日本における先物・オプション取引の30年の歴史を、マーケットの第一線で活躍した元証券トレーダーが振り返る連載コラム。
1990年当時は、日経225先物の取引所端末は、大阪証券取引所の周辺2km以内に本店などがある証券会社にしか置くことができなかった。
東京証券取引所でも同じように、取引所端末を置ける場所の距離制限があって、会員証券会社は証券取引所の周辺に本部や本店を置く必要があった。
そのために証券会社は、取引所の周辺に集まっていた。
日経平均の会員証券は大阪に端末を置いて、東京から「場電」と呼ばれる電話をつないで、板状況を教えあったり、注文を執行したりしていた。
筆者はその場電の役割となり、ヘッドセットをつけて大阪の部署の人と常時電話をつなぎっぱなしにして、東京の管轄の営業店や部署から送られてくる、日経225先物やオプションの注文を執行してもらって、その約定を営業店などに伝える、という仕事をすることとなった。
その頃は、板の状況も大阪の取引所端末でしかわからなかったため、売り買い状況を知るために「バイカイ」を電話で言い合って、アスクビッドの板状況を口頭で伝えたりしていた。
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90年7月途中までは日経平均は上がっていったが、8月に入るとイラクがクウェートに侵攻し、日本の株式市場は大きく下落に転じていく。
日経平均は8月に3万円を割れてから、10月1日の2万円割れまで2カ月間で1万円の暴落を経験する。
場中に、「バグダッドで戦車が燃えている」、情報端末にそんなニュースヘッドラインが流れたら、日経225先物に売りが殺到。あっという間に1万枚単位の特別売り気配になってそのままストップ安まで突き進んだりする。そんなセンセーショナルなニュースがなくても、場中に先物に特別気配が出ると日経225先物が1、2時間寄らなくなることはザラにあることだった。
あまりに激しい株価の急変動を抑えようとして、取引所が値動きに規制をかけていった。
日経225先物の気配値の更新は、当初60円ずつ3分ごと更新だったものを、一気配30円ずつ6分間隔での更新にするなど、規制を強化していった。規制強化されたことで、特別気配が一度ついてしまうと、しばらく寄らなくなるのではないかと市場参加者の不安は増大し、取引参加者は一斉に反対売買に走り、先物の特別気配の枚数はどんどん膨れ上がり、先物の寄らない特別気配の時間はさらに長くなっていくという皮肉な結果となった。
先物が寄らない時間が一日の大半を占めるようになり、先物は値付きが極端に悪くなり流動性が落ちていった。
先物は特別気配が出てしまうと1時間から2時間も取引ができなくなるが、オプションは常に値段が付く状態で推移したため、先物や株式のヘッジニーズはオプションに流れ込み、オプション市場は活況を呈した。
大証の日経225先物の特別気配の枚数を見て、SIMEX(現シンガポール取引所、SGX)に上場している日経225先物は特別気配になることがなく、常に取引がされていたので、その価格推移を参照しながら、オプションプレーヤーたちは、コールやプットを売り買いしていた。
日経225先物に売り気配が出て板寄せとなると、プット・オプションに売買が集中していく。
大証の日経225先物の気配枚数が1000枚程度の売り気配ぐらいであるなら、SIMEX日経225先物は大証日経225先物の100円ぐらい下の値段を推移する。
その後、大証日経225先物の売り気配枚数が数千枚に膨らむと、SIMEX日経225先物が200円安から300円安まで落ち始める。そのSIMEX日経225先物の価格推移と、大証日経225先物の気配枚数増減を横にらみしながら、プット・オプションを売買していく。
大証の日経225先物の売り枚数が減ると、SIMEX日経225先物の価格も戻り始め、プット・オプションの価格も一気にしぼんでいく。そんなありさまだった。
日経225先物の枚数次第で価格が激しく動くため、大証の日経225先物の売り枚数を一気に増やしたり減らしたりして、オプションやSIMEX日経225先物で利益を上げていた大口参加者はそれなりの数いただろう。
先物の黎明(れいめい)期には力ずくの売買をするような動きも見られた。
いつのSQ(特別清算指数)がらみかは忘れてしまったが、1990年のSQ直前の出来事である。
