八郷隆弘
1959年生まれ、神奈川県出身。旧武蔵工業大学卒業後、82年に本田技研工業に入社。ホンダR&Dヨーロッパ社長、鈴鹿製作所長、中国生産統括責任者などを経て15年から現職。
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INTERVIEW

十数年前、北米の新工場で生産される車の開発に携わりました。メンバーは米国人、カナダ人、日本人で構成されていて、 言葉も文化も考え方も異なる人たちを取りまとめるのは一筋縄ではいきませんでした。多くの苦労がありましたが、 一緒に現場に足を運び現物を見て認識を共有していくことで一つひとつ解決していったんです。一つの目標を皆で共有できれば、 国籍や言葉は関係なくすごいチームができるんだということを学びました。会社を経営する上でこの経験は大きく生きていますし、 世界中にいる仲間と仕事をした日々は私の宝です。

子供の頃から車に夢中だった

八郷隆弘

幼いときは母が運転する車にいつも乗っていたので、物心ついた頃から車はとても身近で親しみのある乗り物でした。 小学生になるとレースに興味を持ったり、プラモデルを組み立てたりして車の仕組みを夢中で勉強したものです。 大学ではエンジニアを目指して工学部に入りました。入学してすぐに運転免許を取りました。初めて運転したのは家族共有の車ですが、 うれしくてアルバイト代で部品を買ってカスタマイズしたりしましたね。

ホンダに就職したのも、もちろん車が好きだったからです。運転が好きなのでテスト部門を希望しましたが、最初に配属されたのはブレーキの設計部門。 これは非常に神経を使う仕事でした。車の中でも特に人命にかかわる部分ですから、良いものができて当たり前で少しでもミスがあれば厳しく叱られます。 新人だからと手取り足取り教えてもらった記憶はなく、とにかく図面を描いてみろと放り出されました。おかげで現場をよく見たし、勉強になったと思いますね。 私の不手際で設計のスケジュールがずれて迷惑を掛けてしまうこともあったのですが、取引先に顔を出してきちんと自分の思いを伝えれば理解していただけました。

マニュアル通りにやるのではなく、自分の思いを伝えることが人を動かすし、仕事もうまく運ぶということを痛感しましたね。 その後、車の開発部門や購買部門で仕事をし、欧州や中国での開発・生産統括も担当しました。振り返ると、 本当にいろんな場所でいろんな仕事を経験させてもらったと思います。

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存在を期待される企業でありたい

2015年の年明け、駐在先の中国で前社長に「そろそろバトンタッチしたい」と社長就任を打診されたんです。青天のへきれきでした。 まだ取締役にもなっていない私がなぜと戸惑いましたが、私をここまで育ててくれた会社に恩返しをするチャンスだと思い、引き受けようと決めました。

まず、現場はどうなっているか見て確かめようと思い、世界中の現場を視察しました。かつて一緒に仕事をしたメンバーに再会すると温かい応援の声を 頂いてありがたかったですね。企業としては課題も山積していましたが、現場の従業員たちは本当に頑張っているし、将来に向けて夢も持っているんですよね。 現場からもっと元気にしていけば絶対に大丈夫だと確信しました。ただ、これだけ大きな規模の企業になると経営陣の想いが伝わりにくいということも感じましたね。 数値目標を掲げれば早いかもしれませんが、時間を掛けてでも「お客様のために良いものを作ろう」という根底にある想いを丁寧に伝えていく必要があると思いました。

私は「チームホンダ」と銘打つスローガンを掲げ、皆で志を一つにしてそれぞれの良いところを出し合って良いものを作ろうと呼び掛けました。 一人でできることは限られていますが、同じ目的の下に皆で集まればとてつもなく大きな力が発揮できるということを、これまで何度も感じてきたからです。 そんな私たちの取り組みに賛同してくださったり応援してくださったりする株主やお客様、地域全体も含めた大きな輪ができていけばうれしいですね。

夢を持ってうちの製品を買ってくださるお客様のためにも、これからも技術でチャレンジして新しい価値を生み出すような商品を世に送り出していきたいですね。 CO2フリー社会や事故ゼロの社会を目指して社会に貢献しながら、人の生活を一新するような製品を作りたいのです。 世界中に存在を期待される企業でありたいと思っています。 仕事をしていると辛いことや苦しいこともたくさんありますが、それを助けてくれるのは仲間であり先輩であり、人とのつながりです。 若い皆さん、人とのつながりを大切にして、将来の夢を実現してください。

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