清川甲介
1977年10月16日生まれ、愛知県出身。建設会社を営む経営者の父を持つ。高校卒業後は、専門学校に進学。専門学校卒業後に就職した建設会社では現場監督に従事。その後に転職した大手建設系アウトソーシング会社にて営業職を経験の後、26歳で代表取締役に就任。「雇われ社長」としての立場に窮屈さを感じ、2006年株式会社コプロ・エンジニアードを設立。建設業界に特化したアウトソーシング事業を展開。2015年5月1日にホールディングス化体制に移行。
https://www.copro-h.co.jp/

INTERVIEW

私にとっての道しるべ。それはまさしく、夢とロマンだと思っています。10年以上「企業のトップ」として走り続けて、常に考えることは「経営者然」について。企業を導く者として、自分はどうあるべきなのか。いつもそれを追い求めているんですよね。というのも、起業を決意したことも自分の「経営者然」への疑問や葛藤がきっかけになったからなんです。社長を務めることはできる、成果も残すことはできる。でも、その先は……?そんな葛藤を感じていたことが私の大きな道しるべとなったことは確かですね。

父の背中を追いかけて……

清川甲介

事業を経営していた父への憧れは、幼い頃から強いものでした。いつでも周りに気遣いができて、社員や取引先からの人望も厚く、人生最初の道しるべとなったのは父の存在でしたね。いつしか自分も経営者を目指すようになっていました。家業である建設会社を継ぐため、専門学校を卒業した後は、建設現場に出るように。一流の現場監督を目指し、汗を流す日々……。思い描いていた現場監督像と現実の自分の差に苦しんだこともありました。

理想を求めて転職をした先の企業で見出されたのは、営業センスでした。ノウハウを覚えた後は次々と好成績を収め、新規営業所の出店を経験したり、事業所の立て直しも行うようになりました。それらの成果が認められ、会社の社長に就任したのは26歳の頃。プレッシャーや不安の中、求められるものには応え、自分の中でも手ごたえは感じていました。

しかし、大きなグループ企業の中の一企業の「雇われ社長」という身に、窮屈さを感じていたこともまた事実でした。会社は成長していっている。では、自分はどうだろうか……?この殻の中にいても、自分の成長やビジョンの実現には繋がっていかない、と感じていたことが起業を決意した一番のきっかけでした。

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夢が、私の道しるべ

創業した頃はコネも資金もない状態だったので、小さなオフィスに段ボールを置いて、仕事をしていましたね(笑)。不安よりも、ワクワク感や興奮の方が大きかったことを覚えています。それだけ、私たちには叶えたい夢がありましたし、ビジョンを持っていました。

現在、創業13年目を迎え、売上は今期89億円を突破する見込みです。最初の10年は創業メンバーたちが主体となって会社を創ってきました。しかし今では、2012年に新卒で入社したメンバーが支店長や総合MVPとして活躍をしてくれています。若手メンバーが持つ、バイタリティーやパワー、スピード感を持って、色々な業態にチャレンジしていきたいという想いから、2015年5月1日にホールディングス化体制に移行致しました。

私たちは、『エンジニアの熱になる。』という会社スローガンの下、全社一丸となって日々邁進しています。その核にあるのは、やはり人材育成。どれだけ次の世代に「真のリーダー」と呼ばれる人間を育て上げられるかにかかっていると思います。真のリーダーに必要なことは、人間力。人と人の出会いを大切にし、自らも魅力的な人間になっていかないと、生き残っていけないと感じています。そして、その会社を導いていく私が、しっかりと道しるべを社員に示していかなければいけません。

現在、東京・名古屋・大阪の3拠点に自社運営の教育施設「監督のタネ」を設置し、専門講師によるセミナー研修や教育なども実施しております。今後は教育面、研修面にもより一層力を入れ、当社に在籍する技術社員の高度な専門知識や技術力向上の徹底追及をし、建設業界になくてはならない人材に成長するよう日々努力して参ります。

また、日本の労働人口が減っている状況で、海外の労働人口を受け入れることは必要不可欠です。我々も現在、東南アジアの学生を採用し、優秀なエンジニアに育て、国内プロジェクトで活躍してもらえる取組みをしております。2020年の東京オリンピック・パラリンピック、リニア新幹線開通、巨大国家誕生に向けて、今後も、新たな労働力の創生に力を入れていきたいと思います。

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