将棋棋士 羽生 善治 氏 × NEC 取締役 執行役員常務 兼 CTO 江村 克己 氏将棋棋士 羽生 善治 氏 × NEC 取締役 執行役員常務 兼 CTO 江村 克己 氏
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人間とAIは異質な知性、
協調してこそ人間は進化できる

今や第三次AI(人工知能)ブームとも呼ばれ、様々な場面で活用が始まりつつある。人々の暮らしや社会活動に大きな変化をもたらすであろうAIに対し、いつか人間の職を奪うのではないか、と危惧する声もある。近未来において、人間とAIが共存する「新しい社会」とはどのようなもので、どのように共存していけば良いのか。10年程前からAIに興味を持ち、動向をずっとフォローしていたという将棋棋士/三冠 羽生善治氏とNECで研究開発・技術部門を統括する取締役 執行役員常務 兼 CTO 江村克己氏に聞いた。

何がコンピューターを強くしているのか

── 近年、コンピューターとの対戦が注目されていますが、将棋に限らず囲碁でもプロの棋士と対等以上の強さを発揮するようになりました。どのような印象をお持ちですか。

羽生 善治 氏

将棋棋士
羽生 善治(はぶ よしはる)
1989年 19歳で初タイトルの竜王位を獲得
1996年 七冠を獲得
2016年 12月現在、王位・王座・棋聖の三冠

羽生善治氏(以降、羽生) 私は、コンピューターの何が進歩して強くなってきたのか、その方法論にとても興味を持っています。

 チェスの世界では、1997年にIBM社のスーパーコンピューター「Deep Blue」が当時の世界チャンピオンのガルリ・カスパロフを破りました。その時は、高性能なハードウエアと過去の棋譜を集めたデータの力を頼りにして力業で押し切った心証でした。1秒間に2億手を読み、対戦相手の過去の棋譜を基にして指し手の効果を評価する方法です。

 将棋の世界では、チェスと違ったアプローチでコンピューターが強くなってきました。ソフトの改良を重ねて、強くなったのです。現在の将棋ソフトの中核部分、“読み”を探索する部分に関しては、「Stockfish」というオープンソースのチェスエンジンが使われています。これは、チェスと将棋は共通点が多いことから、コンピューターに過去の対局の棋譜をたくさん読み込ませ、どういう手が良いのかといった方法論を体系化し、そこに局面を的確にコンピューターが評価するためのアルゴリズムを組み込んで強くなっています。

 囲碁の世界では、2016年にGoogle DeepMind社の「アルファ碁」がAIの発展手法であるディープラーニング(深層学習)を使って、トップ棋士 李世乭(イ・セドル) 九段を破りました。チェスや将棋とも違った方法、AIが使われています。ここで興味深いことは、当初15万局は人間同士の対局による棋譜を学習させましたが、その後はアルファ碁自身で3000万局対局させて強くなったという点です。

 AIが持つ大きな可能性についてはとても驚いています。5月に放映されたNHK番組「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」でリポーターを務めた際、アメリカのGoogle DeepMind社を取材しました。囲碁に特化したどのような方法論があるのかと思って取材に臨んだのですが、実際に見たAIは意外にも汎用性が高く応用が広いと感じました。

江村克己氏(以下、江村) アルファ碁が成し遂げたことは、私たち情報システムの技術を研究開発している者にとっても、大きなインパクトがありました。AI同士を対戦させて能力を短時間で高めていくという方法は、囲碁以外の様々な応用に展開できると思います。

── NECのAIに対する取り組みをお聞かせください。

江村 克己 氏

NEC
取締役 執行役員常務 兼 CTO
江村 克己(えむら かつみ)

江村 NECではAIを社会課題の解決に役立てたいと考えています。最近、インパクトが大きな話題が続いたことから、AIは万能であると考える風潮が出てきています。しかし、私たちは現時点ではそのレベルに達していないと感じています。機械学習を活用して高度化した画像認識や分析・対処技術などを利用目的に応じて適切に組み合わせることで、初めて、社会課題の解決に役立つのです。

