赤鹿保生
1966年生まれ。兵庫県出身。芦屋大学教育学部卒業。マンション分譲会社の営業を経て、99年に赤鹿地所の社長に就任。兵庫県南西部において独自の手法で住宅地・商業地の開発を展開、不動産賃貸会社、マンション管理会社などの関連グループ3社を経営。
http://akashika-jisho.co.jp/

INTERVIEW

一度限りの人生をより豊かなものにできるかどうかは、あなたの行動や考え方次第。「どんな人生を送りたいか」という問いに常に自分なりの答えを持つことが大事です。そうすれば、今自分自身が何をなすべきか、おのずと分かってきます。将来の自分の「あるべき姿」をより強くイメージする事が何より行動のモチベーションになると思います。自分でアクセルを踏まない限り、そこには決して到達しません。

従業員のリストラを余儀なくされて

赤鹿保生

子供の頃から車が大好きで、車輪のついているものなら何でも乗りました。12歳で本格的にカートレースデビューし、地方選手権に参戦、他の選手はその後自動車レース(F3クラス)に昇格。私自身は余り目立った成績は残せずまま、引退となりました。

大学卒業後は大手のマンション分譲会社に就職しました。マンションブームで、つくれば売れる時代。連日夜中まで働き、百数十名の新人営業社員の中で新人賞を獲得しました。褒められた事のなかった学生時代、結果を残せず引退したカートレース時代と比べて、初めて味わう成功体験でした。

91年秋に退職し、父の経営する赤鹿地所に入社しました。社長として営業ノウハウや業務フローを整備していくと共に売上は徐々に増え、事業を軌道に乗せることができました。99年に社長就任、更に父のマンション分譲会社の社長を任される事に。マンションブームに乗って販売員も増員し、順風満帆でした。しかしブームは長続きせず、マンションがまったく売れなくなってしまいました。創業者の父と連日意見が食い違い、業績は急激に悪化。ある日の朝礼で父から突然社長解任の宣告を受けました。同時に赤鹿地所は売上の8割を失う事になりました。マンション拡大と共に増員した赤鹿地所の営業10名をリストラしなければならない事が何よりもつらかった。落ち込んでしばらく眠れない日々が続きました。経営者としてもう二度と社員の生活を奪うようなことはしないと心に誓いましたし、残った5名の社員のことは何があっても守ろうと決心しました。

この事があって私はずいぶん変わりました。それまでは、経営者として結果さえ出せばいいと思っていましたし、自信過剰であったと思います。会社を再建するには残った社員だけが頼りでした。共に成長し、共に幸せになりたいと思いました。

  • 赤鹿保生
  • 赤鹿保生

人生最後の学び舎になりたい

人を変えたいならまず自分が変わらないとだめですね。考え方や解釈を変えれば人はいつからでも、何歳でも変われるのだと実感しました。これまでは裕福な暮らしなど物質的に満たされていれば幸せだと思っていましたが、社員の仕事のやりがいや、お客様からの満足を頂戴する事が一番の幸せだと感じるようになってきたのです。生活を安定させることももちろんですが、たとえ高収入でも、立派なマイホームを持てたとしても、連日お客様から罵声のようなクレームを頂いたり、良心の反した営業活動をするのは幸せな生活とはいえないですよね。やはり家族にも対人関係にも恵まれ、社内でも正当に評価されお客様にも感謝される、そういう環境があって初めて人生の幸せを感じるものだと思うのです。

仕事というのは、誰かに喜んでもらったり、「ありがとう」と感謝されるような経験をしたり、自分の成長を実感できると俄然やる気が増してきます。仕事が楽しければ夢中になって打ち込めるし、それがス更なる成長につながり、お客様に喜んで頂ける素晴らしい商品やサービスが提供できる人財になると思うんです。人の幸せはスパイラルアップしながら好循環をしてゆくものだと、最近気づきました。

私は会社を「人間的成長の場」と考えています。仕事から多くを学び魅力ある人間になって、初めて魅力ある組織(会社)になると思うのです。将来、社員が定年を迎えた時、「この会社で成長できた」と思ってくれたらうれしい、そんな「人生最後の学び舎」でありたいんです。

会社の成長は、規模や業績が拡大することだけではありません。そもそも人の集まりですから、社員一人ひとりのヒューマンスキルの集合体が会社の価値だと思います。そんな会社で働けばきっと充実した人生が送れると確信します。私はその環境をつくる事が使命だと思っています。

ページの先頭へ