桂由美
ブライダルファッションデザイナー。 東京都出身。大学卒業後、パリに留学しブライダルを学ぶ。1964年、日本初のブライダル専門店をオープン。69年、全日本ブライダル協会を設立し、99年に東洋人として初めてイタリアファッション協会の正会員となる。2005年、パリのシャネル本店前にパリ店をオープン。日本ブライダル界の第一人者として業界をけん引。13年10月創立のアジアオートクチュール協会の創立メンバーとなる。
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INTERVIEW

子供の頃はおとぎ話が大好きで、絵本ばかり読んでいました。日本がちょうど戦争に差し掛かっていたご時世でしたけど、私の頭の中は美しいお城や白馬の王子様が現れるような世界でいっぱいだったんです。「万年少女だね」とよく言われていましたが、確かに今でも変わらないですね。 おとぎ話とウエディングドレスは通じるものがあります。結婚式はプリンセスになれる特別な一日ですから。この仕事は神様が与えてくださった天職だと思うし、本当に私に向いていると思いますよ。花嫁さんたちが喜んでくれることが何よりも嬉しくて、私のエネルギーになります。「好きだ」という気持ちがあったから、長く続けることができたと思っています。

演劇の世界からファッション業界へ

桂由美

学生時代は演劇にのめりこみ、大学と並行して文学座の演劇研究所にも通いました。洋裁学校を営む母は、長女の私に早く家業を継いで欲しかったみたいですが、私は洋裁が苦手だったのでまったくその気がなかったんです。洋裁の上手なお弟子さんはたくさんいるのだから、その人たちが継げばいい。私には私の道があるんだ、と思っていました。しばらく演劇に没頭していたのですが、ある時自分の才能の限界に気付いてしまったんです。今後のことを考えあぐねていると、当時演劇チームのリーダーだった芥川比呂志氏(芥川龍之介のご子息)が、「まずは大学でしっかり勉強しなさい。大学を出てから文学座に来ても遅くはないし、その時は喜んで迎えるから」と言ってくださって。

親にそんなことを言われたら余計に反発しそうですが、私は芥川さんのことをとても尊敬していましたから、素直に大学で勉強に専念することにしたんです。今まで見向きもしなかったファッション業界のことも一から勉強しました。そして、洋裁が苦手でもデザイナーやスタイリストになる道もあると気づいたんです。それなら私にも役に立てることがあるかもしれない、と。大学卒業頃にはファッション業界に身を置く決心をしました。

今は海外のファッションもずいぶん身近なものになりましたが、当時は外国映画やVOGUEのような雑誌でしか見る機会がなかったのです。だから「本物」に触れるために、大学卒業後はパリに留学しました。ウエディングドレスに身を包んだ美しい花嫁の姿を目にし、ブライダルに特化したデザイナーになろうと思ったのもこの時です。第二次世界大戦後、欧米での日本人はまだ馴染みの薄い存在でしたから、いわれのない差別を肌で感じることもありました。屈辱的でしたよ。日本のブライダルを何としても世界基準にしようと固く決意しましたね。

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花嫁に憧れる若者を増やしたい

私が日本初のブライダル専門店をオープンしたのが1964年。当時の結婚式は和式が主流で、ほとんどの花嫁は和装でした。洋式は全体の3パーセントほどでしたから、ウエディングドレスが売れるなんて誰も思わないし、作る人もいません。案の定、最初はなかなか軌道に乗りませんでした。でもある時、フランスのデザイナー、ピエール・バルマン氏が来店して「僕は、この世で一番美しいのは花嫁姿だと思っている。毎日ウエディングドレスを手掛けているあなたが羨ましい」と言ってくださったんです。この時、私はこの仕事は自分にとって天職だと思い、絶対もう迷うことなく、この道一筋に行くのだと心に誓いました。

男女を問わず若者がどんどん社会に出て活躍する時代ですが、この不況下で若い人の結婚願望は高まっていると言います。「婚活」も盛んでしょう。これまでは晩婚化に伴って、ウエディングドレスもセクシーで大人っぽいデザインのものが主流でしたが、ロマンティックでお姫様のような「可愛い」ドレスも作っています。また社会問題にもなっている非婚化、晩婚化、少子化に一石を投じる目的で「恋人の聖地プロジェクト」や「ふるさとウェディング」にも力を注いでいます。いずれも結婚式の本来の意義を再確認してもらうこと、子供の頃から花嫁への憧れが芽生えて欲しいという思いから生まれたものです。

仕事で成功することだけが人の幸せではありません。いいパートナーを見つけて、愛情にあふれた家庭を築き、次の世代に受け継いでいくのもすてきなことだと思いますよ。

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