みんなで描くみんなの未来プロジェクト

みんなで描くみんなの未来プロジェクト

好奇心の芽を伸ばし多彩な「匠」が活躍する社会に

Vol.2

経済同友会は2016年、様々な年齢層や立場の人たちに開かれた議論の場=「テラス」を設け、理想の未来を語り合う「みんなで描くみんなの未来プロジェクト」をスタートさせました。その一環として、同友会の会員である経営者が、様々な形で情報発信していくシリーズ。第1回の小林喜光・代表幹事のインタビューに続き、第2回は金丸恭文・副代表幹事と、元ヤクルトスワローズの古田敦也氏の対談をお届けします。
古田氏は、球界を代表する捕手として、またプレーイングマネジャーとして活躍されました。厳しいプロ野球の世界でどのように個性を磨き、人材を育ててきたのか。起業家として、経営者として、様々な決断を繰り返してきた金丸氏と、現場に根ざした実践的かつユニークな議論が展開されました。

対談企画 経済同友会 副代表幹事、金丸 恭文氏×元プロ野球捕手、野球解説者古田 敦也氏
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ID野球を通じて学んだ
「生きたデータ」の活用法

金丸氏フォト

金丸実は私も野球少年だったんですよ。古田さんは現役時代からほかのプロ野球選手とは違った雰囲気があり、以前から一度お話をうかがいたいなと思っていました。あいにく、ヤクルトファンではなくトラキチです。ごめんなさい。

古田金丸さんがヤクルトファンでないのは残念ですが、私も経営者の生の話をうかがえるということで楽しみにしてきました。

金丸今日の中心テーマは「働き方」です。ちょうど今、国会で働き方改革の議論が進んでいます。中でも働き過ぎを防ぐため、残業時間に上限を設ける残業規制に焦点が当たっています。唐突ですが、プロ野球の場合は残業規制なんてあり得ませんよね。練習してなんぼの世界だし、言ってみれば個人事業主の集まりです。

古田難しいところですね。労働組合(日本プロ野球選手会)はありますから、団体交渉はできると思います。ただ、残業規制の話はしないかもしれません。

金丸練習のし過ぎでノイローゼになることはありませんか。

古田それはないでしょう。ただ、昔ながらの慣習がいまだに残っている世界ではあります。例えば、上下関係の厳しさなど。

金丸私も中学時代、しごきはひどかったですね。これが何の役に立つのか、と思いながらやっていましたけれど。日本は何かに付け、科学が足りないですよね。企業経営もそうです。「経営はサイエンスだ」と口では言いながら、経験と勘に頼っている経営者は多い。その点、古田さんは早くから科学的な野球を意識されていましたね。

古田氏フォト

古田僕がというよりも、最近は全体的に変わってきています。どうやったら速い球を投げられるか、遠くへ打球を飛ばせるか、筋力をどう付けるかなど、科学的な裏付けを基に練習するようになっています。もちろん、メジャーリーグの方が断然、先を行っていますが、情報が入りやすい時代になり、科学的手法を積極的に取り入れる若手プレーヤーが増えてきました。

金丸データ分析もすごく進化していますね。例えば、ソフトバンクホークスは、球場に18台のカメラを置いて、すべての打席、すべての投球を記録しています。試合が終わると1時間後には「今日のあなた」といって各選手のスマホにデータが届くのです。選手一人ひとりが、その日の結果をすぐに分析できるんですよ。

古田今のバッターは楽ですね。うらやましい。

金丸もちろん、古田さんの時代とは技術が違いますが、野村克也監督(当時)の「ID野球」は先進的だったと思います。

古田考え方は今と同じですね。相手があるわけですから、ちゃんと傾向を把握して対策を打ち、準備段階で敵より一歩前に出る。人間なので、どうしても希望的観測とか願望が出るんです。ストレートを打ちたいと思うと、ストレートが来たらいいなと思ってボールを待ってしまう。でもデータを見るとストレートは10球に1球か2球しか来ない。

金丸その辺のバッターの心理は今も変わりませんよね。

古田野村監督は自分が現役の頃から実践していたそうです。僕がよく言われたのは、データを取るのは簡単だが、生きたデータを取るのは難しい、ということです。どのデータが生かせるのか、どう生かせばよいのか。そこを徹底して考えたことが、当時のヤクルトの強さの源泉だったのではないでしょうか。

金丸なるほど。それが今やビッグデータの時代です。データを入力すれば、コンピューターが勝手に考えて自分で賢くなっていく。

古田でも、みんながビッグデータを取り入れると差が付かなくなってしまいます。そうなると、以前のように、勘とか経験値がモノをいうようになる。人間そのものの実力が試されるかもしれませんね。

金丸氏フォト

価値を測るものさしを多様化し
得意なことを伸ばす教育を

古田氏フォト

金丸話は少し変わりますが、先ほど、若い人が積極的に新しいモノを取り入れている話がありました。メジャーリーグに行く選手も増えたし、テニスの錦織圭選手や、スキージャンプの高梨沙羅選手のように、世界のトップクラスで活躍する選手がすごく増えました。