 NECでは保有しているAI技術群を「NEC the WISE」と名付けました。“WISE”は「賢い」という意味の形容詞ですが、“the”をつけて“the WISE”とすると「賢者たち」という意味の名詞になります。万能AIが単独でどのようなな社会課題をも解決するのではなく、解きたい課題に向けて人間が適切な力を持った賢者たち(AI技術群)を組み合わせて活用していく、という意思を込めた呼び名です。

データ同士の不可解な組み合わせに潜む最適解

── 将棋ソフトは、AIと別のアプローチで強くなっていると聞きました。どのように指し手を導き出しているのでしょうか。

羽生 将棋ソフトでは、局面の優劣を適切に評価するアルゴリズムがそのソフトの強さを左右します。現在の将棋ソフトは盤面上の任意の3つの駒の位置関係に注目して優劣を評価しています。指し手の違いによる局面の優劣の変化を評価しながら、なるべく有利な位置関係になるように、駒を動かしていくわけです。同様の戦術は実は人間も行っています。王将の周りに守りの駒をたくさん置いた方が有利だ、といった経験則がそれですね。ただし、将棋ソフトの場合には対象となる3駒が分布する範囲が、人間が考えるものよりもずっと広いことが特徴です。

人間とコンピューターは別の世界を見ている

羽生 善治 氏

羽生 将棋の世界でよく使われる言葉に「水平線効果」というものがあります。10手先まで読むと優勢だが、20手先まで読めれば不利だと判断できる局面があったとします。この場合、10手先と20手先の間に読みが行き届く水平線が存在します。そのため、10手先まで読んでよかれと思って指しても、実際は不利な局面に突き進んでしまうことになります。でも、その時点ではミスに気がつかないのです。

 将棋では人間の棋士でもソフトでも、同様のことが起きます。ただし、水平線の先の見えていない部分で人間が陥りやすい死角とコンピューターが陥りやすい死角があり、違いがあります。人間は美的センスや、幾何学的な調和をよりどころとして判断しているように思えます。

江村 それは興味深いですね。ならば、人間が下した判断とコンピューターが下した判断を比べてみて、もう一度解釈し直すと、よりよい結果に近づいていくわけですね。

今のAIは万能ではない、利用先の見定めが重要

── 将棋や囲碁のようにゴールが決まっている分野ではAIの活用が進みやすいと思いますが、我々が日常生活の中でAIを活用する際、何が重要になると思われますか。

江村 ゴールが定まった問題に関しては、AIやこれまで蓄積してきたICT技術を活用することによって、圧倒的な効率化を図ることができるようになりました。しかし、例えば、ビジネスにおける経営判断、介護などの対人ケア、新製品開発といったゴールが1つに定まらない問題では、人間主体となりAIを活用して問題解決に当たるということが重要になると思っています。

羽生 勝ち負けが明確な将棋と異なり、世の中の出来事は非常にカオスですよね。将棋は一手ずつ駒が進むので、その後の展開が読みやすいように思えます。ところが、世の中の出来事は5つの駒が同時に動いているようなものです。NECは様々な分野で技術やサービスを提供していますが、そのような状況でもこれから起こることをAIで事前に予測したり、危険を察知して止められたりできるのでしょうか。

江村 適用先を見定める必要があると思います。残念ながら今のAIにはできることと、できないことがあるのです。AIはデータを学習することで、より的確な判断を下せるように賢くなります。過去に起きた事象をデータ化すれば、その範囲内では成長していきます。ただし、データの範囲外にある全く新しい事象については学習できません。新たなチャレンジがそこにはあります。

 羽生さんが出演されていたNHKの番組では、レンブラントの絵画を描くAIの事例が紹介されていました。AIが修練を積む学習を積むことでレンブラントの技法に沿った絵画を描けるようになっても、新しい作品を創作できるようになるわけではありません。今ある仕事の効率を上げる、リスクを下げるといった改善はできますが、新しいモノを作ったり、想定外のリスクを予見したりといったことは、当面は難しいと感じています。

