林正剛
1972年生まれ、大阪府出身。97年、米国の美術大学 グラフィックデザイン科を卒業後、広告制作会社、研究設備機器メーカーを経て、米国の研究所を多く手がける建築家、ケン・コーンバーグ氏に師事。これまでに100件以上の研究・開発施設の立ち上げに携わっている。
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INTERVIEW

今の日本の企業は慎重にマーケティングをして、ある程度売れると確信すれば製品を売り出すところがほとんどです。でも私はマーケティングに左右されずに自分が欲しいもの、いいと思うものを世に出そうとする企業が好きですね。「良さが分からないなら買わなくていいよ」という姿勢にロックスピリッツを感じますし、そういう企業が今までの価値を変えてイノベーションを起こすんだと思います。

仲間を巻き込んで楽しいことをするのが好き

林正剛

子供の頃は冒険したり基地を作ったり、わくわくするようなことを見つけては仲間を巻き込んで大勢で遊んでいましたね。それは今も変わりません。中学生になるとバンド活動に夢中になりました。ロックの影響で、常に物事の本質は何かと考えるあまり可愛くない子供だったかもしれませんね。

画家になりたくて米国の美大に留学した時、オリビエーロ・トスカーニが手がけたアパレルのポスターを見て心を揺さぶられ、グラフィックデザインの勉強を始めました。帰国すると広告制作会社に就職して金融機関のブランディングやPRを任せてもらったのですが、やりがいがあって楽しかったですね。トスカーニみたいに、自分が手がけたキャンペーンやポスターで人の心を動かしたいと常々思っていました。

ところが、研究設備のメーカーを経営していた父から家業を手伝えと連絡がありまして。私はまだまだグラフィックデザイナーを続けるつもりだったので正直あまり気が進みませんでしたが、父の会社をブランディングするのも面白いかもしれないと思い直しました。英語が話せるので国際業務も担当し、海外の展示会に出向いて良い設備や製品があれば商談を持ち掛けました。

この仕事を始めて痛感したのが、海外と比べて日本の研究施設の環境、居心地が格段に悪いということ。日本には研究施設に特化した設計者がいないので、建築家は建物の外枠を考えるだけで、肝心の中身や仕様は研究者に丸投げしている状況でした。研究環境の大切さにまったく目が向けられていないんですよね。このままでは日本の研究開発は海外に水をあけられてしまうと思いました。

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日本の研究環境を変えたい

日本の研究空間を変えて研究者がもっといきいきと働ける環境にしたいと考えていた矢先、米国の建築家 ケン・コーンバーグ氏の手がけた研究施設のことを知る機会がありました。すっかり傾倒した私は、すぐ同氏に連絡を取って弟子入りさせてもらい、その後コーンバーグ・ジャパンを立ち上げたのです。

ほどなく父の会社から独立して今の会社を設立しましたが、社長になりたかったわけではなく、新しい価値を生み出して世の中に伝えたいという思いが強かったですね。「デザインの力で日本にイノベーションを起こす」というミッションを掲げると、それに賛同する仲間が全国の大手設計事務所から大勢集まってくれました。昔から仲間を集めるのが得意な性分です。設計事務所の経営者としてはまだ初心者でしたが、「こいつと仕事をするのは楽しそうだ」と感じてもらえたのだと思います。ありがたいことに、人手が足りなくなるほど仕事の依頼もたくさん頂いています。

最近は工場を一新したいというご依頼もよく頂きます。先日もあるメーカーの古い工場をリフォームしたのですが、建物だけではなく従業員のユニホームや工場内のイメージカラーなどに至るまでトータルコーディネートして、社員のものづくりへの意識を変える工夫を凝らしました。「研究員がいきいき働くようになった」とか「新しくなった空間で新製品のアイデアが生まれた」というようなお客様の声を頂くと建築家冥利に尽きますし、この仕事をしてよかったと心から思いますよね。

これからは私たちプラナスが研究者同士の架け橋となっていろんなコラボを生み出し、イノベーションにつなげていきたいと思っています。 今、日本の研究力が低下してもうノーベル賞は取れないんじゃないかなどと言われています。それに対して政府が予算をつぎ込んだり企業が研究費を増額したりしていますが、それだけじゃないんですよね。もっとささいなことでいいんです。おいしいコーヒーが飲めるとか、そういうちょっとしたことを改善するだけで、そこにいる研究者がいきいきと働くことができて心の様相が変わっていきますし、それがイノベーションを生み出す企業文化になると私は信じています。

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