古田そうですね。卓球や水泳などもそうです。

金丸私はこの流れをもっともっと太くしていく必要があると思うんです。具体的には、小さい頃から、人の価値を測るものさしを多様化する。今までは、ものさしが国語・算数・理科・社会、つまり人の価値をたったの4科目で測り、優劣をつくってきたのですが、もっと実社会は多様ですから、ほかに得意なものを早くから見つけさせてあげることが大事じゃないかと。それを実践している国があるんですよ。

古田どこですか。

金丸北欧のデンマークです。その教育方針というのは、過去の自分とは比較しても、他の人との比較は一切しない。そうやって自分の得意な道を見つけることを、中学を卒業するまで先生がサポートする。実際に小学校、中学校を訪問しましたが、生徒たちが窓から一斉に手を振って歓迎してくれて、その底抜けに明るい勢いに圧倒されました。

古田すばらしいですね。日本ではいい学校に入り、いい会社に入るというのがよしとされてきました。本来持っている潜在能力が生かし切れていないんじゃないでしょうか。

金丸氏フォト

金丸まさにその通りです。デンマークの先生が言っていたのは、子供に好奇心を持たせ続けること、そして、子供の自尊心を決して傷つけないこと。だからテストはしない。学校だけでなく、社会の構造もフラットで、例えば、職人と大企業の部長クラスの年収が大体同じくらいだそうです。国家がそういう価値観で人材を育てていますから、デンマークは小国ながら高い競争力を持っています。古田さんは野球の道を選んで成功をおさめたわけですが、どうやって自分の才能を伸ばしてこられたとお考えですか。

古田僕はプロ野球選手の中でも珍しいケースだったと思います。小さい頃から野球をやってきましたが、プロになる気はまったくなく、地元の公立高校に進み、野球は高校で終わりにするつもりでした。ただ、立命館大学に入学して、周りから「野球を続けないか」と誘われ、再開したらメキメキと力が付いてきて。だから本当にプロ野球選手になろうと意識し始めたのは大学4年になってからです。

金丸そうでしたか。でも野球は好きで続けていたんですよね。

古田もちろん、そうです。小学校の時は「夢はプロ野球選手」と言っていました。でも成長して世の中わかってきたら、そんなに簡単になれるわけないってわかりますよね(笑)。

金丸でも、実際になれたじゃないですか。

古田だからすごくレアケースなんです。大学に入って、ライバルに負けたくない、レギュラーを取りたい、レギュラー取れたら試合で勝ちたい、試合で勝ったら優勝したい、と一つ一つ目の前の目標をクリアしていった結果でしょうか。ただ、大学4年の時はドラフト会議で声がかからなかったんです。メガネをかけたキャッチャーは大成しないというレッテルを貼られて。

金丸その時は悔しかったでしょうね。

古田はい。ただ、何が功を奏するかわかりませんね。ダメだ、ダメだと言われたことで、逆に反骨心が生まれました。絶対にプロになってやると。メガネをかけたキャッチャーでもプロでやれると、オレが証明してやるんだと。

金丸周りに公言していたんですか。

古田公言というか、言われるたびに反抗していました。ただ、反骨心がなかったらプロにはなれなかったでしょうね。多くの人はいい大人になって、物わかりがよくなってしまう。そうか、前例がないから無理なんだ、じゃあ別の道を探そうと。その意味では、今の若い人は情報が多くて逆にかわいそうだなと思うときもあります。なんか、物わかりよくなって、すぐあきらめる人が多い気がします。

金丸そうやってプロに入って、野村監督の下でプレーすることになったわけですね。私は小さい頃、大阪に住んでいて、南海ホークスのファンクラブに入っていたんですよ。野村さんの選手時代のファンでした。実力もすごいけれど、その分、個性も強烈だし、下で働くのは大変じゃありませんでしたか。

古田語弊があるかもしれませんが、逆らっても得はないな、と割り切っていました(笑)。プロはフィールドで結果を出してなんぼですから、特に若いうちは試合に出ないと話にならない。野村監督がよく言っていたのは、監督は将棋の棋士で、選手は駒である。その駒が集まって組織として力を発揮するために、それぞれが役割を理解してどう貢献するかが大事だと。そのかわり、負けたら棋士である監督の責任だとも言っていました。

金丸理詰めできちんと説明されれば、納得もしやすいですね。

古田はい。厳しいけれど、若いうちに鍛えられたのはよかったです。野球に関係ないことも含めて、社会人として、人としてどう生きるか、人間の徳というのでしょうか。すごく刺激になりました。若いうちは毎日怒られていましたけれど、3年目くらいからは「おまえはどう思う」と聞かれるようになって、うれしかったですね。

古田氏フォト

情報過多の若い世代
方向性を示して伸ばす

古田氏フォト

金丸監督としての話をうかがいたいんですが、日本では珍しいプレーイングマネジャーになりましたね。

古田はい。まだ41歳で監督としては若造でしたから、選手には兄貴分のような感じで接していました。それから、プロは大人の集団ですから、ある程度は任せて自立させる、自分たちで考えられる集団を作りたいなと。ところが、監督をやってみてわかったのは、自由を与えられたら何もできない選手が意外と多いということなんですね。