AIは人間の能力を拡張する力である

── 今後、AIがさらに進化し、人と共存する社会が訪れた際、善悪や倫理観に基づく正しい判断はどのよう下していけばよいのでしょうか。

江村 克己 氏

江村 アルファ碁の手を見ると、人間には理解しがたい場所に石を打つ場面がありました。ディープラーニングに代表されるブラックボックス型AIは判断理由を明確に示さず、判断結果だけを出します。結果的にそれが正しい判断だったとしても、人間とAIが協調して判断を下していく際には、人間は打ち手に確信がもてず、とまどう要因になります。そこに倫理的な問題などが発生する可能性も出てきます。ですから、まずは人間が方向性を示し、AIが導き出す結果を参考にしながら、よりよい解決策を探るという順になっていないといけないのかなと思います。

羽生 強大な威力と大きなリスクが隣り合わせにあるAIを危険視する意見もあります。AIはどちらかというと政府、公的機関ではなく民間企業が主導して開発を行っているように見受けられます。この点が、ルール、倫理、枠組みを作るうえで様々な困難を含んでいるように思えます。

江村 それは極めて難しい問題です。利用者側にAIを理性的に活用する見識を育み、理性的に使いこなす能力を身につける方策を考えなければなりません。AIと共存して的確な判断を行うためのトレーニングを、若いうちから積んでいく必要があるのかもしれません。

常に人間中心で問題解決に当たる

── 2045年にAIが人間の能力を超える「シンギュラリティ(技術的特異点)」が到来するといわれていますが、人間とAIは共存を図れるのでしょうか。

江村 人間とAIの対立という構図で、技術の進歩を図るべきではないと思います。AIを主語にして語るのではなく、人間を主体としてAIを活用していくことを前提に考える必要があります。理論物理学者であるニューヨーク市立大学 ミチオ・カク教授は、シンギュラリティに向けた展開を、衰えた人間の能力をAIが拡張する世界が来るという視点で語っていました。全く同感です。こうした道具や機械による能力の拡張はメガネや補聴器など、昔からやっていることです。人対AIという見方でAIの持つ大きな力を恐れるのではなく、我々人間がどれだけより良く生きていけるようになるかを考えるべきなのです。

羽生 AIでは新しいトピックスが次々と出てきます。NHKの取材でも、AIが私の似顔絵を描くという話題をメインで使う予定で収録したのですが、放送直前にレンブラントの新作絵画をAIが描いたというニュースが飛び込んできて、全部差し替えられてしまいました。ITの世界はドッグイヤーで進むといいますが、今はそれ以上のスピードで進んでいるように思えます。

江村 まさにおっしゃるとおりです。ただし、AIを活用していく上で、あまりにも速いペースでの進歩に懸念を感じている面もあります。AIを活用しようとする多くの産業は、AIの進歩よりもずっとゆっくりと変わることしかできないからです。例えば、道路などの社会インフラのように、50年経って初めて設備や仕組みを更新する分野もあります。AIの進化と利用側の変化を、うまく合わせ込むシナリオを作ることがこれからの真のチャレンジです。

── 人間の可能性を広げるAIと共存する社会に、どのようなことを期待しますか。

羽生 今では誰もがスマートフォンを持つようになりました。それはAIの外付け機器を持って歩いているのと同じ状態だと思います。既に人間とAIは協調し始めているのです。AIは驚異的なスピードで進化していますが、実は人間のIQもうなぎ登りで上がり続けています。人間とAIが協調して高め合うことで、よりよい社会になることを期待しています。

江村 人間を中心に考え、人間の能力を高めていくことが、AIを活用する上で最優先になります。常に人間を起点にすれば、AIはよりよい世界と時代を築くための強力な道具になるでしょう。ただし、そのためには人間側が主体性をしっかり持ち、AIを上手く使いこなしていくことが重要です。