その頃はまだ毎週木曜日ごとに権利行使日があって、SQの前日にも権利行使が行われていた。
木曜日の権利行使日に権利行使するしないの選択権は、ホルダーであるオプションの買い手にある。
例えば、コールに大量の権利行使があったとすると、翌日のSQについては安くなると思っている人が多いのかということとなる。もし翌日のSQが高くなると思うなら、コールの買い手は権利行使を木曜日にせずにSQに突入してSQが高くなるのを狙えばよいからだ。
木曜日に行われる権利行使状況で、コールサイド、プットサイドの権利行使枚数で相場参加者が相場をどう見ているかということを占うことができていた。
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ことは、SQ前日の木曜日の引け際30分前ぐらいで起きた。
相場が動いてもいないのに、14時半頃からコールがやけに買われ始めた。コールサイドで大口の買いが連発して入ってきた。
翌日にSQを控えており、買われていたオプションについては時間的価値も本質的価値もほとんどないような状態になっているはずなのに、プレミアム価格が上昇していった。
ひとしきりコールが買われ始めた後に、14時40分ぐらいから日経平均現物のインデックス買いが1万株ずつ、どっかんどっかん入ってぐんぐん相場を押し上げていった。
引け際だけで日経平均現物は200円以上上昇していき、事前に買われていたコールはいつの間にかイン・ザ・マネーとなってしまった。
1万株ずつのインデックス買いが延々と続いて、最終的には引けも結構な買い物にして。その30分弱の間にしめて日経平均採用名柄を一銘柄あたり30万株ずつぐらい買っていった。
そしてその相場が上昇していく過程で、アット・ザ・マネーあたりのプットの価格が低下したところで大量に買いポジションを膨らませておいたようだった。
16時の時点で権利行使の時間となる。
権利行使では14時半から買われていたコールで、大量に権利行使が行われていた。
コールサイドで権利行使が大量に行われたから、翌日の日経平均は下げて始まるだろうとの市場筋の読みどおり、翌日のSQは売り物となってしまった。
大まかな流れはこうである。
コールを大量に買う→現物株をインデックスで大量に買っていく→先物はその分売りでつないでいく→相場が上がったところで安くなったプットを大量買いする→引けに現物株に買いを入れてさらに現物引値をつり上げる→コールを大量に権利行使する→翌日SQで前日買った現物株を全株処分、SQ値は下落する→買っていたプットが利益となる→先物はSQで自動決済となる。そして玉は全部終了、という流れとなる。
現物を大量に買う前にコールを大量に買っておいて、その後に現物を大量に買っていき、引値をつり上げコールの権利行使をすることでコールで利益を確定する。
そしてその現物を買っていった時点で、それに見合う先物を売ることで、現物買い、先物売りの裁定取引にする。
そして翌日のSQで、大量に買っていた現物株を全部売り払うとSQが下がる。SQ値が下がることで、大量に安く仕込んでおいたプットが一気に利益となる。
現物と先物で作った裁定ポジションは、SQで全部インデックス売りを入れることで現物は寄り付きに全部売れてくる。そして先物はSQで自動決済されて全てが終了となる。
しかもその当時は先物が理論価格よりなぜか結構高いところをやっていたので、その裁定取引でももうかってしまう。
コールで利益。
現物買いでは損失が起きるが先物売りでそれを上回る利益。
プットで利益。
こんな力ずくのパワープレーを行われてしまったことがある。
この一連の取引で当該の証券会社がどのぐらいの利益を出したかは知らされることはなかった。
筆者の計算では、この2日間に当該証券会社が上げた利益は10億円を超えるのではないかと目算を立てたのだが、それが正しいかどうかはわからないままだった。
こんな力ずくのプレイがまた次のSQのときにも行われるかと思いきや、そんな取引はこの時一度きりで二度と行われることはなかった。
同じことをやろうとしたら、前回の一連の取引は研究されており、対抗策を取られてしまい、うまくはいかなかったかもしれない。
一度きりのゲリラ戦法であったからこそうまくいくやり方であったのだろう。
マーケットに厚みがあれば、こんな取引につけ入るスキは与えなかったかもしれない。
これも、デリバティブ技術において一歩抜きんでていた外資系に、してやられたということになるだろう。