NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まった。物語は源平合戦を制して鎌倉幕府を開いた英雄、源頼朝と、彼の義弟にあたる北条義時を中心に展開する。
本書『頼朝の武士団』は、時代背景や複雑な人間関係、大小様々な出来事まで余すことなく知りたい方にうってつけの一冊だ。頼朝の幼少期から史上初の武家政権の誕生、御家人たちの抗争などを肩肘張らないユーモラスな語り口で解説。『吾妻鏡』を中心とした史料をひもときながら、登場人物の「キャラ(キャラクター)」や、「残虐とほのぼの」が併存していたという鎌倉時代初期の空気感を精緻に描き出している。著者は國學院大學非常勤講師の細川重男氏。
弟の源義経の追討をはじめ近親者の殺害など、猜疑心(さいぎしん)が強く陰険なイメージもある頼朝。だが、「情」が彼の最大の武器であり、ただの流人であった頼朝が多くの豪族を仲間に引き入れ、勢力を拡大した秘密だと著者は指摘する。
例えば、「伊勢平氏」の一門である山木兼隆邸への挙兵時には、わざわざ1人1人におまえだけが頼りだと伝えたとする逸話が『吾妻鏡』に残されている。またある日の伊豆山神社への参詣の際は、近くにいた御家人、小代行平の肩に手を置いて「おめェを心安く思ってるぜ」と声を掛けたという記録が史料『小代文書』にある。頼朝のセリフは著者の意訳であるが、源氏の棟梁(とうりょう)に声を掛けてもらうだけで御家人は天にも昇る心地だろう。鎌倉殿はなかなかの人たらしであったようだ。
そんな親分を御家人たちは「大好きだった」と著者はいう。頼朝邸が彼らのたまり場と化し、廊下が執務室のように利用されていたという記録からも、初期の鎌倉幕府は「頼朝とその仲間たち」状態だったとうかがい知れる。
1199年に頼朝が薨去(こうきょ)して2代目将軍源頼家の代になると、御家人で構成される「十三人合議制」が誕生する。しかし、時を経ずに時代は暗転。御家人同士の抗争が相次いだのだ。そこを生き抜いたのが頼朝の妻である北条政子の弟、北条義時。承久の乱での圧勝を導いた彼に、「権威を恐れない鉄の意志」というイメージを抱く方も多いだろうが、著者が語る人物像は少し違う。
『吾妻鏡』などを読み解くと、実は万事に消極的なタイプだったようだ。マジメで変に律義な義時は、頼朝に命じられて仕方なく「家子専一(親衛隊長)」となり、承久の乱での京都攻めすら、立場上致し方なく行動したにすぎないという。実際、本人が望めば公卿にすらなれたであろうに、乱の翌年にはさっさと官職を辞して無官となった。著者はそんな義時に、「姉ちゃんと義兄貴のおかげで、メンドくさいことばっかだなァ」とぼやいていたのではと思いをはせている。
著者が語る登場人物には体温が感じられ、800年の時を超えて当時の様子が鮮やかに浮かび上がってくる。ぜひ本書をめくり、教科書には出てこない鎌倉の武士たちの意外な一面に驚いていただきたい。