船木威徳
1971年生まれ、北海道出身。兵庫県神戸市で育つ。90年灘高等学校卒業。96年旭川医科大学卒業。札幌徳洲会病院、クイーンズメディカルセンター、与論病院、湘南鎌倉総合病院、茅ヶ崎徳洲会総合病院で臨床研修後、2000年東京女子医科大学東医療センター勤務、内科・血液浄化部を兼任する。11年、東京都北区に王子北口内科クリニックを開院。東京女子医科大学東医療センター内科非常勤講師、社団法人生活習慣病コーディネーター協会理事、東京都北区高齢者あんしんセンターサポート医なども務める。
http://www.oknaika.com/

INTERVIEW

内科の外来診療とクリニックを中心としたエリアでの在宅診療を行っています。中でも慢性腎臓病の治療を専門とし、その進行をできるだけ食い止めるための治療に加え、将来的な腎不全の腎代替療法(腎臓移植、血液透析、腹膜透析など)の計画を立ててサポートしています。また、透析のスキルを生かして、在宅でできる腹膜透析の治療も行っています。地域医療に貢献し、働き盛りの方々を支えたいという思いから、早朝と夜間の外来診療を行っていることも当クリニックの特長の一つです。

透析の専門知識を得て、在宅診療を志す

船木威徳

生まれた時から体が弱く、幼稚園も半分しか通えていないような子どもでした。育ったところは田舎で、本当に悪くなったときにしか病院には連れて行ってもらえなかったのですが、医師や看護師の力をまざまざと見る機会が多くあり、人に喜んでもらえる、人を楽にしてあげられるすごい仕事だと思ったことを覚えています。また、父親が造船技師という専門職で、難しい図面を見ながら仕事をする姿に憧れており、自分も将来は技術職に就きたいという気持ちがありました。父親が全国の造船所に出張するのもうらやましく、どんな場所にも行くことができ、どんな場所でも必要とされる仕事は何かということを考えていましたね。

中学生の頃からよく鉄道で全国を旅行していたのですが、行く先々の駅などで、町の病院に通う患者さんたちとよく話をしていました。その人たちのために何かしたい、地域医療に貢献できる医師になりたいと決心したのは高校生の時です。であれば、最初から田舎の大学に行った方がいいと思い、いちばん好きだった北海道・旭川の医科大学で6年間を過ごしました。その後、研修医としてさまざまな経験を積む中で、今後も地域医療に関わっていくにあたり、専門医としての知識と技術を身に付けておきたいと考えるようになりました。ちょうどその頃、東京の大学病院で新しい透析医療を行うからと声をかけていただいて。そこでお世話になった教授のもとで10年以上働きました。

大学病院で行える全ての透析治療を見せてもらい、ほとんどのことができるようになっていましたが、患者の「家に帰りたい」という思いにだけは応えることができず、限界を感じていました。最後の最後まで透析治療を続け、苦しむ様子を見ながら病院で看取っていくうちに、あっという間に10年が過ぎていきました。残されたご家族も病院で最後まで診てもらえてよかったなんていう人はほとんどいなかったのですが、当時の透析は医療機関でないと行えず、家で経過を見る場合でも、どうしても定期的に通院をする必要があったのです。透析の知識を持ち、かつ訪問診療をする医師は、当時の日本にはまったくいなかった。自分ならそれができる、自分でやろうと思い、2011年に現在のクリニックを開院しました。

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患者が望む限り、自宅で看取る努力をする

うまくやっていけるという自信があったわけではなく、開院当初は不安ばかりでした。前例がないので銀行も信用してくれず、日中は民間の病院に勤めて給料をもらいながら、夜だけ外来診療を行っていました。夜遅くまでやってくれるクリニックがあったらという声があり、そのニーズを満たせて経済的に回るようになってくると、自分がやりたかった在宅医療を行う余裕が出てきました。土日を中心にバスや自転車で往診に回るのですが、最初は何を持って行けばいいのかすらもわからなくて。もしかしたら随分と無駄な時間を使ったのかもしれませんが、その苦労や経験があるからこそ今があるのだと思います。医師、訪問看護師、薬剤師、ケアマネージャーなど、関係各所が協力し合って地域の在宅診療を行える体制が徐々に整っていきました。

今では患者本人が望む限り、家族の同意を得た上で、治療にどんな制限があったとしても、どんな困難があったとしても、自宅で看取ることを目標に努力をしています。最初は本人も家族も「こんな状態で、家で過ごすのは無理だろう」というところから始まりますが、最終的には「家でよかった」となる方がほとんどですので、それが最善だと信じてやっています。人間が医療機関で最期を迎えるのは本来不自然であるということは、長年医療機関にいた自分が一番感じるところです。病院がどこまででき、どこまでしかできないかをよく知っているので、それを正直に患者さんに伝え、十分に話し合い、その上で患者さんが出した答えが在宅治療であれば、何が何でもそれをかなえようという努力をこれからも続けていきたいと思っています。

医師になり20年、クリニックを開院してからは8年目になりますが、当たり前のことを当たり前に続けていくことの難しさを感じています。いつも初心に立ち返り、患者さんを家で看取るという大切な出来事をご家族と一緒に支えていけたらと思います。現代日本はこれまで世界が経験したことがないほどの高齢社会を迎えていますが、厳しい経済状況の中でもさまざまな医療サービスが保証されています。それによって願いをかなえることができたという患者さんがいる一方、そういった情報を知らないまま数日で亡くなる患者さんもたくさん見てきました。誰もがもっと早く在宅医療についての情報を得られて、自分の力で選ぶことができるようにしたい。自分の思いがかなえられたという患者さんをひとりでも多く増やしていきたいと思っています。そのためには、在宅診療という同じ分野でがんばっている先生方や専門職の方々が良い意味で競争し、日本全体の医療レベルをさらに高めることが必要だと考えています。そのためにお手伝いできる仕事があれば積極的に関わっていきたいと思います。

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