アフリカ出身者として初めて、日本の大学の学長になった人物がいる。2018年から京都精華大学(京都市)の学長に就任しているウスビ・サコ氏である。
ざっと経歴を紹介すると、サコ氏は西アフリカに位置するマリ共和国の首都、バマコ生まれ。見知らぬ人が家にあがりこみ、他人の子供の面倒を見たりするようなおおらかな土地で幼少期を過ごした。中国留学中に日本に興味を持ち、京都大学大学院で建築を学ぶ。2002年に京都精華大学人文学部専任講師に着任。人文学部長として活躍したのち、全学生を前に開かれた討論会と全教職員が参加する学長選挙を経て、晴れて学長に選出された。
本書『サコ学長、日本を語る』は、そんなサコ氏自らが半生を振り返るとともに、日本人や日本社会に対して抱いてきた違和感、学校教育の問題点について語ったもの。京都精華大学の理念「自由自治」を踏まえながら、自由とは何かといった本質的な問いを投げかけたり、教育本来の意義を考え直したりしている。といっても堅苦しくはなく、「なんでやねん!」という関西弁でのツッコミが随所に繰り広げられ、とても親しみやすい内容だ。
サコ氏が抱いている違和感のひとつが、日本人は「学校への期待が大きすぎる」という点だ。子どもは小中学生の頃から、授業と部活動で朝から晩まで学校で時間を過ごし、家でだらだらする暇もない。親は教科教育だけでは飽き足らず、「個性を伸ばす」ことまでも学校に要望する。学校が一手に教育や人間形成を引き受けている、という状況がある。
だが、サコ氏は学校だけが「学びの場」ではない、とツッコミを入れる。むしろ学校以外の自由な時間をつくり、学校での学びと家庭での経験を結びつけることが個人の成長にとって大切なのではないか、という。学校というフレーム(枠組み)教育にすべてを任せるのではなく、子どもが解放される機会を設けることが、親や大人の役割だと説くのである。
実はマリでは、親が教師にわざわざ賄賂を渡して、子どもを学校からやめさせることさえあるらしい。「学校教育で成長することが必ずしも最適な人生ではない」という考え方があるからだ。学校や教科教育以外の場においても人が成長することを、マリでは多くの人が認識しているのだ。
さらにサコ氏は、面白い指摘もしている。例えばひとたび「映画が好き」と言えば、日本ではオタクが寄ってきて専門家のようなうんちくを語りだす。趣味であっても専門性を深めることがよしとされる風潮があるが、サコ氏は「知らんわ!」「もっと気楽に楽しみたいねん!」と一喝。日本人は身も心もプレッシャーに縛られていないか、本当の意味でリラックスする時間はあるのか、と疑問を投げかけるのである。
そんな日本人にサコ氏は「もっと肩の力を抜こうぜ」とエールを送る。サコ学長流ツッコミとエールが味わえる一冊だ。