2018年8月の『押さえておきたい良書』
日本の観光業は今、インバウンドブームを背景にかつてない活況を見せており、日本文化の独自性を示す武器として「おもてなし」が注目されている。
ところが、この十数年で飛躍的にその名が知られるようになった星野リゾートは、「おもてなし」という言葉だけを売りにしていない。代表の星野佳路氏が前面に打ち出すのは「日本旅館」という場そのものだ。
日本旅館とはいえ、星野リゾートが目指すそれは伝統的な旅館とは一線を画している。玄関には下足番がいて履物を預かる、といった日本旅館の世界観を大切にしながらも、従来の旅館では当たり前であった部屋食や“一泊二食付き”スタイルを見直すなど、人々の現代的な興味や行動様式にも合わせたものである。
本書『日本旅館進化論』では、世界に伍(ご)していける宿泊産業の運営会社になることを目指している星野リゾートの物語に触れながら、従来のおもてなしと旅館のありようを再考。日本の旅行・観光業などを含むホスピタリティー産業が進むべき道を照らしていく。
著者は、富士屋ホテル創業者を曽祖父に持つ旅行作家・山口由美氏。
その土地や文化を楽しめてこそ「旅館」
星野氏は、日本文化という魅力的なコンテンツを背景に持つ日本人が、西洋スタイルのホテルをやっても評価されない、それを打破できるのは日本旅館しかない、と思い続け、長い年月をかけてそのことを証明してきた。
星野リゾートが初めて運営受託という形で取り組んだ、古牧グランドホテル(後の青森屋)と、奥入瀬渓流グランドホテル(後の奥入瀬渓流ホテル)の再生プロジェクトは、ひとつの大きな転機となったそうだ。
青森屋では、「のれそれ青森(のれそれ=津軽弁で『徹底的に』の意)」のキーワードを掲げ、それに共鳴した地元スタッフのアイデアを次々に採用した。一年中青森の四つの祭りが楽しめる「みちのく祭りや」、お囃子・民謡なんでもありの「じゃわめぐショー(じゃわめぐ=津軽弁で『血が騒ぐ』)」、また、津軽三味線の曲に合わせて栓抜きでスコップを叩く「スコップ三味線」など、まさに青森のテーマパークともいえる「お客を面白がらせるしかけ」を実行した。結果、オフシーズンの冬でも予約が殺到するようになり、見事、再生を果たしたのである。
地域文化を大切にし、その土地の文化や自然を楽しめるサービスこそ、日本旅館ならではの「おもてなし」なのだ。
「日本文化のテーマホテル」の世界進出が、日本の旅館を復活させる
星野氏は、ニューヨークの道路に日本車が走り、パリの街角に寿司屋があるように、世界の大都市に日本旅館がある時代を創っていきたい、という夢を抱いているという。彼が考える日本旅館の定義はこうだ。
・一貫した和のデザインで統一されていること
・和のしきたりを踏襲していること
・和暦に応じてもてなしが変化すること
・和の技能を持つスタッフが全てのサービス提供を担当すること
和の技能を持つスタッフとは、日本文化の知識と技能を身に付け、自らおもてなしを発想し創造していくスタッフのことで、従来の旅館にいる仲居さんを指しているわけではない。
こうした定義を実現したものが2016年に東京・大手町にオープンした日本旅館「星のや東京」である。その開業に寄せて、星野氏がつづった文章が本書に紹介されている。
一方日本旅館はどこかで進化を止めていました。形式にこだわるばかりに、現代の旅行者の変化に十分に対応して来なかったのです。だから今、私たちは日本旅館を再び進化させて行きたいと考えています。”(『日本旅館進化論』p.341-342より)
星野リゾートの一連の試みは、従来の旅館のありようを進化させ、さらには“深化”させながら、日本の観光業全体の再生をけん引しているように思える。
情報工場 エディター 平山 真人
鹿児島県出身。演劇活動をしながら児童文学作家 山口理氏のもとで物語創作ならびに文章術を学ぶ。あるとき新聞連載の企業コラム執筆の機会を得たことから、本格的にライター業を開始。また多彩な職種経験(画家の助手など)で培ってきた広い視野を生かし、独自のカウンセリングサービスも行う。井上ひさし氏の言葉「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに」が自らの信念。趣味は父の影響を受け、盆栽を少々。