小池利和
1955年生まれ、愛知県出身。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業後、79年ブラザー工業に入社。入社3年目から23年間アメリカに駐在し、プリンター事業の拡大に貢献。92年、米国法人の取締役社長に就任。05年に帰国し、07年ブラザー工業の代表取締役社長。
https://www.brother.co.jp/

INTERVIEW

ブラザー工業はユニークな企業だと思いますよ。社長と従業員との距離もないようなものです。 悪く言えば、厳しさに欠けるしいい加減なところはあるし、組織として足並みをそろえるのは苦手です。でもその分、やりたいことをできるし人に優しい会社だと思っています。 私も仕事で失敗して迷惑を掛けたことが何度もありますが、この会社の度量の大きさに救われてきました。 これからもそんな企業であり続けたいですね。従業員が明るく楽しく、長く働けることが大事です。

人と違うキャリアを積みたくてアメリカへ

小池利和

昔から先陣を切って走るのが好きな性分で、学生時代は生徒会の役員やサークルのリーダー役を買って出ていました。手先は不器用だけど、人の顔や名前、話した内容を記憶するのは得意でした。

ブラザー工業に就職したのは、自分の裁量で仕事をさせてもらえそうだと思ったからです。入社した頃はちょうど、メインだった国内での訪問販売事業から海外進出へと転換を図っている時期でした。 若いうちにいろんな経験を積みたいと思っていた私は、入社3年目に自社ブランドのプリンターを米国市場で展開する事業の責任者に立候補したのです。 このまま年功序列でなんとなく出世していくよりも、人と違うキャリアを積みながらのし上がっていく方が楽しそうじゃないですか。失敗は怖くありませんでした。

ロサンゼルスに家を借りて、今で言うホームオフィスのような仕様にしました。電話を引き名刺を作り、プリンターのサンプルを片手にお客さんと取引をするのですが、 英語は思った以上に難しくアポを取るのも一苦労で、えらいところに来てしまったと思ったものです。仕事の傍ら、家庭教師に英語を習ったり学校に通って会計学を学んだりしながらどうにか乗り切りました。

半年経った頃、複数のメーカーや商社からOEM(他社ブランドの製品を製造すること)での注文が入るようになり、 間もなく自社ブランドのドットプリンターも売れ始めて事業は軌道に乗ったように思えました。 しかし、その数年後にはヒューレットパッカードをはじめ、各社がレーザーやインクジェットなど画期的で高性能なプリンターを次々に開発して市場に送り出してくるのです。 うちにはそんな技術もラインアップもなく明らかに競合他社に後れを取っていたので、私は「このままでは会社の存続が危ない」と本社に訴え続けました。

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俺がやらずに誰がやる!

目まぐるしい技術革新についていくためには、自社開発が不可欠でした。本社の技術者たちの努力のかいもあり自社製のエンジンの開発に成功すると、 90年代に自社製のレーザープリンターとインクジェットプリンターを相次いで発表しました。その後、米国で代表取締役に就任したのは36歳の時のことです。 米国には23年間も滞在して大変なこともたくさんあったけれど、そんなに辛い思い出はありません。ずっと「俺がやらずに誰がやる」という気持ちでいました。 会社のために身を粉にしてとかではなく、自分のためです。せっかく始めたビジネスなので、自分の手で成功させたい気持ちが強かったですね。心が折れることはありませんでした。

帰国後、07年に社長に就任しました。先代社長が掲げた「グローバルビジョン21」では、1兆円の売上高を目標にしています。 リーマンショックの時に落ち込んだ業績も現在は倍の8000億円まで伸びているので、あと数年もすれば目標の1兆円に到達できるかもしれません。 もし実現したら、その時は現役を退いているとしてもきっとうれしいでしょうね。

私のモチベーションは、お客様や株主、社員などブラザー工業に関わる人たちが自分に期待しているだろうということ。人に期待されなくなったら、きっとモチベーションを一気に失ってしまうと思います。 私が若い頃と比べると、価値観が多様化して一言で何かを表すのは難しい時代になっています。 うちに来る若い社員たちはみんな頭が良くて言われたことはきちんとこなすけど、自発的に事業や商品を考え出すような人はあまりいない印象です。 無茶とか横着な人は見かけませんね。みんな優等生なんだけど、もう少し破天荒な人がいてもいいんじゃないかな。

若いうちは小さくまとまるのではなく、大きな夢を描きながら明るく楽しくやることが大切です。 突然何が起こるかわからない時代ですが、良いときも悪いときも、常に目標や夢や自分と向き合っていてほしいと思っています。

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