神野祐行
1967年生まれ、北海道出身。名古屋でのサラリーマン時代を経て、97年に福岡県立九州歯科大学卒業。山口県、京都府、石川県で勤務医を経験後、2001年にかんの歯科医院を開業。08年、かんの歯科クリニックとして移転開業。
http://www.kanno-dc.com/

INTERVIEW

私が歯科医師としてこの町に恩返しができるとしたら、このクリニックを永く存続させることだと思っています。 現在では新規開業した歯科医院の2件に1件が、半年以内に閉院を余儀なくされる厳しい時代です。そんな中いつまでも地元の皆さんと時間をともにしながら治療技術を研さんしていくこと。 それが何よりの地域医療であり、歯科医師としての努めだと考えています。

“虫歯を治してくれるヒーロー”を目指して

神野祐行

私は北海道の生まれですが、転勤族だった父の仕事の関係で、幼い頃から道内を転々とする生活を送っていました。そんな中、小学4年生の時に神経にまで達する虫歯を経験。近隣のクリニックはどこも半年待ちの状況で、激痛に耐えながらようやく見つけたクリニックが、一日の患者数限定で診察をしてくれるという歯科医院でした。 当時の歯科医師は、今よりもずっとステータスの高い職業でした。子どもながらに羨望のまなざしがありましたし、私にとっての歯医者さんは"虫歯を治してくれるヒーロー"そのものでした。自分が歯医者になることができれば、それだけ多くの患者を助けられるんだという思いが、歯科医師を志したきっかけになったんです。

しかし、その後の道のりは決して平たんではありませんでした。20歳の時点で2浪を経験し、銀行員だった父からは「歯医者になりたければ自分で学費を稼いで勉強しなさい」と言われる始末。私は仕方なく実家を出て名古屋に移り住み、旅行会社の添乗員として働きながら、予備校へ通いました。そこでの4年間は、私にとって大きな転機の一つでもありました。働きながら学費をためていくなかで、このまま会社で働き続けてはどうかと誘いを受けたこともあります。生活も安定し始め、歯科医師の道を諦めようと心が揺らいだこともありました。

しかし当時、たまたま一緒に仕事をすることになったベテランのバスガイドさんに「諦めたらいけないよ」と強く説得を受け、その翌年、24歳の時に福岡県立九州歯科大学へ合格。あの時の説得がなければ、今の私はなかったかもしれません。大学に合格した時には、真っ先にそのバスガイドさんに報告しました。

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「ライフシフト」の時代も、永く存続するクリニックへ

大学卒業後は先輩に誘われ、山口県にある歯科に勤務することになりました。しかし、その頃には歯科業界も大きく変化し、歯科医師の数は右肩上がりに増え続けていた時代です。歯科医師のステータスは昔より低くなってしまい、勤め先の院長からは「山口県にはお前が開業する場所はない」と言われるほど、その競争は熾烈(しれつ)を極めるようになっていました。そんな中、私は自分の特技を習得するため、根管治療で名のある京都の歯科医師に師事。開業を見据え、根管治療や保険外治療など、様々なノウハウを学びました。その約2年後、大阪で開業することになったのです。

東成区新深江を開業の地に選んだのは、もともと同地で歯科医師をしていた老齢の院長がクリニックをたたんだことがきっかけでした。とはいえ、大阪は怖い街というイメージもありましたし、なかでも新深江は昔ながらの下町です。右も左も分からない私のような人間が地域医療に貢献するためには、少し荷が重いのかなという印象もありました。しかし、開業したいという自らの意思は変わることなく、築50年近くになる建物を居抜きする形で「かんの歯科クリニック」を開業。まずは自分自身が町になじむことから始めようという思いで、近くの散髪屋やクリーニング屋に通いながら町を知り、クリニックで診察を行う日々が続きました。それでも開業当初は、患者さんが1日に数人程度、ぽつぽつと訪れるだけ。そんな状況を見かねてか、ある日、通ってくれていた地元の患者様が好意で評判を広めてくれるようになりました。それを機に徐々に患者さんが増えていくようになったんです。 この町に住む方々は、裏表のない人情味のある方々ばかり。だからこそ私自身も、この町に育ててもらったなという気持ちがあります。そして開業から約16年がたちました。町に対する愛着は、今では人一倍強いと思っています。

今後は「ライフシフト」の時代を迎え、長寿化の進行により、人は100年以上生きる時代がくるといわれています。私も以前は、歯科医師としての人生は50歳がピークだと思っていましたが、まだまだやらなければいけないことはたくさんあります。この年齢になっても学ぶことがあるのは本当に幸せです。自分自身がまだ成長できると言うことですので。そして、もっともっと永くクリニックを存続していきながら、地域の皆さんに慕われる歯科医師になっていけたらと思っています。

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