金丸それはどういうことですか。

古田僕の場合、上から「自由にやれ」と言われたら、自分で練習方法とか考えて好きなようにやるわけです。自分のことを信頼してくれているわけですから、その人の顔に泥を塗るわけにもいかないという責任感も生まれます。だから、若い選手に対しても、自分からはアイデアの選択肢を与えるだけで、どれを選ぶかは本人に任せたんです。でも、後になって話を聞くと、「あの時、監督にああやれ、こうやれと言われたかった」と言うんです。

金丸そうなんですか。

古田結局、迷って決めきれないんですね。逆に、指示をされた方が力を発揮する。これは新鮮な驚きでした。僕の中では指示されると反抗する選手が多いと思っていたので、勉強になりました。今の若い人はトレーニング一つとっても選択肢が多いので、若いうちはある程度、方向性を示してあげる方がよいのかなと。やはり、自立を促すのは難しいことです。

金丸非常に面白いお話だと思います。特に、野球は選手時代が短いですから、教えてあげる部分と、自分で考えさせる部分と、うまくバランスをとらないと、あっという間に時間が過ぎてしまいますよね。企業の経営者も同じです。会社人生を通じて、自分で決断する訓練を受けてきたか、それとも人の決断に乗っかってきただけか、ちょっと話をすればすぐにわかります。会社なら下におろせば済みますが、野球の監督はそうはいかないですよね。

古田最後に決断するのは監督です。ただ、コーチのモチベーションも考えると、ある程度はコーチの進言を尊重しなきゃいけない。そこが難しかったですね。

金丸最後に、30年後、2045年の日本の将来ビジョンに向けて、どんな社会を目指すべきか、古田さんの考えを聞かせてください。

金丸氏フォト

古田ちょっと失礼かもしれませんが、30年後の話って大体当たらないですよね(笑)。早まることもあれば、永遠に来ないかも知れない。ですから、特に若い人には、将来はこうなるんだと帳尻を合わせながら生きるのはやめてほしいと言いたい。人生は1年1年の積み重ねなのですから。

金丸私も30年後のビジョンを考えろと言われたとき、ある本に書かれた言葉に出会いました。「未来を予測した本の内容は大体当たらない。どんな本が当たらないかというと、将来を悲観的に予言した内容の本である。なぜかと言えば、人間が対策を講ずることを無視しているからだ」と。「将来を悲観すると今を大切にしない。逆に、将来を楽観するから今を大切に生きようと思える」。これも、私の好きな言葉なんです。

古田いい言葉ですね。ロボットや人工知能の進化で人の仕事がなくなるんじゃないかとか言われますよね。でも新しい産業や新しい会社も生まれるわけで、柔軟に考えていけばよいと思います。自己責任というか、自分で決断して、プロフェッショナルやエキスパートとして強い気持ちを持って働いていけば何とかなるのではないでしょうか。

金丸おっしゃるとおりです。人それぞれ、得意な道を選べる。そして、その道の「匠(たくみ)」として適正な報酬が得られる。そのために、小さい頃から自分の好きなこと、得意なことを探して伸ばしていけるよう大人がサポートしていく。そんな社会を目指したいですね。今日はどうもありがとうございました。

古田こちらこそ、ありがとうございました。

古田敦也氏フォト

古田敦也(ふるた・あつや)
元プロ野球捕手、野球解説者

プロフィル

1965年兵庫県生まれ。立命館大学卒業後、トヨタ自動車に入社。日本代表としてソウルオリンピック銀メダル獲得に貢献する。90年ヤクルトスワローズに入団。野村克也監督の薫陶を受け、日本を代表する捕手としてチームを5度のリーグ優勝、4度の日本一に導く。91年セ・リーグ首位打者、93年と97年にセ・リーグMVP、97年正力松太郎賞。2004年に起こったプロ野球再編問題では、プロ野球選手会会長として1リーグ化阻止に奔走。06年、選手兼任監督となる。07年引退、監督退任。通算盗塁阻止率歴代1位。


金丸恭文氏フォト

金丸恭文(かねまる・やすふみ)
経済同友会 副代表幹事

プロフィル

1954年大阪府生まれ、鹿児島県育ち。78年神戸大学工学部計測工学科卒。79年TKC入社。89年フューチャーシステムコンサルティング設立、取締役社長。2007年フューチャーアーキテクト取締役会長CEO。16年フューチャーに商号変更、取締役会長兼社長グループCEOに就任、現在に至る。
99年経済同友会入会、2010〜12年度幹事、2004〜09年度および2014年度より副代表幹事。2013年7月、30年後の日本を考えるプロジェクト・チーム(PT)委員長として「日本の将来ビジョン2045『ミトコンドリアとカレーうどん』」を取りまとめ。2016年11月には、経済同友会の将来ビジョンを考えるPT委員長として「経済同友会2.0〜自ら考え、自分の言葉で発信できる『異彩』集団」を取りまとめた。


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