人は「おっさん」にどんな印象を持つだろうか。若者に厳しい、声が大きい、酒飲み……抱くイメージは人それぞれだろうが、おっさんという言葉を使うとき、込められているのが好感だけでないのは確かだろう。最近では年金や雇用の問題に絡めて、「下の世代に負担をかけているおっさん」というイメージもちらほら見られる。
ところ変わって英国でも、おっさんを取り巻く状況は似ているようだ。本書『ワイルドサイドをほっつき歩け』によると、EU離脱が現実となった英国で、中高年、とくに労働者階級のおっさんへの風当たりが強いらしい。労働者階級のおっさんがブレグジットを推進した張本人であり、排他的で時代遅れな存在だと思われているのだ。
だがそんなおっさん像は一面にすぎない。おっさんの素顔は世間のイメージよりもっと複雑で、時代の荒波を懸命に生きている――そう訴えるべく編まれたのが本書だ。おっさん一人ひとりの個性や生き方を、日常のエピソードとともにエッセイ仕立てで描いている。そこからは、人情に厚くユーモラスで、エネルギッシュな「人間としてのおっさん」の背中が浮かび上がってくる。
著者は1996年から英国ブライトンに暮らすライター、コラムニスト。元保育士で夫はトラックの運転手。著書に、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)がある。
地元のスーパーで働く62歳のスティーヴ。長身で眼光鋭く、スキンヘッドで足元はいつもブーツ。彼はばりばりの労働者階級のおっさんでEU離脱派だ。だが、地元で中国系移民の住まいに差別的ないたずら書き(十代の子供たちの仕業だ)がされると、パブの仲間たちと「パトロール隊」を結成した。ティーンが悪さをする夜間に、おっさん数人で見回りを始めたのだ。今いる移民には敬意を払う、というのが彼の信条だった。見回り途中に出会った中国人の若い女性に恋してしまうのは、チャーミングな余談である。
さらにスティーヴは緊縮財政のあおりで地域の図書館が閉鎖されたときにも行動に出る。図書館機能が子どもの遊戯施設内に移転されても、読書家だった彼は「ノー・サレンダー(降伏しない)」の精神で遊戯室に通い続けた。よちよち歩きの幼児に囲まれながらおっさん一人で本を読み続けたのだ。なぜか貸し出し業務を手伝うようにもなり、周囲のママや子どもから慕われるように。イースターの日には、「私たちのおじいちゃんへ」と利用者の女の子からイースターエッグを贈られたという。スティーヴの三白眼がぐじゅぐじゅに見えた、と著者は書き添えている。
他にも大嫌いなウーバーを初めて使うタクシー運転手など、泥臭く、不器用で、ときに切ないおっさんの姿が満載だ。世代や属性、政治信条といったものからもう一歩踏み込んでみれば、同じ人間として愛とリスペクトが湧いてくる。おっさんでも、そうでなくても、なんだか元気が出てくる一冊である。