネスだと自信を持っていました。みんなと同じことをしていてもダメなことは理解していましたし、精神的にタフでないと戦えない業界であることはわかっていたつもりです。そして私が何より大事にしてきたことは、お金では動かないことでした。例えば、マネックス証券の松本氏を、お金持ちだからかっこいいと思ったことは一度もありません。自らの高い志をもって起業し、それを成功へと導いている、その姿こそがかっこいい。それが私自身の負けない経営哲学を形作ってきました。

そして当社は鉄板焼きブランドとして、都内近郊を中心に飲食チェーンを展開していきました。我々が身を置く飲食業界では、シェフが変わると店が潰れてしまうなど、人材にどうしても依存してしまう傾向があります。そこで我々は、様々な形で独自のフォーマットをつくり、仕組み化し、どこに出店しても高品質な料理とサービスを提供することを可能にしていきました。そして多くのオフィスワーカーから喜ばれる飲食チェーンとして親しまれてきたのです。お金もうけのために多角的な事業展開をしていくことに興味はありません。クオリティーを追求し、永続的で負けない経営をすることが、何よりも大切だと考えています。

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